一匹の犬の短い生涯の物語

黒酢

一匹の犬と生涯の物語

♢1 

 僕は5人兄弟の末っ子。


 兄弟たちほど力が無いから、いつも虐められてる。


 でもお母さんは、そんな僕を優しく包んでくれる。


 でも僕たちを見つめるお母さんの目はどこか悲しそう。


 お母さん?どうしてそんな顔をするの?


 僕は不安な気持ちを押し殺すようにお母さんのお腹に顔を埋めた。



♢2

 ご飯をくれるおじさんが、ある日僕たちを部屋から乱暴に連れ出した。


 ぼくの兄弟はみんな痛い!痛い!と叫んでいた。


 もちろん僕も痛い!と叫んだけど、うるさいと怒鳴られた。


 怖くてそれ以上はなにも言えなかった。


 でも本当は聞きたかったんだ。


 なんでお母さんは一緒じゃないの?なんで僕たちだけ連れて行くの?


 お母さんはいつか見た、どこか悲しそうな目で僕たちを見つめていた。


 お母さん……。



♢3

 僕は犬という生き物らしい。最近学んだ。


 そしてこの世界はどうやら人間という生き物が支配しているらしい。


 彼らはたまに僕の部屋をのぞき込んだり、部屋の窓を叩いたりする。


 僕はその小綺麗な部屋の隅で丸くなって、いつもお母さんのことを考えていた。


 お母さんには僕たち以外の子供がいたのだろうか?


 お母さんは何回同じような別れを繰り返したのだろうか?


 お母さんは元気にしているだろうか?


 僕がお母さんや兄弟と暮らしていたあの小さな部屋。


 今思えばすごく狭くて、すごく暗くて、すごく汚くて……。


 せめてお母さんが何事もなく元気であるようにと願わずにはいられなかった。



♢4

 僕の名前はたろう。


 ご主人様に付けてもらったんだ。


 いい名前でしょ?


 僕はご主人様に買われて幸せだったと思う。


 なんてったってこんなに僕を可愛がってくれるんだから。


 ご主人様の奥さんは一年前に事故で亡くなってしまったらしい。


 僕がご主人様を癒してあげるからね?


 そう言ってご主人様の顔を舐めた。



♢5

 最近の日課はご主人様と朝のお散歩をすること。


 昼はご主人様と縁側で横になって、夕方には庭を駆け回る。


 なにげない毎日がどうしようもなく幸せだ。


 僕はご主人さまと同じ布団にくるまってそう思う。


 ご主人さま……お母さんみたい。


 僕はご主人様の胸に顔を埋めた。


 ご主人様は僕に気づいたのか、優しく頭をなでてくれた。


 やっぱり僕は幸せだ。



♢6

 ある日ご主人様が動かなくなった。


 僕は何が何だかわからなくて、怖くて怖くて泣き叫んだ。


 ご主人様の身体に顔をこすり付ける。


 でも、ご主人様は僕の頭をなでてはくれない。


 叫んで叫んで叫んだ。


 すると、近所に住むおばあさんが僕の叫び声を聞いて様子を見に来た。


 おばあさん!大変なの!


 僕は必死に訴えた。


 おばあさんはすぐに「きゅーきゅーしゃ」って言うものを呼んだ。


 「きゅーきゅーしゃ」はご主人様を乗せてどこかに連れて行った。


 僕はご主人様を奪われたと思って、ご主人様の名前を叫び続けた。



♢7

 ご主人様がいなくなってからご主人様の子供が僕にご飯をあげに来るようになった。


 僕はその人間に繰り返し聞いた。


 ご主人様は?ねぇ、ご主人様はどこなの?


 何回もしつこく聞いてるうちにその人間は怒るようになった。


 僕は怖くなって聞くのをやめた。


 一日に二回来ていたのが、一日に一回になり、やがて、二日に一回になった。


 僕はお腹を空かせていた。


 だけど、ご主人様が帰ってくるって信じて、待ち続けた。



♢8

 ある日、ご主人様の子供が僕をどこかに連れ出した。


 ひょっとしたらご主人様に会えるのかもしれない。


 僕はそんな期待を抱いた。


 だけど、連れて行かれた先はたくさんの犬がいる所だった。


 他の犬に吠えられて、僕は怖くてたまらなかった。


 ここはどこ?僕はどうなっちゃうの?


 ご主人様の息子は僕を他の人間に預けると、そのまま帰っていく。


 残された僕がその人間を不安げに見つめると、彼女は悲しそうな目で僕を見つめ返した。


 その目はどことなくお母さんのそれに似ていた。



♢9

 一週間がたった。


 僕はここに来てから何回も部屋を移動させられた。


 今日の部屋はいつもより殺気立っているように感じる。


 気のせいだろうか?


 世話をしてくれるお姉さんが、ご飯の皿を回収に来た時、思わず顔をこすり付けた。


 お姉さんは僕に気づくと、そっと僕の頭をなでて「ごめんね……」と呟いた。


 なんで謝るの?


 そう言うと、お姉さんは涙を浮かべて僕の頭を何度も何度も撫でてくれた。


 お姉さんの手の温もりに、ご主人様とお母さんの温もりを重ね、胸が締め付けられる。


 お姉さんはひとしきりなでると、部屋を後にした。


 その背中が、どこか悲しそうに見えた。


 少しして、部屋の奥の扉が開いた。


 それと同時に、部屋の壁がだんだん迫ってくる。


 僕と他の犬たちは壁に追われるように奥の部屋へと駆け込んだ。


 すると、「ガコーン」という音とともに扉が閉じた。


 狭いその部屋からは、頭をなでてくれたお姉さんの姿が見える。


 どうしてそんな顔をするの?


 いつか聞いたその問いが、つい口をついてでる。


 しばらくして、だんだんと息が苦しくなりはじめた。


 呼吸が上手くできない。


 まず、身体の小さな犬がその場に倒れ込んだ。


 そして、僕も苦しさに耐えられなくなってその場に倒れ込む。


 それでもなんとか呼吸しようと、首を必死に上に向け続けた。


 苦しい!苦しいよ!


 そう叫びたいのに、声が出ない。


 だんだんと意識が遠のいていくのが分かる。


 小さいころの記憶が、お母さんとの記憶が、そしてご主人様との記憶が……。


 走馬燈のように次々と過去の記憶が頭をよぎる。 


 ご主人様……あなたに出会えて幸せでした。


 そこで僕は意識を手放した―。



♢♢後書き♢♢

 この度は、本作を最後までお読みくださりありがとうございます。

 本作は、犬猫の殺処分の現状や日本における動物愛護について学ぶ中で、感じたことや学んだことを自分なりに発信できたらと思い書かせていただきました。以下は、作中の補足資料として目を通していただけたらと思います。

 また、動物愛護に興味を持たれた方は、ぜひ一度、調べてみることをお勧めします。動物愛護に関する情報は書籍が少ないため、インターネットでの検索が便利です。

 ※作中、又は補足について間違いや誤解を生む恐れのある箇所等ございましたらご指摘をお願いします。

 ※本作は「小説家になろう」様にも投稿しております。


♢1~2:ブリーダーと繁殖

 現在の日本では、動物はペットショップで購入するのが一般的かと思います。ペットショップでは、動物たちは綺麗なゲージに入れられ身だしなみも整えられていますが、彼らはどこからその小綺麗な店頭にやってくるのでしょう?答えは、ブリーダーや仲卸業者の手によって連れられてくるのです。

 ブリーダーとは、犬や猫などの動物を飼育する専門の業者のことです。そのほとんどは法にのっとり適切な飼育を行っていますが、中には悪徳ブリーダーと呼ばれる業者も存在しているのが実情です。

 規定よりも狭い飼育ゲージに母犬を閉じ込め、規定回数を無視した繁殖を行わせ、閉経したら捨てる。母犬が閉じ込められたその環境はお世辞にも良い環境であるとは言えませんし、母犬には十分なエサや水が与えられないこともあります。


♢3:ペットショップ

 前述の通り、ペットが欲しいとき、日本ではペットショップで購入するのがまだまだ一般的ですが、ペット先進国の欧米諸国などではすでに動物保護施設などから引き取ることが一般的です。特に、ドイツはペット先進国と言われており、全国にティアハイムと呼ばれる保護施設が点在しています。同じアジアの国に目を向けると、お隣台湾ではすでに保護施設から引き取る習慣が根付きつつあります。


♢4~7:遺されたペット

 ペットの存在は心を安らかにしてくれます。しかし、お年寄りなどがペットを新たに購入する場合、自分が入院している間や亡くなった後のことを考えることも必要です。

 遺されたペットはどうなってしまうのでしょう?


♢8:飼い主の持ち込み

 総務省の統計によると、動物愛護センターや保健所が引き取る犬の14%、猫の16%は飼い主による持ち込みであるとされています。平成25年に施行された改正「動物愛護管理法」により、都道府県などは引取りを拒否できるようになり、一部の自治体では原則拒否を宣言している場所もあります。


♢9:殺処分

 現在、殺処分を行う際に、日本で主に用いられているのは二酸化炭素によるガス殺ですが、これは安楽死ではなく動物たちは苦しみながら死んでいくと言われています。特に、仔犬や仔猫などは呼吸数が少ないため、死に至る前に焼却されている可能性も一部で指摘されています。

 そこで、動物の苦痛を緩和するため、注射器による殺処分を行っている自治体もありますが、殺処分を行う者の精神的苦痛や経済的な事情により普及していないのが現状です。一方で、熊本市など一部の自治体では殺処分0を達成した自治体もあります。

 総務省の資料によると、平成27年における保健所等の引取り数は犬が約4万7000頭、猫が約9万頭であり、その殺処分数は60.6%、返還・譲渡率は38.5%。これは、平成元年の犬猫合計の引取り数125万頭、殺処分率96.8%、返還・譲渡率2.0%と比べると大幅に改善してきたと言えます。

 しかしながら、現在でも年間、約8万3000頭(犬1万6000頭、猫6万7000頭)の犬や猫が殺処分されているのが現状です。これを少ないと見るか多いと見るかはそれぞれですが……。

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