涙の女王―弐
彼女はひとつひとつ、そして丁寧にこれまでの人生を話してくれた。
子役でデビューし一躍人気子役になった事、しかし大きな挫折を味わい、決して順風満帆な役者人生ではなかった事、一般人の幼馴染ととても幸せな結婚をした事。そして、再び女優として脚光を浴び仕事を続けられた幸せを。
「子供は作らなかったんです。売れない時期も長かった。それでも女優の仕事から離れたくなかったの、子供がいて女優ができない訳じゃない……完全に私のわがままです」
少し肩をすくめ申し訳なさそうに笑う彼女の目尻から、溜まっていた涙が一筋だけ零れた。
「麻乃さんが涙の女王なんて呼ばれてる理由がわかる気がするよ。こんなキレイな涙を流す女性をおいて逝くなんて随分と罪作りな旦那さんだねぇ」
あぐらをかいて座っていた天草は足を座卓の下で伸ばしながらそう言った。
「おい天草、不謹慎な事を言うな。お前だって彼女の涙の重みがわからん訳じゃないだろう」
「わかってるよ、まぁ君ほどじゃないけどねぇ」
天草の美人にやたら甘く、思った事はそのまま口から出て来るような性格は、ほんの少しだけ羨ましくもあり、頭痛の種になっている気もする。
彼女は左手の薬指にはまっている指輪を親指で撫でた。輝く鉱石などがついている様な派手なものではない。少し細身の何の変哲もないシルバーの指輪だった。
「ダイヤモンドもついていなくてごめんよ、って言って彼が渡してくれたんです。そんなものついていなくても良かった。プロポーズしてくれた事自体が嬉しかったの……」
そう言うと、先ほどと同じ軌道に2度目の涙が流れ落ちた。涙を拭い、少し息を整えた彼女は最愛の人の最後を語った。
「肝臓癌だったの。気が付いた時にはもうなにかできるような状態じゃないって言われたわ」
肝臓は別名もの言わぬ臓器とも言われ、癌の中でも初期発見は難しい。その体がすでに病に蝕まれていて、それに抗う術がないと気付いた時の絶望感や後悔を考えるとひどく胸が苦しかった。
「少しセーブはしてもらったけれど仕事も続けながらできるだけ一緒に過ごしたのよ。なにより仕事を続けるのは彼の望みでもあった」
本当は片時もその身から離れたくはなかっただろう。病床に伏せる彼の為に彼女は女優を続けたのだ。病状が日々悪化し痛みを和らげる為に使う薬は彼の意識を1日の中から少しづつ奪った。愛する人に残された命はそう長くはないと思っていたある日、新しい映画の企画が持ち上がった。
「オファーを受けたの、とても悩んだわ。最後の一瞬まで彼のそばにいたかった」
けれど彼女は仕事を引き受けた。理由は言うまでもなく彼にあった。原作小説が発売された時から『主人公のこの女性は君にぴったりの役だと思う』と言い映画化に夢を膨らませていたらしい。
――――――
「新しい本?」
「そうだよ、とても面白いんだ。ほら、ここを読んでみて。主人公がクライマックスで涙をながすこのシーン!君は自分が泣いている横顔を見たことがあるかい?」
「女優だもの当たり前じゃない」
「あはは、そうだね。家で映画を見ている時に君は感動して僕の隣で泣くだろ?いつもその横顔を綺麗だなって思ってるんだ。隣を見ると世界一美しい涙が流れてる。それを見て僕は幸せだなぁって思うんだよ」
「もーなにそれ恥ずかしい」
「だからね、この小説がもし映画化する様な事があったらこの役は君にぴったりの役だと思うんだ」
「はいはい、覚えておくわ」
―――――――
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