第4話 僕にできること

 おじいちゃんの家の前には坂がある。長い長いその坂の上、道路が大きくカーブする手前の歩道で、学校帰りの僕をおじいちゃんが待っていた。毎日毎日、暑い日も雨の日も、いつもいつも不安そうに、心配そうに僕を待っている。その顔が、そして僕が学校から帰ってきたのを見て、ほっと安心するおじいちゃんの顔が、僕は好きじゃなかった。


「君枝、康彦くん、君彦は無事に帰って来たよ。今日も見守ってくれてありがとう」


 おじいちゃんは仏壇に手を合わせている。僕はそんなおじいちゃんを見ないように、ランドセルを持って二階へあがった。どうしておじいちゃんは仏壇にばかり話しかけるんだろう。どうしておじいちゃんはいつも寂しそうな顔をしているんだろう。お父さんもお母さんも、もう戻ってはこないのに。もうあきらめればいいのに。


 ベッドに座って考えた。どうすればいいんだろう。僕は何をすればいいんだろう。そのとき、僕は気づいた。そうか、僕がすごいところを見せればいいんだ。もう心配はいらないんだってことを、おじいちゃんにわからせればいいんだ。でもどうやって。


 僕には特にすごいところはない。勉強はクラスで一番じゃないし、足だって遅くはないけど、速くもない。プールでは、やっと目があけられたところだし。僕にできる、すごいことって何だろう。


「あっ」


 突然、その考えが頭に浮かんだ。そうだ、それしかない。


「君彦くん、お風呂沸いてますよ」


 おばあちゃんの声が聞こえると、僕は急いで下着を用意して、階段をかけおりた。



「今日はよく顔を出す日だな」


 リアローは笑った。でも、いやがられてはいないみたいだ。僕はおでこから声を出した。


「ねえ、ひとつお願いがあるんだけど」

「お願いだと? 人間が俺らヤトウクジラにか。あつかましいやつだな」


「だめ、かな」

「まあいいや。聞くだけ聞いてやる。そのお願いってのは何だ」


「僕に、ドロボウを教えてほしいんだ」


 するとリアローは、そしてパパンヤとニキニキも、口をそろえてこう言った。


「そりゃ無理だろ」

「無理ですね」

「無理ってもんだぜ」


「なんでさ。やってみなきゃわからないじゃないか」


 僕はそう言ったけど、リアローは大きな頭を横にふった。


「おまえら人間は、ジュツが使えないだろ」

「ジュツ?」


「そうともさ。ジュツが使えないんじゃ、ドロボウ稼業はつとまらないんだぜ」


 ニキニキがそう言うのを聞いて、僕は思い出した。あのときの呪文と、僕の目に入ってきた何か。きっとあれがジュツなんだ。


「それじゃ、そのジュツを教えてよ」


 僕はくいさがったけど、パパンヤはあきれた声を出した。


「ヤトウクジラはみんな生まれながらにジュツが使えます。けれどその中でドロボウになれるのは、われらのようにジュツが上手じょうずに使えるほんの少しだけ。ヤトウクジラでさえ、そうなのですよ。まして人間になど、できるわけがない。教えてできるなら教えてあげますよ」


「そんな。僕はどうしてもドロボウになりたいんだ」


 僕がドロボウになれたら。世界中の宝物を盗めたら。そうしたら、おじいちゃんだって。そこまでだった。もう息が続かない。僕はがぼっと息をはきだし、お風呂から顔をあげた。苦しかった。何度も何度も息を吸い込んだ。でも、あきらめられない。こんなことで、あきらめられるもんか。僕は深呼吸をして、もう一度お風呂にもぐった。左の耳をつまんで、右の目をあけた。


「やっぱりもどって来やがったな」


 今度はリアローも、ちょっと迷惑そうだった。でも。


「ねえ、パパンヤは知恵者なんでしょ、僕がドロボウになれる方法を知らないの」


 僕の質問に、リアローとニキニキは、ちょっと面白そうな顔をした。


「おお、そう言われたらそうだな」

「えっ」


「パパンヤなら、何か知ってるかもしれないんだぜ」

「ええっ」


 パパンヤは困ってしまった。


「うーん……まあ、ジュツを教えることはできませんが」苦しまぎれに、こう言った。「仲間にすることならできなくもないと言うか」

「本当?」


 うれしくて思わず両目をあけそうになった僕に、パパンヤはしぶしぶうなずいた。



 お風呂からあがった僕は、いそいで体をふいた。いつもは丁寧ていねいにふくのに、今日はちょっと適当だった。おかげで下着がくっついて着にくかった。


 おばあちゃんはいつものように、晩ご飯を用意してくれていた。おじいちゃんは仏壇に手を合わせている。それを横目で見ながら、僕はご飯を二回もおかわりした。おかずが大好きなハンバーグだったこともあったけど、とにかくおなかがすいていたんだ。おばあちゃんは、びっくりした顔で僕に聞いた。


「どうしたの、君彦くん。何かうれしいことでもあったの?」

「ううん、別になにもないよ」


 そう言いながら僕の顔は、ニヤニヤと笑ってしまったのだけれど。



「三つの約束だ!」あのときリアローはそう言った。「おまえが俺らの仲間になるんなら、三つの約束を守らなきゃならねえ。まず一つ、俺らのことは誰にも話すな!友達だろうが親だろうが、絶対に秘密だ。次に二つ、風邪をひくな!風邪をひいたら水の中に入れなくなるだろ。連絡が取れなくなったら困るからな。最後に三つ、泳げるようになれ!ヤトウクジラの仲間が泳げないなんてのは、カッコ悪いにもほどがある。絶対に泳げるようになれ。この三つ、かならず守れよ!」


 守るとも。ご飯を食べた後、階段を上がりながら、僕は思った。約束は守ってやる。そして僕を仲間に入れてよかったって、きっとリアローたちに思わせてやる。そうすれば、おじいちゃんだって。



 次の日もすごく暑かった。それなのに、月に一回の土曜日登校。クラスの話題は消えたよしむーのメガネ、そしてもうすぐ始まる夏休みのこと。プールはよしむーのメガネを探すために、一度水を抜かれた。もちろんそれでもメガネは見つからなかったけど。


 いま水を張り直したプールでは二年生が泳いでいる。三年生はパソコンルームで社会科の授業。インターネットでお父さんお母さんの仕事について調べてみよう、と教科書には書いてあった。


「お父さんでもお母さんでも、おじいちゃんでもおばあちゃんでもいいです、基本的に身近な大人のひとのしている仕事を調べてみてください」


 もしかしたらよしむーは、僕に気を使ったんだろうか。そんなことを思いながら、パソコンのスイッチを入れた。パソコンが使えるようになるまで、少し時間がある。僕は何を調べようかと考えた。


 死んだお母さんはずっと家にいた。専業主婦って言い方でいいんだと思う。おばあちゃんと同じだ。お父さんは会社に仕事に行っていた。でもどんな仕事をしていたのか、僕は聞いたことがなかった。お父さんも仕事の話を家ですることはなかったし。聞いておけばよかったな、と思った。


 おじいちゃんは昔、木を切っていたそうだ。じゃあ林業でいいのか。パソコン画面に『林業』と打ち込みかけて、僕の手は止まった。そして一つ息をつくと、『漁業 ヤトウクジラ』と素早く打ち込んだ。ネットの動物図鑑にはヤトウクジラの名前はなかった。でも漁師の人ならヤトウクジラを知ってるんじゃないだろうか、そう思ったんだ。でも出てきた結果はたった二件、どちらもブログで、どうやら『ザトウクジラ』の打ち間違いみたいだった。


 そのとき、後ろから僕の背中を何かがつついた。びっくりして振り返ると、後ろの席のフジミが真面目な顔をしている。


「おまえの父ちゃん、魚屋だったのか」


 体に似合わない小さな声で話しかけてきた。僕のパソコンの画面を後ろから見たんだろう。


「いや、違うよ」困った、どう言ってごまかそう。「その、何を調べたらいいかわからなくて」

「ああ、おまえんとこはそうだよなあ」


 フジミはうちの事情を知っている。だからそれ以上くわしくは聞いてこなかった。


「フジミはなに調べてるの」

「俺は『大工』だよ。父ちゃん大工だし。でもなあ」


「どうかしたの」

「大工で調べて出てくるのって、うちの父ちゃんの仕事とはちょっと違うような気がするんだよなあ」


「……フジミのお父さんの仕事って、たしか『宮大工みやだいく』じゃなかったっけ」

「あ、そういやそうだ。父ちゃん宮大工だった。おまえ、よく知ってるな」


 フジミがガハガハ笑う声が教室中にひびいた。当然、よしむーに見つかる。


「こらそこ、おしゃべりしない」


 フジミは自分の口を両手で押えた。僕は首をすくめて前を向いた。クラスにクスクス笑い声が響く中、手をあげたやつがいる。


「先生」

「なんですか、日高さん」


 ヒミコは自信満々の顔で、こう言った。


「調べたことは発表しなくていいんですか」


 クラスがざわざわとざわめく。余計なことを言うな、そんな雰囲気だった。けれど、よしむーは首を振った。


「今日の課題は基本的に調べるだけです。発表はしなくていいですよ」

「お父さんの仕事なら、私いくらでも発表できますけど」


「知ってます。でも今日はいいですから」

「わかりました」


 ヒミコは残念そうに手をおろした。クラス中がホッとした、その瞬間。僕はなにげない顔で、パソコンに『海 ニュース』と打ち込んだ。今ならよしむーに見つからないかもしれない。パソコンの画面には、ずらずらっと海に関係したニュースが並んだ。ゆうべ家でも調べたんだ。でもこれといって目につくニュースはなかった。けど今ならどうだろう。じっと画面を見つめた僕の目に、上から三つめのニュースが飛び込んできた。


――黄金のプリンセス、東京に


「これなんかどうだろう」

「どうって何が」


 いつの間にか、よしむーが僕のすぐ隣に立っていた。僕は心臓が口から飛び出るくらいびっくりした。


「ああっ、いや、これは、その」

「んー?」


 よしむーににらまれて、僕は背中に変な汗をかいた。クラスのみんなが笑っている。フジミもヒミコも笑っている。忍者は……笑ってない。まあ、それはいつものことか。

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