四章:人生には「夜明け」というものがあるそうだ

 二日間の入院後、オレはあの悪夢の時とは別の空飛ぶ馬車に乗って、魔法学校の寮に帰ってきた。馬車から降りるなり、寮の前でみんながオレの快気を祝おうと待ち構えている。


「おかえり!」

「大丈夫か!」

「待たせてんじゃねえよ!」


 同じ学校の生徒たちが一斉にオレをはやし立てる。劣等生da黒ぶちのルナも最前列でオレに手を振っていた。

「ああ、ちょっといいかな?」

 オレがそう声を上げると、みんなが静まる。


「実は今、ここに来たのはオレだけじゃなくてな」

 前置きしてから、馬車の中に目を向ける。


「降りるよ」


 オレはエメラインが降りるのを手助けしようと右手を伸ばす。激しく震える手にエメラインが不思議そうな顔をしたので、オレは左手で震えを押さえ、「何でもない」とばかりに愛想笑いして見せた。お姫様とこんなに早くスキンシップすることになるなんて、夢にも思わなかったけど、こんな状況で言い訳は通用しないと思った。エメラインは何とかオレを信頼して右手を繋ぎ返してくれた。


 畑の花が一斉に開く様を見たかのように、オレは安心してエメラインに微笑みを返した。肩の強張りに薄々気づいていたけど、ここまでできただけでも、チャンピオンになったのと同じくらい自分を手放しで褒めたい。エメラインは悠然と馬車の階段を降りていく。

「あれ、ベガ王室のお姫様だろ?」

「もしかして、できちまったのか?」

「どういうことか説明してくれねえか!?」


「おーい、あんまり騒ぐなよ、彼女はワケあってここに来なきゃいけなくなったんだよ。詳しい事情は中で話すから。ほら、どいてくれねえか?」


 オレは野次馬と化した寮生たちをいなすと、彼らも王室の方と接する時の最低限の常識はわきまえているようで、さっと二手に分かれてオレたちに道を空けてくれた。オレは心置きなく扉を前にした。

「さあ、エメライン。ここがオレたちの住処、とでも言うべきかな」

 オレはお姫様に優しく話しかけてから、扉を開いた。


「何か動きがギコチないわね」

「うるせえ、ルナda黒ぶちは黙ってろ」

 オレはルナにノールックでツッコみながら中へ入った。後続の者たちも興味深々とオレたちに追従してきた。


「皆さんに二つお知らせがあります」

 オレは寮の大部屋の窓側のソファーに立ち、堂々と報告の体勢に入った。隣でエメラインは背筋を伸ばし、おしとやかにソファーに収まっている。


「まずはこれですね。みんなも知ってると思うけど、オレはマジック・ファイトのユースチャンピオンになりました!」


 オレは精一杯に拳を突き上げ、喜びを報告し、拍手喝采を浴びた。だがこの喜びの裏に、その後に起きた悲劇に伴う後ろめたさが漂っていて、オレは心中でそれを必死にこらえてもいた。


「その次は……」

「魔法スキルを奪われたんでしょ?」

 エメラインが急に立ち上がり、オレの耳元で囁いた。オレは不意にお姫様に耳打ちされたことと、嫌な核心を突かれたダブルの衝撃で震え上がってしまった。オレはエメラインに申し訳なさげに指で×印をちらつかせ、横に伏せた手のひらを下へ動かすサインで座るように促した。エメラインはちょっと不満そうにソファーに戻る。


「ここにいるペドラのお姫様であるエメラインは、しばらくここにいます」

 その瞬間、寮生たちが一斉にザワついた。まあ当然だ。王室にいた高嶺の花のような存在が、毎日自分たちの、て言うかオレの身近にい続けることになるのは正直、想定外である。引き替えとして失ったものが大きすぎるのは別としてだ。


「すみません、実は王室で祝勝する予定のギャラクシアスさんを待っていたら、突如クーデターが起こったのです。犯人は私が以前付き合っていた青年で、引き連れていた黒い竜が私の両親から魔法スキルの一切を吸い上げてしまいました」


 エメラインの告白に、寮生のざわつきようがただならぬものに変わった。


「ギャラクシアスさんも、魔法スキルの一切を……」


「ちょっと待って!」


 オレは焦ってエメラインを止めようとしたが、一歩遅くて、周囲に事の重大さが知れ渡ってしまった。


「もしかして、ハーバートは今、魔法スキルが空っぽなんですか?」


「はい」


 ルナの質問に対してアッサリと即答するエメラインに、オレは頭を抱えて首を振り、現実逃避に躍起になった。


「じゃあ、コイツ今、ド素人?」

「だったらチャンピオンじゃねえじゃん」

「今までさんざん自分を天才だなんて偉そうにのたまっていながら、簡単にスキルを明け渡したのか。コイツ大したことねえな」


「ちょっと待ってください。今はその話が大切なのでは……」

 エメラインは慌てて弁解しようとするが、寮生のほとんどはオレに対して罵詈雑言を撒き散らしながら、それぞれの出口へとハケていった。今、大部屋に残っているのは、オレとエメライン、そしてルナだけだった。


「これは悪夢だあっ! 悪夢だ、悪夢だ、悪夢だあああああっ!」


 オレはその場に蹲(うずくま)り、再び現実逃避に躍起になった。


「仕方ないじゃん、お姫様は列記とした事実を告げたんだから。今、ここで魔法スキルを失ったことを隠し通して変に苦しむよりはマシだと思うわよ」

「うるせえ、お前に言われたかねえんだよ!」

 オレはやけくそにルナに怒鳴り散らした。


「ハーバート・ギャラクシアスくん、お立ちください」

 エメラインが冷静な口調でオレに話しかけてきたので、オレはお姫様のおっしゃった通りにした。

「あなたは今、自分が魔法スキルを失い、無力の存在となったことが信じられないんですね」

「はい」

 エメラインの穏やかな語り口に知らず知らずに乗る形で、オレは返事をした。


「無力となって苦しんでいるのはあなただけではございません。私のお父様とお母様もそうでございます。それでも私の両親は、王室へ侵攻した敵に屈することなく、戦っておられることかと思います」

「魔法スキルがなくて、どうやってあんな奴と戦うって言うんだ。自分だけ逃げ出して、王室の様子をちゃんと見てないんだろう」


「はい、それでも私は、ご両親を信じております」

「何を信じるんだよ・・・・・・」

 オレはうわ言のように嘆いた。

「かのお父様は私にこう言い聞かせてくれました。『夜明けの訪れは真理なり』と。国王になる前、魔法戦争を幾度となく体験した父は、その手で幾度となく、戦乱の世に平穏を取り戻してきたことが評価され、ペドラ国の王となられたのです」


「でも、魔法スキルを全部奪われるなんて悲惨な目には遭ったことないだろ?」

「確かにそうかもしれません。しかし、お父様は、戦う魔術師として最も大切なものは、スキルではなく、ハートだと語られました」

「ハート……?」


「ええ、目の前の巨大な困難を乗り越えるには、それを果たそうという強いハートが大切なんだと語られました。スキルはハートを表すための手段のひとつなのです」

「我が国の王は、そんなことを」


 オレはエメラインのお父様の偉大なる言葉に聞き入っていた。

「あなたが王者となれたのも、ただスキルが強かっただけではない、優勝しようという強いハートがあったからなのです」

 かすかに微笑みながら、しかし力強く語るエメラインに、オレはすっかり圧倒されていた。オレは思わず、そのハートを確かめるかのように、自分の胸を押さえた。


「オレにも、あるのか、強いハートが」

「ええ、そのハートの持ち主なら、華麗なる魔法スキルを取り戻せるでしょう。私はあなたを信じております」

 オレは今ひとつ実感しきれず、エメラインの顔を見つめ返すしかなかった。その時、唐突に大部屋の扉が開かれた。


「ルナちゃん、今日の夕食はお祝いだって」

「ケリー? お祝いって何なの?」

「ほら、アンタ、今日で初めて魔法化学の実験で爆発を起こさなかったでしょ」

「あっ、そうだった」


 ルナはとぼけた調子で舌を出した。

「ちょっと待て、お前、遂に爆発を起こさなかったのか?」

「その通り」

 違う意味での信じがたい現実に、オレはまた自分が夢の中にいるみたいになった。


「これもお姫様が言っていた夜明けの訪れね。私が化学の実験で失敗し続けていた時を夜とするなら、失敗しなくなった時は、朝が来たってことなのよ」

「朝が来た……」

 オレはオウム返しに声を漏らした。


「しょんぼりしちゃダメ。私だって色々苦労してるけど、こうやって成長するんだから。ハーバートも一緒に成長しようよ」

 

「じゃあ、食堂で待ってるからね」

 ルナはそう言い残すと、ケリーに続く形で大部屋を後にした。オレはただ彼女たちを見送るだけだった。

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