探偵事務所に戻った

探偵事務所に戻った。葛飾区新小岩、踏み切りの近くにあるアパートの一室。日当たりは絶不調のクソ物件。十二で部屋を借りてからもう三年になる。そうか。そうだよな。明日から高校生なんだ。俺ももう十五か。

「おかえり」

「あ、理奈」

「あ、理奈じゃなくてさ、どうしたの? その格好」

「え、これ」

 言い訳はでない。有りのままの自分を見て貰う。「つまりシャツは返り血で真っ赤、背中には二本のナイフ、太ももに包丁が突き刺さったまま歩く俺のことかな?」

 的確な表現。全身鏡に映る俺の姿はまさに言ったとおりだった。

「ほんと、馬鹿みたい。見てるこっちが痛いよ」

 理奈はちゃんと中学校に通ってた。もう三年の春休み、つまり卒業を済ませているから、今日は私服。それなのに理奈ときたら、全然冒険した格好をしてくれない。

「私服くらい短いの履いたら?」

「エッチ」

 ベージュのブラウス。白いロングスカート。せっかくの午後なのに、なんで足を隠すんだろう。

「もうそういう格好すんの止めて」と理奈。

「こっちが言いたいよ」

「馬鹿。耕平はわざと痛い格好して喜んでるんでしょ」

「わかったちゃった?」

「ばればれ。ほら、依頼人の方だって怖がってるじゃん」

 理奈は放課後、俺のやってる探偵事務所に来て助手をやってくれてる。理奈は、依頼人の少年を宥めている。タケシって名前で小学四年生。さっき俺が金を取り戻した不良共に金を巻き上げられた、それ以外は何も知らない

「これは特殊メイク。ほら、映画とかであるCGだから怖くないよ」と言った所で、もう遅い。ここは二十二世紀で、CGなんか小便垂らして逃げる位に狂った世界なんだから、そんな言葉は何の慰めにもならない。

 理奈の視線が痛い。

「わかったよ。ごめんごめん。ほら、金、取り戻してきた」

 二万円を差し出した。

 理奈の視線が痛い。

「どうしてわかるんだよ」思わず舌打ち。

 もう一枚を取り出す。小学生の分際で三万円も持ち歩くから、カツアゲされるんだ。

「ありがとう」

 血がついてたって金は金。価値はかわらないわけで、どうやらこのタケシって小学生はその辺のことに関しちゃきっちり理解してるらしい。

「あ、良いんだよ。別に。ボランティアだから」

 そう。ボランティア。無償の愛。名ばかりで全く推理をせず、肉体言語で事件に決着をつけていく俺は一切、金を受け取らない。

「じゃ失礼します」

「っておい。もう行くの?」

「はい。塾があるので」とタケシ。

「あ、そう」

 依頼人の詮索をしたって良いことはないし、取られた金を取り戻すっていう彼の願いは変えたんだ。無理してここに座らせてたって良いことはない。扉につけている鈴が鳴った。依頼人のタケシは「お世話になりました」と言って、事務所を出て行った。


   


 踏み切りが閉まるサイレン。窓の向こうを無人の電車が通過した。窓が揺れる。夕暮れ。差し込む光が、舞い散る埃の姿を浮かび上がらせた。


   


「耕平、座ったら」と理奈。

「あぁ。そうする」と俺。

 最後の依頼人が行ってしまった。それだけだ。俺も理奈も何も変化なし。ソファに座る。理奈が隣にいる。そういや昨日もこんな感じだったっけ。

「不死身ってどんな気分?」

 理奈からこの質問を受けるのは何千回目だろう。それこそ彼女と出会った五歳のあの日から聞かれている。

「わからない。他の人の気分がどんなものか知らないから」

 太ももに刺さった包丁を抜いた。抜いた途端に傷は塞がる。「背中のは自分じゃ無理。抜いて」

 女の子に、抜いてってなんかエロい。けど俺がここで言ってるのは、背中に刺さったナイフのことだから、なんかグロい。普通じゃないのかもな、とか考えてるうちに、突き刺さったナイフを、二本とも抜いてくれる。

「馬鹿。もっと賢く闘えるはずなのに、わざと叩かれたり、刺されたりしてる」

「理奈は賢いもんな。勉強も戦闘も」

 理奈も俺と同じだ。グリーゼからの雨を浴びた『蝕依の子』。特殊能力者。普通の人から言わせれば、人間じゃない。

「私の能力は不死身じゃないから。怪我したらパパとママが心配するし」

「そうだよな」

 痛みって何だろう。

 たまに思う。

 首を切られても、背中を焼かれても、目を抉られても、左頬から右頬までをボールペンで突き刺しても、俺は痛みを感じないし、全部完全に治癒しちまう。痛みはみんなが嫌ってるから、素敵なものじゃないのはわかるけど、たまにそれが欲しくなることもある。

 なんかセンチメンタルな気分になってきたな。ロングスカート。それを捲って見るのもいいかもしれない。

 そもそも俺たちは幼馴染。小さい頃から家族同然に育って、現在思春期真っ只中の十五歳。お互い特殊能力者だし、感じる孤独を共有している。

 それにこの探偵事務所には俺と理奈の他に人間はいない。

 舞台は整った。


   


「理奈、セックスしようよ」


   


 男らしくハッキリと俺は言うよ。欲望をストレートに伝えて、理奈とセックスしちゃうんだ。これで童貞卒業よ。

「不潔」

 で、理奈は俺の目を見てハッキリと言った。「文房具凶器」

「理奈、ごめん。ちょっと待て」

 やばい。怒らせた。今確実に、「文房具凶器」って呟いてたし、手を顔に被せてる。仮面被りに状態を移行してる。

 理奈の顔から被せた手が離れる。白くて細い、小さな手。その裏には俺がセックスしたかった可愛い幼馴染の理奈じゃなくて、仮面被った『蝕依の子』がいる。白い仮面には中心から放射線状に赤いラインが伸びて、左目のとこにやけに大きな穴が開いてるデザイン。穴から見えるのは完全に狂った女の充血した瞳。

「コンパス、分度器、シャーペン、消しゴム、定規にロケット鉛筆」

 呪文じゃない。理奈が瞬時に手に持った文房具の名前だ。けど俺が不死身のように、理奈はその文房具たちを殺人凶器に変換するわけのわからない能力を持ってる。

 コンパスは針がやたと伸びてドリルのように回転し、分度器と定規は鋭い刃物と化し、消しゴムはC4爆弾のように爆発して全てを消し去るし、ロケット鉛筆は拳銃並の威力で飛び出してくる。

「耕平、私だってセックスしたい! 年頃の女の子だもん! 処女なんてさっさと捨てたい! けどもっとロマンチックに口説かれたいのにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ、どぉぉぉぉぉぉしてあなたはいつもそぉなのぉぉぉぉぉ???????」

 俺、不死身でよかった。

 頚動脈、スパーン。左目、抉られ、右腕切り落とされて、心臓にはロケット鉛筆の芯が何発も打ち込まれた。

 けど痛くないし、二秒もしないうちに全部治癒する。

「わかった。ごめん。ごめん。謝るよ」

「ほんとに?」

「今度はもっとロマンチックに求愛する」

「ほんとに?」

「ほんとだ」

 ベージュのブラウスと白いロングスカートは俺の血で真っ赤。理奈の首から鎖骨だって同じ。返り血で染まってる。


   


 耕平。私、ずっと待ってるからね。

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