彼女の美味

ヤマタ

彼女の美味

「君は、富士ふじさんのことが好きだろ?」

 何気なく、それでいて大胆な俺の問いかけに、コックコートを着た後輩の男子高校生、りきがとぼけた返事を寄こしてきた。

「僕は別に、日本最高峰の山に興味ありません」

「いや、そのじゃなくて、今、ホールで働いているのこと」

 彼はむっとして、俺から顔を背けた。冷蔵庫のドアを開き、内側をダスターで黙々と拭いていく。アルバイトの先輩ごときが、人のプライベートに干渉するなといった体だ。

 しかし、実直な性格だからか、不承不承「はい……」と、蚊の鳴くような声で彼は応えた。

「どこに惚れた?」

「ありふれた理由ですよ。優しくて、かわいいから。それと、目立つような人ではないですけど、人知れず物事を良い方向に持っていくところもです」

「告白はまだしてないよな?」

「……今、その話を別にしなくてもいいじゃないですか。仕事をしましょうよ、先輩」

 後輩は勤勉を装い、逃げるように冷蔵庫以外の衛生を勤める。

 どうも彼は、今ホールで接客をしている想い人にこの話を聞かれたくないらしい。キッチンの中で多少声は抑えているものの、ホールの人間の耳に会話内容が届いていても不思議じゃない。

「仕事っていっても、何するよ?」

「それは……」

 彼は返事に窮した。

 俺が勤める某ファミリーレストランのディナーは、閑古鳥が鳴いていた。五月の大型連休が明けてから、平日の客足は店の経営を心配するほど遠のいている。今日も料理の仕込みを終わらせ、いつでもナイトのクルーに引き継げるようキッチンの衛生を行っていた。

 力は、しばし熟考した末に論点をすり替えてきた。

「後輩の模範となるでき先輩が、そんな怠惰な台詞を吐いていいんですか?」

「まぁ、そこまで仕事がしたって言うなら、仕事しようか」

「具体的に何をするんですか?」と、彼は首を傾げる。

「勝負をしよう」

 出し抜けに俺が宣言すると、力から怪訝な目で見られた。この男はまたわけのわからないことを抜かしやがってと、言いたげな目だ。

 後輩の冷めた目を意に介さず、話を進める。

「勝負内容は、料理対決。俺と君が、富士さんにとって美味しい料理を作った方の勝ち。何か異論は?」

「大いにありますよ。何で僕が先輩と料理の優劣をつけないといけないんですか? いくら暇でも、不要な仕事を作りたくはありません」

 至極真っ当で、極めてつまらない正論だった。立場が対等であれば、何も言い返せてはいないだろう。ただ、俺は彼よりここのアルバイト歴も人生歴も長い。先輩の立場を乱用し、適当な理由を付けて口車に乗せてみる。

「料理の品質上げるためだよ。誰かに見比べてもらって、欠点を指摘してもらった方が改善できるだろ。これは今みたいに時間がある時にしかできない」

「それは、まぁ……」と、一度は首を縦に振りかけた。が、「なら、わざわざ勝負する必要はないでしょう」と、なかなか融通をきかせない。

「それは競争心を刺激して技術を上げるため」と、言ってみても、どうにも気乗りしない後輩。私情で手を動かすのが億劫なのか、競い合うことに苦手意識を持っているからか。俺の挑戦をなかなか受けてくれない。

 だからといって、俺もそう易々と引き下がるわけにはいかなった。

「実は俺も、富士さんのこと好きだったんだ」

 力の目が一瞬大きく見開く。彼は「冗談ですよね?」と、平静を取り繕って聞いてくるが、動揺は明らかだった。

「本気だよ。少なくとも、君が思っているよりかは」

 目上の人間に緊張感を持って話しかけるような真面目な声のトーンで言ってみた。

 すると彼は、「そうですか」と、呟くように答える。どうやら、信じてもらえたらしい。

「だから、料理対決で勝った方から先に、富士さんに告白をできるってのはどうだろう?」

「えッ、告白?」

 力はその一言に、今日一番食いついてきた。まるで聞くのも恐ろしい単語を耳にしてしまったように。

「僕が勝負に応じなければどうしますか?」

「その時は、今日俺が仕事が上がりに遠慮なく告白させてもらう」

 逃げ道を塞ぐと、彼は嫌々ながらもやっと俺の話に乗ってきた。

「……わかりました。やりましょう。でも、仮に僕が勝っても、告白するかはどうかはわかりませんよ」

「富士さんのこと好きなのに告白しなのに?」

「告白とか簡単に言わないでくださいよ。振られたらどうするんですか……」

 自分の気持ちを人に伝えることは、確かに不安である。純情な男子高校生の彼からしてみればなおさら。もし断られたら、なんて考えると形容しがたい悲痛と喪失に苦しむだろう。行動に移す前から恐れが付きまとうのは無理もない。

「大丈夫、君が振られるなんてありえないから。俺の一ヶ月分の給料を賭けたっていい」

 俺の言葉を裏付ける証左がないからか、力の俯いた目に戦意が灯ることはなかった。気休め程度にしか思っていないのだろう。

 何にせよ、力の了解は得た。後は勝負の審査員を確保するだけ。そう考えていたところ、渡りに船と言うべきか、デシャップ(厨房で調理した料理を置く場所)越しに富士さんが前を通りかかった。

「富士さん、今ちょっといい?」

 隣でおろおろすしだす後輩をよそに、黒髪の女子高校生に声をかける。彼女もちょうど手持ち無沙汰になっていたところで、すぐ応対してくれた。

「何ですか、先輩?」

 くぐもった声を出し、俺たちに近づいて来る。日本一高い山とは対照的に、背丈の低い女の子だ。小柄ゆえに、彼女が寄って来ると首元から下がデシャップに遮られ、かわいらしいウエイトレス姿を拝められない。

「富士さんは今日、九時にアップだったよな?」

「はい。お客さんも少ないですし、時間通りに上がれると思います」

「悪いんだけどさぁ、少し残っててもらっていい? 俺と力の料理、どっちの方が美味しいか決めて欲しいんだよ」

「やぶから棒にそんなことを言われても。それに、私は今日……」

 俺の頼みを断りかけた彼女に、ウインクを送った。すると、俺の意図を察して、続く断りの言葉をつぐんだ。

「一口、二口だけでもいいんだけど、味見しない?」

 俺が再度訊いてみると、今度は「わかりました、楽しみにしていますね」と、彼女は快諾してくれた。

「えっ、本当に大丈夫?」

 力が気をつかって富士さんに尋ねると、「大丈夫」そう言って、彼女は微笑を浮かべた。

 俺と約束を交わした彼女はホールの業務に戻った。心なしか、俺が話しかける前より、気持ちが高揚していたように見えた。

「これで、準備は整ったな」

「はぁ……」

 ため息とも、返事ともつかない気重な声を出す後輩。

「そうだ、言い忘れる前に先に言っておくな」

「今度は何ですか?」

「最近、雑損が多いみたいだから、料理対決の時は雑損になりそうなもので勝負するから」

「無茶苦茶なことを言うかと思えば、突然、真面目な話をして、少しは振り回される身にもなってくださいよ」

 後輩の弱々しい抗議を聞き流し、俺は再びキッチンの衛生業務に取りかかった。



 時刻は夜の九時を少し回った頃。ナイトのクルーに引き継ぎを済ませ、力と共にタイムカードを押しに向かう。退勤後、先刻交わしていた後輩との勝負を早々に始めた。

 俺から先に、パスタ料理のペスカトーレを調理した。エビ、ヤリイカ、ムール貝といった魚介類が入り、トマトソースとパスタを絡めた一品だ。唐辛子を彷彿させる色調だが、いざ口に入れてみると刺激的な辛みはなく、トマトの甘味と魚介の旨みが舌鼓を打つ。従業員からの評判も悪くない。

 食材の火の入り具合やソースの煮詰め具合、塩の匙加減に細心の注意を払ってできた料理を持って休憩室に行く。我ながら、いい仕事ができたと思う。

 四人掛けのテーブルが置かれた休憩室に向かうと、富士さんがイスに腰かけていた。

「お疲れ様です、先輩」

「お疲れ様。悪いね、早く帰って休みたいところを引き止めて。残ってくれてありがとう」

「お礼を言うのは私の方ですよ」

 彼女はそう言って相好を崩した後、コホン、コホンと咳払いをする。

「先輩が持ってきたその料理は、もしかして……」

「あぁ、俺はこの料理で力と勝負するんだよ」

「えっ、でも……」

 富士さんが何か言いかける前に、力が休憩室に現れた。その手には、俺との料理対決に出す一品を持って。

「お待たせしました。……僕の料理はこれになります」

 自信なげな口ぶりでテーブルに置いたのは、水を多分に入れて米をやわらかく煮た、おかゆだった。細かく刻まれた生姜しょうがが散らされ、少量のごま油が円を描くようにかけられていた。白いどんぶりの中から湯気が立ち上り、見ているだけで身体が温まりそうになる。

 力が作ったお粥の出来前は悪くない。ただ、普通に考えれば、家でも作れるお粥より、少し手間のかかったペスカトーレの方が好まれるだろう。味、香味、見た目、どれを取っても俺の料理の方が華やかで食欲をそそらせる。お粥という料理を軽視しないが、どうしても見劣りしてしまう。

 果たして、富士さんにとって美味しい料理とは。

 出揃った二つの料理の判定を富士さんに任せた。

「俺が作ったペスカトーレと、力が作ったお粥。どっちを食べたい?」

 力は、富士さんの顔色を恐る恐る窺う。胸の鼓動が伝わってくるくらい、緊張した面持ちだった。

 富士さんは双方の料理を一度だけ見比べた後、悩む素振りもなく勝者の名を即答した。彼女にとって一考の余地もないほど、俺と後輩の料理に歴然とした差があったのだろう。

「私は、力君のお粥を食べたいです」

 彼女は俺がいる前で、忌憚なくはっきりと口にした。力の泳いでいた目を、まっすぐ見つめて。

 隣人の後輩は、嬉しさより信じられない気持ちが勝ったようで、目と口を滑稽に開けていた。彼の放心は、富士さんがまた声をかけるまで数秒間続いた。

「あの力君、これ食べてもいい?」

「それはもちろん……、えっ、でも、俺のでいいの?」

「力君のだからいいんだよ」

 彼女はそう言い、レンゲを使ってお粥を食べ始める。ふぅー、ふぅー、と息を吹きかけて冷まし、口に運んだ。

「うん。おいしいよ、力君」

「……お粗末様です」

 いまだに事態を飲み込めていない彼の呆然とした返事だった。理解が追いついていないところ悪いが、俺は彼に現実を受け入れる言葉を投げかけた。

「さすが、力。完敗だよ。ところで、勝った方は告h―」

「えッ、何のことですか?」

 俺の話を尻切れに、力が無駄に大きな声量で横槍を入れてきた。それ以上喋ると、俺の口をこぶしふさぐのもいとわない必至の形相だった。

 彼は耳たぶを朱に染め、「お手洗に行ってきます」と、言い残し休憩室から去った。用を足しに行ったのか、照れ隠しのために席を外したのか、深く詮索しないでおこう。



 力が席を外した休憩室で、富士さんと二人きりになった。彼女に選ばれなかった料理をただ捨てるのももったいないので、食べようと空いていた席に座る。

「先輩、ありがとうございます」

 富士さんが食事の手を止めて俺に言ってきた。

「礼なら、力に言ってあげなよ。そのお粥は力が作ったんだから」

「もちろん、後で力君にもお礼を言います。今はそのことではなくて、私のお願いを果たしてくれたことに感謝しているんですよ」

 数日前、俺は彼女から、ある依頼を受けていた。内容は、好きな男子から告白を受けたいという、恋の相談だ。

 富士さんは前から力のことを気になってはいたが、想い告げるのを躊躇ためらっていたらしい。理由は力と一緒で、失敗を恐れてのことだ。だから、もし力が自分に好意を寄せているのではあれば、告白してくれるよう仕向けてくれと頼まれた。

 何ともわがままで、臆病で、卑怯な依頼ではあったが、二人の橋渡しになるのを引き受けた。恋愛禁止の堅苦しい職場ではなかったし、力に恋人ができたとなると冷やかすネタが増えて面白そうだったから。何より、相思相愛の二人がいつまでもくっつかずにいるのを見ているのが歯がゆかった。

「最初、二人が料理対決をするって聞いた時は何事かと思いましたよ。でも、先輩の目配らせのおかげで、意図を理解できました。あと、勝負と言っておきながら、先輩が最初から勝つ気のなかったことも」

「俺は料理に手を抜いたつもりはないぞ」

「知ってます。そのパスタの出来映えを見ればわかりますよ。先輩が勝つ気がないと思ったのは、料理のチョイスです。私が魚介類の料理を食べられないこと知ってましたよね」

「さぁ、どうだろう」

「それに、力君が作ってくれたお粥。これは今日の私の体調を案じてくれて作ってくれたと思います」

 一見、病気とは縁のない彼女に見えるが、その実、微熱を出していた。声が枯れ気味で、時折、咳をこぼす。

 だから力は、料理対決をする前に富士さんの身体の具合を心配して一声かけた。彼女は大丈夫と言ったものの、やはり彼としては心配で、身体に優しいお粥を作ったのだろう。結果的に、俺との勝負より富士さんの体調を優先した料理に軍配を上がったが。

「それに、遠回しにお粥を作るよう促したのも先輩ですよね? ホールからでも聞こえていましたよ、口酸っぱく雑損を出すなって声が。お粥ってあまり人気のない商品ですから、余りやすいんですよね。力君が私の身体を気づかってくれたこともあると思います。でも、先輩も力君にお粥を作らせるためにわざわざあんなことを言ったんじゃないですか?」

「……想像にお任せするよ」

 万人に受け入れられる美味しい料理は存在しないと思う。人の価値観が千差万別であるように、味覚の嗜好もまた人それぞれであるから。俺にとっての美味しい料理とは、食べる人のことを真摯に考え、手間暇を惜しまず作られたものだと思う。

 だから、彼女の好みから外れた料理にいくら腕をふるっても、選ばれなかったのは必然だった。

「力の言ってた通りだな」

「何がですか?」

「力が富士さんのことをこんな風に言ってたんだよ。目立つような人ではないけど、人知れず物事を良い方向に持っていく人だって。今回がまさにそれだ。俺を上手く利用して、素知らぬふりをして力から告白を受ける。めでたし、めでたし」

「利用なんて人聞きの悪い。先輩を信頼したんですよ」

「物は言いようだな」

 トイレに行っていた力が戻ってきた。彼は腹を括ることができたのだろう。開口一番に、震えた声で言った。

「富士さん、よかったら今日、途中まで一緒に帰らない?」

 彼女の頬が赤く染まる。どうやら、本格的に熱が上がったらしい。

 しかし、俺はそれでもいいと思った。熱は熱でも、恋煩こいわずらい。

 それは別に冷めなくてもいいだろう。

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