十三章:こうしてオレは痛みの三週間を過ごした

「えっ、試合!?」

 寮の大部屋で、オレはルナda黒ぶちに対し、素直に三週間後、ブラッド・ジェットと試合を行うことを告げた。

「でも、アンタ、魔法スキルが……」

「どうすりゃいいんだああああああっ!」


 オレはいたたまれない余りに頭を抱えて絶叫した。

「いやそりゃ勝てばエメラインもオレのもので、国王も王妃も魔法スキルも戻って自由の身でお幸せになられるが、その前にオレには魔法スキルがねえんだよ! アイツに奪われたままなんだよ! あのクソ魔法スキル強盗めえええええっ!」


「ちょっと、タウルス学長が入ってきてるわよ」

「えっ!?」

 オレは虚を突かれて驚きながら顔を上げた。

「どうしたのかね? こんなものを置いていって」

 学長はオレが置いて行った、退学を知らせる置き手紙を広げて、こちらに内容が見えるように突きつけてきた。


「格好が制服のままだが、この場所を抜け出してから今まで何をしていた」

「エメラインとともに反乱党に合流し、王室を乗っ取ったブラッド・ジェットをやっつけようとしたんです」

「『やっつける』とか、お子ちゃま……」

「黒ぶちは黙ってろ!」

 黒ぶちが意地になってメガネを外す。


「外してもダメだ」

 オレの威圧に負けた黒ぶちが黙ってメガネをかけ直す。

「それで、エメラインはどうした?」

 学長が恐れた様子でオレを尋ねた。


「ブラッドに捕まりました……」

「何だと!?」

 タウルス学長が仰天の余り、後ろに倒れかかったので、ルナda黒ぶちが慌てて横から受け止めた。

「学長、大丈夫ですか?」

 ルナが心配そうに声をかける。

「おお、大丈夫だから立たせてくれ」

 ルナのサポートで学長がゆっくりとここに立つ。


「一国の王室の令嬢がさらわれてしまったと聞いて、大変残念に思う」

「すみません、私の力不足で……!」

 オレはエメラインに対する守ってあげられなかった申し訳なさと、王室の令嬢をさらってしまったこと自体の恥から、咄嗟にタウルス学長に高速でヒザと額を同時に床に打ちつけた。


「何とか、エメラインの笑顔を取り戻すために、国王と王妃を救い出し、他の魔術師たちも救済しようと願い、行動に踏み切りましたが、私の力不足で、エメラインも、反乱党も、皆さらわれてしまいました。私の力不足であるばかりに、私が弱かったばかりに、事態をどうしようもないほど悪化させてしまいました。私が強ければ、私が強ければ……」


 オレは絨毯を涙で濡らしながら、思いの丈を吐き散らした。

「立ちたまえ」

 オレは言われるがままに、ゆっくりと立ち上がった。学長は改めてオレの退学届けを掲げると、意味深に唇の両端を微妙にせり上げながら、それを丁寧に半分、まとめてまた半分と破っていく。


「君には、どうしてもこの学校にいてもらう必要がある」

「じゃあ、また一年生からやり直しですが、しかし、私には、もう一つお伝えしなければならないことがありまして」

「この部屋に入る前からすでに聞こえておった。私は年ほど耳が遠くない。むしろこの魔法学校で勉学に励んでいた時と全く変わらないほどの聴力の持ち主だからな。君は三週間後、ブラッドと、エメラインや国王たちの運命を賭けて、ブラッド・ジェットと戦うそうだな」


「はい!」

 オレは図星を突かれ、狼狽えながら即刻返事した。

「それなら、一年生からチマチマ勉強をしていたんじゃ間に合わんだろう。何といっても三週間後だからな。君は試合まで、教室で授業を行うことはない。魔法スキル回復のための特別トレーニングプログラムを与えよう。早速、それを施行するぞ」

「今から、早速ですか?」

「何を言う? たった今からだぞ。君を待つのは『痛みの三週間』だ。二十四時間、三百六十五日、常にブラッドを倒すことを考えなければいけない。何故なら、君が一国そのものの運命を背負いし存在だからな!」

「わ、分かりました」


 すでに得体の知れない現実がチラついていることに、全身が猛烈な緊張感に襲われている。正直言って、マジック・ファイトの闘技場に立つときでも、ブラッドと向き合った時でも味わうことがない形で、体が奥底からビクついている。

 だが、あとには引けない。オレは、やるしかないのだ。エメラインが待っている。いや、ペドラ国そのものが待っているからな。


「まずは基本、物を動かす魔法だ」

 オレは早速、学長によって、魔法の実技を学ぶための講堂に連れて来られ、基礎中の基礎的な実技訓練を受けていた。この講堂のフィールドは、オレがマジック・ファイトを闘った闘技場と面積的には一回り小さいが、一応、二階席まで用意されている。オレの目の前にはカチカチの雑巾、オレンジの皮の一片、鳥の羽、誰のイタズラで染まったか分からない真っ白な葉っぱが置かれていた。


「まずは雑巾を動かしてみろ」

「分かりました。ムーヴ!」

 すると雑巾が動いた。と言っても距離はほんの一センチあるかないかだった。この現実にオレは、一度失った魔法の記憶を取り戻すことのタフさが計り知れないことを思い知らされた。


「本気で目の前を動かしたいという気持ちを込めなければ、魔法はお前の望んだ通りの効果を発揮しないぞ。もう一度、心に念じて挑んで見ろ」

「はい」

 オレは返事するや否や、胸に拳を立てて、精神を統一した。


「ムーヴ!」

 オレは腹から呪文を声に出した。そのとき、雑巾は滑るようにオレの目前から遠ざかっていった。

「やった!」

 オレは思わず、嬉しさをこぼした。


「喜ぶのはまだ早いぞ。三週間後の試合に向けて、ありったけの鍛錬を積まねばならん。今のお前に、妥協の時間は残されていないのだよ」

 タウルス学長のドライな言葉が、オレを現実に引き戻す。おかげで気がいっそう引き締まる。


「ちょっと、引っ張らないでくださいよ!」

 入口の方から、慌てたような女子の声がする。見れば、ルナda黒ぶちがアシュリーda屍の妹にして可憐なるキノコちゃんである、ミーガンを連れ込んで来ていた。

「アンタが食堂でハーバートと喋ってるの見たのよ」


「だからって、何故私までここへ?」

「とぼけないで! 反乱党のエイルシティ支部もシャドウに捕まったのよ! つまり、リーダーであるアンタのお姉ちゃんもね!」

「それ、本当なんですか!?」


 キノコちゃんの顔が一気に青冷める様を見るのが、オレには辛かった。秩序を取り戻すどころか、余計に秩序を壊してしまった責任が、改めて肉食獣大の岩石のように、オレにのしかかってきた。


「ハーバート、私たちも手伝ってあげる。このミーガンもね」

「私もですか!?」

「そうよ、じゃないとお姉ちゃんに二度と会えなくなるわよ!」

 ルナが必死にキノコちゃんに訴えかけた。


「会えなくなるのは……嫌」

 ミーガンが絞り出すように切実な思いを口にした。

「ハーバートは今から三週間、シャドウの総帥を倒すのにみっちりとトレーニングを積まなきゃいけないのよ。ミーガン、あなたも魔術師なら、さらわれたお姉ちゃんを連れ戻すために何かできることはあるんじゃない?」

「そうですね、私も、お姉ちゃんの笑顔が見たいです」

「そう来なくっちゃ」


「じゃあ、私、一年生だから教えられることあまりないけど、今まで習ったことを、ハーバートさんにお伝えしたいですが、いいでしょうか?」

「そうなんだ、是非お願いね、キノコちゃん」

「私、食べ物じゃないんですけど」

 ミーガンがささやかに抗議を表明した。

「ああ、ごめんね、ミーガン」


「今は、実技特訓を一通り済まさなければならないからな。床に置かれた残り三つの物体を動かした後は、浮遊、位置交換、さらに縦回転に横回転など、よりどりみどりの技を覚えなきゃならんぞ。基本中の基本だが、これはマジック・ファイトでも応用が万能に利く代物だ」


 そんなこんなで、オレは来る日も来る日も、魔法スキルを取り戻すための鍛錬を、ほぼ四六時中続けた。午前から夕方まで、タウルス学長直々のご指導による実技訓練が絶え間なく続いた。


夜になるとミーガンdaキノコが、一年生が習う分である魔法科学の教科書の内容を教授してくれた。何でもこのキノコちゃん、ルナda黒ぶち曰く勉強好きの秀才の典型らしく、彼女は一年生の教科書のうち大部分を熟知していた。故に、オレにまとまった量の勉強を教えることができたわけだ。


さらに言えば、マジック・ファイトでは、特に魔法科学の教科書に書かれていたり、その内容を応用したような魔法のほとんどが使われうるため、結局杖ばかり捌いていれば済むわけでなく、結局一冊三百ページ分にわたる冊子の大部分を理解できなければならなかったわけだ。


ミーガンは食堂で皿と皿の間に教科書をおいて家庭教師的なことをしてくれ、夜になってもオレに魔法の勉強を教えてくれた。彼女から効率よく教科書の内容を理解するための時短テクを色々仕込まれたこともあるが、このくだりは、初日からたった三日間で済んでしまった。


 翌日からも、魔法スキルを取り戻すための訓練は続く。魔法の杖から星をシャボン玉のように飛ばすところで、オレは改めて自らの回復の早さを感じた。これは個人的な感想に過ぎないかもしれないが、一から知らないことを覚え、体に染み込ませるよりも、忘れた感覚を体内に蘇らせることの方がスンナリと上手く行きやすいと思った。それとも、オレが天才だから、また技を人並みよりも異常に早くモノにできるようになったとか。いずれにしても、この感想は教科書で習った記憶の再生にも当てはまるものと言えた。


 五日目には、星を一つずつ確実に飛ばせるようになった。見守っていたルナda黒ぶちとミーガンdaキノコの歓喜の声が背中で聞こえたのが感慨深い。


「ああ、そう、これこれ。二年の時よね~。何か懐かしいわ~」

 同じ日の夜、黒ぶちは寮の部屋のベッドに垂直に横たわりながら、教科書を眺めていた。

「呑気にしてるけど、オレのタイムリミットは三週間だぞ? 早くその中身を教えてくれよ」

「私が読んであげましょうか? これでも、結構記憶力優れてますし」

 ミーガンが何気に自身のハイスペックぶりをアピールしてきた。


「いや、アンタはまだ一年生。二年生以降のことは私が教えるから大丈夫だって」

 こんな時に限って黒ぶちが強めの先輩風を吹かせた。


「ああ、そうだ。人間の唾液をもとに作られ、試験管の中で生まれる人造人間サイコリア。私、これ、唾液に混ぜる薬間違えちゃったのよね~。黄色い液体のモスローを入れたら、毛むくじゃらのお猿さんみたいなのが生まれちゃって」

「その毛むくじゃらの猿、たった二日で身長二メートルぐらいまで巨大化して学校メチャメチャにしたよな?」

「何でそれは覚えてるの?」

 黒ぶちが不満げにオレを問う。


「猿が暴れたのは、オレの魔法スキルのせいじゃない。「お前の失敗」というのがメインカテゴリだからな」

「なるほどね。そうそう、青い液体のブロマを混ぜれば良かったわけだ。どうしてここ間違えちゃったのか、未だに謎なのよね~」


 自分の失敗談を能天気に語る黒ぶちに、キノコがやれやれとため息をつく。

「ああ、これも覚えてる! サーチ・モス。これはチャップスって木屑を入れた箱に唾を三滴混ぜれば良かったのよね。私、この時普通の土に唾を混ぜちゃって、二日後特大の蛾を暴れさせて……」


「巨大な猿を暴れさせて一週間後だったよな? そのバカデカイ蛾を暴れさせて、余計学校メチャメチャにしてパニックにさせた」

「私も覚えてます。クラスメートのエイダンくんは『こんなにモンスターが次々と暴れ回るような魔法学校なんか、もう怖過ぎていたくない』と大泣きしてました、男のくせに」


「ちょっと待て、お前、魔法科学の成績悪かったんだよな?」

「うん、特に実験が果てしなく苦手だった」

 元劣等生da黒ぶちは悪びれもせずに答えた。


「それならば、ルナさんが今まで間違えたところを再確認して、『こうすれば正解だったんだ』という形でハーバートにお伝えすればよろしいのでは?」

「ああ、それ名案」

 後輩に自らの劣等生をなでるようにいじられているにも関わらず、黒ぶちは能天気に提案に乗っかった。だが、もうそんなことはどうでもいい。今すぐオレは、魔法に関する知識を取り戻したい。


「もうそれでいいんじゃない? お前の失敗談は覚えていても、人造人間サイコリアやサーチ・モスは魔法生物と定義されているからな。その二体の名前の部分も、オレ自身聞いて初めて思い出せたんだし」

「よし、じゃあ私が今までこの教科書で間違ったこととその正解をどんどん聞かせるわよ~」

 ルナが俄然乗り気で教科書を構えた。


「正解してる分も忘れずよろしくな」

 オレは黒ぶちに一応念を押しておいた。


 また次の日以降になると、オレの訓練はマジック・ファイトの技を覚える段階へと本格化していく。ギャラクシー・ジャケットで飛ばした無数の煌く蜂が、ルナとミーガンを視界に捉えるや、ピンポイントで追いかけ回し二人をいらぬ大パニックに陥れてしまったこともあった。学長の放つ銀色の魔法弾をワン・エイティで跳ね返そうとしても、杖が反応せずまともにボディに一発食らって吹っ飛べば、遠くで女子二人までもが痛そうな顔をしたこともあった。


 極めつけにシロガネの使い方を大体思い出せた日には、光の手裏剣が空中で旋回したかと思うと、オレを追い越して学長の額に思いっきり突き刺さってしまったこともあった。オレは「すみません!」と咄嗟に学長に頭を下げたが、返ってきたのはその脳天に魔法弾を乱射されるという、体罰レベルの過激なアンサーだった。


「疲れたあ」


 ルナda黒ぶちの言葉を聞いた途端、オレは思わず彼女が横たわるベッドに飛び乗り、クモのように彼女に覆い被さった。


「そういうのはお前じゃなくて、オレに先に言わせろっ! こちとら毎日毎日タウルス学長にしごかれまくった上で魔法科学の教科書を三年分猛スピードで復習してんだからな!」

 オレは日頃のストレスをここぞとばかりに活火山の噴火のように解き放った。さすがの.ルナもこれには顔を背けた。


「近い。アンタ、彼女いるんじゃないの? それもお姫様の彼女が。それとも、私にこうするってことは、本心では私のことが」

「好きでこうしてんじゃねえんだよ!」


「ええ? じゃあ私を使って愛の予行演習でもするつもり? ほら、ここ本当はエメラインが使うはずだったベッドなんでしょ?」

「その果てしない勘違い、ムカムカするからいい加減やめろ! 口をつぐめ、このナルシストda黒ぶち!」


 その時、ルナが唐突にオレを押し返してきた。オレは有無を言わされずベッドから転げ落ちる。

「劣等生は仕方ないとして、ナルシストって何よ! 私がいつからそうなった!?」

「この学校で初めてお前が実験で薬爆発させた時からだ。正直言ってお前には出逢って一秒目からたった今まで、一貫してその気はない。お前がひたすら一方的にオレにクサい口説き台詞を垂れ流しているだけだからな!」


「しょうがないでしょ! だって格好いいんだもん。だってその涼しい目と自然味溢れるバランスの顔立ちがまず素晴らしいし、魔術師としてもいかにも天才的なスキルって感じだったし、強い人と付き合えたら私もいい女に見えるかなって思ったし!」


「何だよ、お前結局、オレの強さになびいてるだけか。それじゃあただのファンと一緒だ」

「へっ?」

 ルナが気の抜けた声を漏らす。

「強さになびくこと自体はいい。だが結局、仮にもオレをいち男として見てるわけじゃないんだろう? 強い奴と付き合ってれば自分もいい女に見える、それはただの虚栄心だ!」


「きょ、虚栄心……?」

「お前はただの見栄っ張りだ。それじゃあ劣等生も無理ねえな。そんな不純な気持ちをいつも持ち続けているから、魔法でいつも失敗するんだろうが!」

「何よ、これでも最近、実験で爆発起こさなくなったのよ! マシな存在になったのよ! そこぐらい評価してよね!」

 ルナがムキになって反論すればするほど、オレも意地になるしかなかった。


「うるせえ! 所詮マシになったぐらいで偉そうになるな! オレはそんな低次元の話で満足するようなタチじゃねえ! オレはなあ、お前らが今まで人生で背負ってきたものより、遥かにデカいもの背負っての戦いが控えてんだ! 分かるか? オレはペドラ国そのものの運命を背負った人間だぞ!」


「ブラッドに魔法スキルを奪われてゼロの魔術師になったくせに!」

 ルナががなり立てながら、ベッドから立ち上がる。

「そこからまた成り上がろうと今、馬車馬みたいに必死こいてるんでしょ! それのどこが私と違うのよ! そんな無様晒しまくって、何が『ペドラ国そのものの運命を背負った人間』ですって! 見損なったわ! アンタの方がよっぽど浮き足立った意地っ張りよ! もういいわ! そんなに自分が偉いんだったら、勝手にすれば! アンタなんか、ブラッドにまたボコボコにやられて、『お姫様取られた~』って毎日泣き暮らしていればいいのよ!」


 ルナda黒ぶちは大振りにオレの頬へ一発見舞うと、足をドンドン踏み鳴らして怒りを表しながら、部屋を抜け出してしまった。彼女が去った後の扉は、大開きのまま放ったらかされた。


 静まり返った部屋の中で唯一動くのは、部屋の両側面の燭台にゆらめく炎ぐらいだった。


「仕方ないですね……」

 ミーガンdaキノコが静かに呟きながら、扉を閉めようとした。そのとき、扉が閉まりきる寸前で、奥の方で何かがつっかえた。

「すみません」


 ミーガンが慌てて扉を戻しながら謝る。戸口に立っていたのは、タウルス学長だった。

「少し話をさせてもらえないか?」

「是非、お願いします」

 ミーガンはアッサリと学長の申し出を受け入れた。


「ほお、ケンカしてしまったのか」

「いや、別に、恋人同士の痴話喧嘩じゃないですよ。あの人はオレにとって、あくまでも知人の女の子ですから」

 オレは先ほどまでの一部始終を正直に学長に話していた。学長は先ほどまで黒ぶちが座っていたベッドに、荘厳に満ちた佇まいで腰かけていた。


「よく分かった。さすがに毎日練習、勉強、練習、勉強では、そりゃストレスだってたまるだろう。ましてや今の君の状況じゃあ、そのストレスのたまり方も尋常じゃなかった。どうやら我々は、国の命運を賭けた戦いを制すという目標に夢中になり過ぎるあまり、そのストレスに対して無頓着になっていたようだな」


「ここらで少し、息抜きをすべきですか?」

 ミーガンdaキノコがおそるおそる学長に問いかける。

「そうだな、少し外に出よう」


「夕食後の外出は禁止ですよね?」

 ミーガンが心配そうな表情になる。

「安心しろ。私の許可だ。と言うか私が付き添うからな。今は外の新鮮な空気を吸ってリフレッシュすることが大切だ」


 そんなわけで、オレたち三人はそれぞれカンテラを持って、校門の外に出た。そこを抜けて敷地の東沿いを歩くと、ガーディアンズ・フォレストと呼ばれる森に入る。ここの近くでは、森から南東の向きに川が流れていることもあり、瑞々しい音がかすかに聞こえる。ひんやりとしながらも、どこか生ける物への愛情を感じる清々しい空気を感じる。


「どうだ? リフレッシュできるかい?」

「確かに、気持ちいい空気ですね」

「ハーバートくんは、ここに来たことがありますか?」

「あるよ。魔法の練習の時に」


「どうやら、ちゃんとガーディアンズ・フォレストの空気を味わったことがないようだな」

 オレは何かちょっぴり恥ずかしくなって、肩をすくめる。

「さあ、深呼吸してごらん」


 タウルス学長に言われるままに、オレは大きく息を吸い込んだ。そのとき、今まで本格的に味わったことのない、神秘的なオーラでも帯びているのかと思うような気体が、オレの口や鼻へと流れ込んでくるのを感じた。そのとき、ルナに対するギスギスした思い、魔法スキルを早く取り戻さなきゃという焦り、一国の運命を背負い魔法強盗ブラッドと戦わなければならないプレッシャーといった負の感情が、絡まったヒモが独りでにスムーズにほどかれていくような形で整理されていった。


「おお、何だかスッキリした顔つきになったぞ」

「そうですか?」

 タウルス学長が懐から手鏡をオレに差し出してくる。そこに映ったオレの顔は、何だか落ち着いている。地に足をつけ、本当の意味で現実をしっかりと見据えたかのように、無駄な力みがなく、整然とまとまった顔だ。


 ミーガンが手鏡の隣から、オレの顔を覗き込む。

「何か、吹っ切れました?」

「どうかな?」

 オレの顔から自然に笑みがこぼれた。


「ハーバート?」

 突然差し込んできた女子の声に、オレは振り向かされた。

「ルナ」

 彼女はカンテラを持ち、物憂げな顔でこちらを見ていた。


「話は聞いたぞ。ハーバートと諍いを起こしたようだな」

「す、すみません……」

 ルナはいかにも申し訳ないという声色で頭を下げた。

「まあまあ、君もこちらへ来なさい」

 学長に促され、ルナは二、三メートル分、遠慮であろう理由で離していた距離を詰めた。


「ハーバート、さっきはキツいこと言ったりして、ごめんね」

「いや、オレの方こそ、悪かった。オレが魔法スキルを取り戻してブラッドと戦えるように、懸命にサポートしてくれたんだよな」

「それじゃあ、私のこと、許してくれるの?」

「当然だろ」

「ありがとう!」

 ルナはカンテラを置くや否や、オレを力一杯に抱きしめた。オレは急な力のかかりように困惑しながらも、ありのまま受け入れることにした。


「ルナよ、いくら友達とケンカしたからといって、一人で勝手に外へ飛び出てしまうのは浅はかだぞ」

「すみません……」

 ルナはハグを解いて、学長に頭を下げる。


「この森では、時折、魔獣が姿を現すからな。中には死人の魂が変形してできた蘇生魔獣なんてものもうろついておる。その代表例が、リバイバル・レオだ」

「リバイバル・レオですか?」

 オレは何気なくタウルス学長に聞き返した。


「ああ、そいつは人の魂に棲みつけば、スピリット・レオとなる。つまりスピリット系の魔獣。権力のある者ない者、老若男女問わず、悪さをする者はいやしないかといつも監視しておるからな」


「スピリット・レオ……」

 突然に自分の魂の中に棲み付いた獣の話をされて、オレは、それこそ矢が腹を一直線に貫いたかのような衝撃に襲われていた。


「すみません。実はオレの胸の奥は、時折、制服越しに紫色の光が煌くようになっているんですが」

「ああ、それこそスピリット・レオだな」

 タウルス学長はさも日常の習慣みたいな調子で語った。オレは改めて自分の胸を見下ろした。その時何かが起きていたわけではないが、レオが力強くオレの中で生きている鼓動を感じた。


「さあ、そろそろ帰ろうか。また明日からも、ハーバートには練習があり、ミーガンやルナには授業があるからな」

 タウルス学長に従う形で、オレたち三人は森から引き返す。

「あれ、ルナさん、カンテラは……?」

 ミーガンの指摘に、ルナが無言でカンテラを拾いに戻り、何食わぬ顔で立ち止まったオレたちのところに早足で戻った。


「それじゃあ、改めて帰るとしよう」

「「「はい」」」


 痛みの三週間も残り三分の一になると、遂に同じ学校の魔術師を招き、マジック・ファイトの実戦練習が始まった。一応、この地点では何とか、ユースチャンピオンに輝いた時に使えていた技の八割ぐらいは再習得できているつもりだったし、その過程でタウルス学長からちょっとした新技も仕込まれている。その分もカウントしたら魔法スキルのコンディションは喪失前の九割近くにまで戻っていると見ていた。


「それじゃあ、お願いします……」

 オレが抵抗気味な声で対戦相手に頼み込んだのは、それがダニエル・パーシー、つまり「ウザいゴーレム」だったからだ。

「よおし、じゃあこのオレが勝ったら、エメラインは」

「どうするか知らないがお前の頼みは聞いとらん!」


 いきなりの横柄な宣言を遮るという、タウルス学長の見事なカットインである。

「とにかく、ハーバート、お前なんか所詮、空っぽのヘッポコだ! そんな今のお前など、オレが指先一つで倒してやるぜ! 行くぞ、ロック・マシンガン!」

 ダニエルdaゴーレムが杖の先で銅色に輝くコアから繰り出したのは、文字通り石ころの無差別砲撃である。マジでおっかねえと肝を冷やしながら、オレは横に逸れたり、転がったりして必死に避ける。


 オレは攻撃を避ける余りダニエルから遠ざかった距離を走って詰めようとした。


「コカロック!」


 ゴキブリが丸まったみたいな石ころが、ゴーレムの下を向いた杖の先から無数に飛び出してきた。オレはたまらずソイツらを踏んづけてしまった。虫にしては到底強固で、一度踏んだだけで憎いほど絶妙な丸みを感じるや否や、オレはバランスを崩して、尻餅をついてしまった。ちなみに尻もちを突いた先もコカロックの大群で、そのうちの一匹を、オレの尻のど真ん中がまともに直撃し、体幹に痺れにも似たショックが流れる。


「アッハッハッハッハ! 何だよお前、やっぱりスキル戻ってねえじゃん! やっぱりコイツ、ただのヘボ人間だな。ヘボはヘボらしく、一年生の教室にでも引っ込んでな!」

 ダニエルの勝ち誇ったような罵倒で、オレの頭に血が上る感覚が確実に伝わってきた。

「ギャラクシー・ジャケット!」


 オレは高らかに技を叫ぶとともに、ゴーレムに着き出した杖から大量の輝く蜂を繰り出した。

「うわあああああっ!」

 ダニエルは慌てて避けようとして横へ転倒した。蜂たちは容赦なくダニエルに群がる。

「痛い! やめて! マジで刺さってる! マジでチクチク来てるから!」


「新技の時間だ。オリオン・ドライブ!」

 オレの妖艶なアジサイにも似た色彩の粒子を大量に繰り出し、ダニエルを包み込んだ。奴は何故自分が怪しい輝きに包まれているのか理解できないようで、目が点になっている。

「うりゃあああああっ!」

 オレは杖を、まるで釣り竿を池に勢い良く投げ打つかのように杖を捌いた。すると、ダニエルは絶叫しながら、オレの杖の動きに合わせて、問答無用で宙を舞った。


 かくしてダニエルdaウザいゴーレムは、綺麗に前転したうえで、背中から床へと激しく叩きつけられ、ノックダウン状態になった。


「勝者、ハーバート・ギャラクシアス!」

「よっしゃあああああっ!」

 ダニエルに見せつけるように、オレは雄叫びで勝ち名乗りを上げた。正直言って、ユースチャンピオンになった時はまた一味違った喜びが味わえた。魔法スキルがある程度蘇った嬉しさと、今正に、目の上のたんこぶを叩き潰した快感が重なっているのだ。ダニエルのような嫌味人間により燻らされた日常が、一気に晴れ渡った爽快感がそこにはあった。


「どうやら、ハーバートの魔法スキルは大分復活してきたようだな」

「これで、ペドラ国の秩序、取り戻せますよね?」

 オレは心の隅にちょっとした不安の種を感じながら学長を問うた。

「それは、あくまでも君次第だ」


「どういうことですか?」

「あくまでも君の気持ち次第ということだ」

 その言葉の意味はオレには分かっていた。だが、言葉で分かっていても、オレはブラッドと向かい合った時、すなわちペドラ国の命運を背負って戦いに挑む時、最後までずっとその気持ちを微塵も弱められずにいられるかどうか、自分で保証しきれなかった。

「今日の訓練はこれにて終了する」


 タウルス学長が悠然と去っていく。オレがそれを見送っていると、ダニエルが痛そうにお腹を抱えながら出口に進み、こちらを振り向いてきた。

「今日はこれぐらいで勘弁してやる。オレの本気を見たらお前、チビっちゃうからな!」

 強がり方まで何かウザい。ともかく、そんなダニエルはフラフラになりながらも講堂を後にした。


 一人取り残された講堂で、オレはタウルス学長の言葉を何度も頭の中でリピートさせていた。


 オレはちょっとしたモヤモヤを抱えたまま寮の自分の部屋に戻ってきた。しかし、中から泣き声が漏れ聞こえている。それも一人、二人だけじゃない。複数の女子の泣き声が重なり合っているみたいだ。

 女子たちの号泣が集合体と化せば、それは超音波と似て耳障りにさえ思えてくる。だから正直入りづらい。でもここはオレの部屋だ。こんな怪奇現象紛いのようなことぐらいで部屋を諦めるのはさすがに男のプライドが許さないってものだ。


 オレは意を決して扉を開いた。


 中にいた女子たちは、やはりとも言うべきか、ルナda黒ぶちとミーガンdaキノコの他に二人いた。アシュリーは妹のミーガンと、マリアはルナと、それぞれ抱き合いながら涙を流していた。その二人はもはや顔見知りでは済まないほどの知り合いであることも、ハッキリと分かった。


「アシュリー!? マリア!?」

 アシュリーda屍とマリアdaマジメだけでなく、ミーガンとルナも泣き腫らした顔でこちらを向いてきた。特にアシュリーに至っては、顔中が傷だらけで痛々しかった。抱き合った腕は四人とも互いに放さないままだった。オレは思わず彼女たちのもとへ駆け寄った。


「まさか君たち……!」

「そうなのよ、この人たちの話を聞いたら超泣けてくるの」

 黒ぶちが半ば甘えるような姿勢でオレに訴えかけてきた。

「我々は、逃げてきた!」

「シャドウによる強制労働から命からがら、抜け出してきました!」

 アシュリーとマリアの思いつめたような声色が、壮絶な背景を示唆していた。


「ミーガンよ、お前の顔をこうして再び拝めるなど、今の私にとっては奇跡の域さえ越えている! 形はどうあれ、お前と同じ空間にまたいられる嬉しさほど、言葉にしがたいものはないぞ!」

「それは私も一緒です! 私もお姉ちゃんにまた会えて嬉しい! シャドウにさらわれたと知った時はもう二度と会えないと思ったからなおさら嬉しい!」


 アシュリーとミーガンは、姉妹同士の再会を、感情的に泣きじゃくりながら喜び、再び互いに抱きしめあった。まるで長年生き別れた者同士のように互いの感触を確かめ合う二人の様子は、オレでさえも場違いと思わせるほどのシリアスさも含んでいた。


「ひとつ聞いていいかな? 君たちは、プリヴェンショナーで魔法スキル喪失の対策をしていたんじゃ……」

「すみませんが、その対策も役には立ちませんでした。

 残念そうに語るマリアの言葉は、オレにとって予想だにしないものだった。


「ブラッドの手招きで一人の魔術師が現れたんです。その人のアクア・トルネードで、反乱党のメンバーがまとっていたプリヴェンショナーは一斉に洗い流されてしまったんです」


「アクア・トルネード!?」


 オレはその技名に驚かされた。いや、正直その技の主は、オレの想定通りであって欲しくなかった。

「その技の主は、ヴィクター・ザルツマン」

 アシュリーから名前を聞いたオレは絶句した。あの時、ユースチャンピオンシップで決勝を戦った少年が、ブラッドと手を組んでいたなんて、にわかに信じられなかった。


「そのザルツマンが、シャドウのメンバーだったってワケか?」

「はい」

 オレは思わずヒザを突いた。


「ハーバート、大丈夫?」

 ルナが心配そうにオレに声をかける。

「大丈夫だ……」

 オレは気丈さをアピールした。


「アシュリー、マリア、話を続けてくれないか?」

「ザルツマンによる攻撃の後だ。ドレイン・ドラゴンにより反乱党のメンバーは一人残らず、あの忌まわしきブレスで魔法スキルの一切を奪われてしまった」

「私たちは強制収容並びに強制労働の憂き目を見る羽目になりました」

「君が奴を倒すまでの三週間の我慢だと思って言い聞かせたが、正直言って労働の内容は我々の覚悟を上回るほどの壮絶さを極めていた」


「休息も食事も満足に与えられませんでした。その状態で、反乱党は細かいグループに分けられて他の労働者たちと合流する形になりました。あるグループは一日中ゼウスシティ中の建物を黒ペンキで塗ったり、あるグループは、シャドウのシンボルとなる外套をひたすら製作し続けたりしていました」


「私とマリアは同じグループだったが、よりによって、別の現場へ働きにいくメンバーたちを直接抱えて騎馬で送っていけって言われた。労働者を送り迎えするはずの馬車があるはずだろうと返したら、ブラッドは『馬車は突然全部消えちまったんだ!』って怒鳴り散らしやがって」


「私たちは騎馬で男の労働者を下から支えて送ることになりました。一人を四人で支えるはずが、リーダーは途中で早速、『私はだるいからあとは三人でやってくれ』と告げて抜け出したところ……」


「クソみたいなブラッドの、クソみたいな手下三人に見つかって、クソみたいにワーキャー言われながら、クソみたいなムチで叩かれまくった」

 アシュリーの根深い怨念がこもった言葉には、さすがにオレも戦慄をした。


「そんな感じでリーダーは、幾度となく抜け出そうとしては、シャドウからの激しい暴力にさらされ、ベガ王室とは名ばかりの監獄へと連れ戻されてきましたね」


「そこはあんまりしっかり話さないでくれるかな? ただでさえ反乱党エイルシティ支部は屈辱にまみれているんだ」

 アシュリーda屍は謎のプライドを振りかざすことには懲りない様子だった。と言うより、この地点でブラッドの暴君ぶりは、プライドのない奴でも腹に据えかねないものだろうなと、反乱党の二人から伝わってきた。


「ハーバートよ、お願いだ。反乱党を救って欲しい。もちろん、ペドラ国自体もだ」

 正座したまま一歩踏み出したアシュリーの眠そうな目が、この時は引き締まっている。真剣にオレに訴えかけてきている証だ。


「分かった。これ以上被害者を出すワケにはいかねえ。いや、もう充分被害者が出尽くしたとも思える。そうだとしたらなおさらオレだって悔しい」

「私の願いを受け取ってくれるか」

「しっかり受け取った。しっかり受け取って、アイツの顔面に思いっきりぶつけてやるよ。だから、みんなで一緒にこの言葉を叫んでくれないか? オレが床を叩いて合図するから」


 オレは両拳を床に思いっきり突き立てて合図を送ると同時に、天を仰いで皆と叫んだ。


「「「あのクソ魔法スキル強盗め!」」」


「これを以って、痛みの三週間も終わりだ。あとは試合当日の朝が来るまで、ゆっくりと休め」

「ありがとうございます」


 タウルス学長が去り行く背中を見つめながら、オレは床の上で横になっていた。過酷極まりない三週間のトレーニング期間の疲れもあるだろうが、何よりも過酷な時から解放されたのだと思うと、急に体に力が入らなくなったというのが大きい。


 決してスパーリングで誰かにやられたわけじゃない。その証拠に、金髪角刈りゾンビのデン・ハートがオレの傍らで目を回してぶっ倒れてやがる。

「あ、あんな技、見たことないんですけど……」

 そのゾンビの声色はもはや例えでなく、本当のゾンビに相当するほど、力のないものだった。


「はい、立って」

 そう言いながらルナda黒ぶちが何故かオレの顔の上に一枚の紙を被せてくる。

「あのな、オレが死んだわけじゃないんですけど」

 やんわりルナに注意しながら、オレは紙を取り払う。それは、オレとブラッドの、国の命運をかけた戦いが、ペドラ国立闘技場で行われることを知らせるポスターだった。


 ポスターの中央部には、オレとブラッドの顔が大々的に載せられている。上部には、”Heaven or Hell”と記されていた。

「私、信じてる。ハーバートなら、ペドラ国を天国に導いてくれるって」

「……どうだろうかな?」


 オレは思わず、弱気なことを言っちまった。それじゃあダメなのは分かっている。だが、だが、この時のオレには、見えないものが迫り来るのが分かっていた。それはオレがポスターを眺めるうちに、嫌が応でも感づいてしまうものだった。

「もしかして、不安なのですか?」


「いや、不安なんじゃないさ」

 オレは立ち上がり、二人と向き合った。

「ただ、これだけは聞かせてほしい。オレは明日、全力を尽くす。いや、全身全霊、魂の隅々、この命も魂も、骨の髄まで灰になる覚悟で戦うよ」


「ハーバート……」

 オレの思い切った言葉に、ルナda黒ぶちが思わず声を漏らす。ミーガン共々、圧倒されているようだが、オレは構わず続けた。

「もしオレがどんなことになっても、オレが今までマジック・ファイターとして誇りを持って生きてきたことを忘れてないでくれ」


「どうしたのですか、そんなに改まって」

「これからオレは聖戦に向かうんだ。エメラインの笑顔や国の秩序を取り戻さなきゃいけない。それは充分に分かっている。だからこそ、何か今は、妙な苦しさを感じる。胸の奥が騒いでいる。スピリット・レオでも暴れているのかな?」


「ハーバート、自分を信じて」

 ルナがオレの間近に歩み寄ってきた。オレはルナの真顔が、それまでの真顔とは違って見えた。

「アンタ、自分で天才って言ってたじゃない」

 その瞬間、オレの脳裏には、ユースチャンピオンシップで、栄光を誇る自分の姿が浮かび上がった。


「そうだ、オレ、天才なんだ」

「その通りよ、ハーバートにできないことはないの。アンタはチャンピオンになるだけじゃない、ヒーローにだってなれるのよ」

「そうだ、オレこそがヒーローだ」

 オレのなかで、ポジティブなものが沸々と湧き上がってくるのを感じた。決してそれがスピリット・レオによるものでないことも分かっていた。


「その心意気で、邪悪なブラッドなんか倒しちゃいなよ。最強のマジック・ファイターは、アンタなのよ!」

「そうだ、オレは最強なんだ!」

 オレはすっかりルナda黒ぶちに乗せられて、客らしい客もいない講堂で拳を突き上げてみせた。


「じゃあ、ミーガン、部屋に戻るわよ」

 黒ぶちは急に真顔になり、二人で講堂の出口へ向かった。オレはちょっと慌てて「おい、待てよ」とか言いながら二人を追った。

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