第十八話 Octopusuun

 ん……。

 何時間寝たのだろうか。いい加減寝過ぎで逆に頭が痛くなってきた。


 輝かしい高校生の休日に一人で昼までぐっすり眠っていた彼は、起きる前の最後の悪足掻きとでも言うかのように、枕に強く顔を押し付けた。


「あー……」


 特に意味は無いが何故か声がため息のように漏れ出す。

 やがてムクリと起き上がり、半開きの目で時計を確認する。


「二時、か……。」


 少しボーッとした後、眠気を振り払うかのように勢いをつけて陸人は立ち上がった。そしてニヤッと笑うと階段を豪快に駆け下りた。

 リビングについた少年はある物を手に取りスイッチを入れる。


「俺は今までの俺じゃあない。

 ゲームの、いや、この世界の主人公なんだ!」


 そう言うと少年は手に取った物を輝かしい目で見つめ、上に掲げる。


「このOctopusuunのなぁ!!!」


 少年が手にしている物、それは任侠堂から発売された最新ゲーム、Octopusuun。新しい操作性に独特な音楽とキャラで若者から多大な人気を博している。


『マンメンミー!』


 ゲーム画面から大音量で音声が流れる。

 これはこのゲームでの挨拶とか、なんか色んな使い方ができる言葉である。現実世界で言う『ウィッス』みたいな感じ。とりあえず言っとけば何とかなるやつだ。


「マンメンミ~!!」


 今度は画面でなく陸人が大声でゲーム画面に返事をしている。

 客観視するとただの不審者である。主観でも不審者であった。しかし彼のテンションが上がるのも仕方ないことに思える。だって、高校生だもの。


「マンメンミィ~(泣)」


 興奮が最高潮にあがった陸人が感涙を流し始めた。やばい奴である。

 しかし昨日密林から届き、プレイをまだしていなかった陸人にとっては待ち望んだ瞬間だったのであろう。待ちに待ったゲームの電源を入れる瞬間、とてつもなく高揚してしまう気持ちは分からないでもない。

 そんな陸人、遂に念願の初プレイを……


 バッ


 しようとしたその時だった。

 自分の手元からゲーム機が急に無くなったのだ。突然の事に陸人が動揺しているとすぐ後ろから女の声が聞こえてきた。


「貴方……既に吸血鬼との戦いは始まったというのにどれだけ家に籠っているつもりなんですか。

 何か深刻な理由でもあるのかと来てみたら奇声をあげながらゲームとは……これはもう没収です!」


「マンメンミィ…(絶望)」


 陸人の背後に立っていたのは片手でゲーム機を取り上げるヒサメであった。

 まるで引き籠りの息子を連れ出すおかんのように仁王立ちをするヒサメは陸人に説教を始める。


「まずですね! 貴方には危機感というものが無いんですか!

 こうしている間にも犠牲者が出ているというのに貴方という人は毎日ぐーたら食っちゃ寝食っちゃ寝、人間性が腐っているとしか思えません!」


「い、いやぁほら、俺も母さんが死んだり色んな事があってちょっとインターバルみたいなのが欲しかったー、みたいな?」


 俺がその話をするとヒサメの表情が曇った。


 殴打の一発でもされると思ったけど、俺が母さんの話を引き合いに出したからか。

 ヒサメは一般的に言ういい奴なんだろう。恐らく俺に気を使ってくれているんだ。退院してから俺が二週間も引き籠っても何も言ってこなかったし、今日だって心配して見に来てくれたんだもんな。

 ヒサメには感謝しないといけない。


 するとヒサメは斜め下に視線を移し、口を尖らせ自分の髪をいじり始めた。


「そ、それは私だって気の毒だと思っていますよ。だから今日だって心配して見に来たんじゃないですか。

 二週間も音信不通でこちらがどれだけ心配したと思っているんですか…。」


 めっちゃええ子やん……。出来るだけヒサメには下ネタとか振らないようにしよう……


「あぁ、もう! まだ元気が出ないんですか?! 私に手伝えることがあれば何でもしますから早く元気をを出してください!」


「今何でもするって言った?」


 突如陸人の瞳が輝いた。

 先程の淡い決心は既に陸人の頭からは消え去っていた。


「ど、どうしたんですかいきなり。そんな急に真剣な表情になって。」


 何でもする、do anything。そう彼女は言ったんだ。

 do anythingってことはI’want make loveもいいってことだよな? 性の喜びを知ってもいいってことだよな?!

 そう勝手に解釈した陸人は既に今までの陸人では無くなっていた。後の事を考えず欲望に突き進むその姿はまるで『野獣』そのものであった。


「そ、それじゃあ服を脱いで股を開いて……」

「殺しますよ?」

「調子に乗ってすいませんでした。」


 睨まれた瞬間土下座をするその姿はただの『ピエロ』であった。

 そんな陸人の姿を見てヒサメは一つため息をつく。


「はぁ、全くしょうがない人ですね。

 今からゲームの設定でこの街に増えた施設などがあるので案内しますから、もう顔をあげてください。」


 陸人は恐る恐る顔を上げヒサメの様子を伺う。するとヒサメは陸人に手を差し伸べた。


「いつまでそんなウジウジしてるんですか。

 さぁ、皆も待ってます。早く行きましょう。」


 陸人はヒサメの手を借りて立ち上がる。そして、久しぶりに玄関の扉を開いた。すると目の前には、俺が生まれた時からずっと見てきたいつもの街並みがあった。

 この景色を見ると本当にこれがゲームの世界になったのかと疑わしく思えてしまう。

 しかし、今この街は吸血鬼に支配されようとしているのは実際に身をもって体験している事なのだ。この景色ももう二度と見られなくなるかもしれない。


 陸人は靴を履き終え、外に足を踏み出した。憎たらしいほどの光が体に降り注ぐ。

 二週間もサボった手前皆とどんな顔をして会おうか、そんな事を考えながら陸人は遂に、ゲームの世界となった街に足を踏み入れた。

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