第3話 プールとメガネ

 他のみんなは遊んでいる。ちゃんと泳いでるやつなんて一人もいない。でもそんな中、僕一人だけ、プールのすみっこでよしむーと向かいあっていた。三年生の中で僕だけが、いまだにプールの中で目をあけられないからだ。


 ゴーグルをつけても目があけられない。水の中で目をあけると、すきまに水が入ってきて、目玉が飛び出てしまう気がする。そんなことにはならないと頭ではわかっているのだけど、どうしても怖いんだ。


「それじゃあ始めましょう」


 よしむーはメガネをくいっとあげる。僕は大きく息を吸い込んで、水の中にもぐった。ごぼごぼごぼ、耳に水が入る音。僕はきつく目をとじている。目をあけなきゃいけない、そう思うのだけど、どうにもあけられない。


 どうしよう、ただ時間だけが過ぎていく。そのとき、僕はなにげなく左の耳をさわった。なにかを期待していたわけじゃない。なんだかいつものクセで、ついさわってしまったんだ。そうしたら、耳の中にかすかに歌が聞こえた。僕は思わず左の耳をしっかりつまんだ。そして耳をすませた。


 海のヤミヤミ

 夜のヤミヤミ

 ヤトウクジラだエイコラサ


 おれたちゃドロボウ

 海のドロボウ

 盗みだすのはお手のもの


 海賊船も沈没船も

 どんな重たいお宝だって

 かるがるパパッと手に入れる


 世界の七つの海のソコソコ

 おれらに行けない場所はない


 どこでももぐるぞ

 なんでも盗むぞ

 ヤトウクジラだエイコラサ



 そして、歌は止まった。


「お、また聞いてやがるな、キリミとかキノコとかいう人間」

「君彦だよ」


 リアローの大きな声に、僕はついツッコんでしまった。もちろん声は、おでこから出た。


「ははは、相変わらずヘンテコな名前してやがるな」


 そう笑うリアローの声が、はっきり聞こえる。僕の隣にいるみたいだ。


「リアローたちって、どこにいるの」

「どこにいるだと?そんなもん答えられるかよ。秘密に決まってるだろう」


 そりゃそうかもしれない。ドロボウのアジトだ、誰にも言えない場所にちがいない。


「まっくらな場所なの、それともあかるい場所なの。それくらいはいいでしょ」

「そんなもん、見りゃわかるじゃねえか」


「見えないよ」

「何で見えない。おまえ目が悪いのか」


「そうじゃないよ、その、水の中で目があけられなくて」

「なんでだよ。人間は水の中で目があけられないわけじゃないだろ」


「だって……こわいから」

「うわ、そりゃカッコ悪いな」


 リアローは笑い出した。その笑いっぷりに腹が立つ。


「なんだよ、しかたないだろ、こわいものはこわいんだから」

「ああ、すまねえすまねえ。こいつは俺じゃダメだな。パパンヤ、おまえならどうする」


「そうですね」パパンヤの野太い声が答えた。「一度に両目をあけようとするからこわいのでは。まず片目だけあけてみてはどうでしょう」

「おう、そりゃいいな。キミヒコ、片目だけあけてみろ」


「ええ、そんな簡単に言わないでよ」

「いいからいいから、片っぽだけあけてみろって」


 そんなことを言われても、こわいものはこわい。ただ、リアローたちがどんな場所にいるのか、興味きょうみがあった。ちょっとだけ、ちょっとだけ見てみようか、そう思った僕は、右目を少しだけあけてみた。


 ゴーグルの隙間すきまから入ってきた水が目に入ってしみる。でももう少しだけ、もう少しだけあけてみよう、そう思った僕の右目に、きらきらとした金色の光が入ってきた。その中で、なにか大きな影が、ゆらゆらとゆれている。あれはなんだ。僕が思わず両目をあけたとき。


 そこにはよしむーの真剣な顔のアップがあった。ぶほっ、たまらず息をはき出し、水面に顔をあげた僕に、よしむーは残念そうな声をかけた。


「ああ、惜しい。今ちょっとだけ両目あいたのに」


 惜しいもなにも、よしむーがあんなに近くで見てるからじゃないか、と言いたいのを、僕はぐっとガマンした。


「どうする。もう一回やってみようか」


 よしむーはメガネをくいっとあげた。


「はい」


 僕はゴーグルに入った水を出して、息をととのえて、たっぷり空気を吸い込むと、もう一度もぐった。左の耳をつまみ、右の目を少しあける。耳には歌が聞こえ、右目には金色の光が入ってくる。その中でゆれる影。僕はおへそのあたりに力を入れて、ぐっと腰を落とし、左の目もちょっとあけてみた。


 するとどうしたことか、歌が聞こえなくなってしまった。右目に見えていた金色の光も消えてしまっている。あれ、どういうことなんだろう。僕は両目を閉じた。すると歌が聞こえてくる。次に僕はもう一度右目をうっすらあけた。歌は聞こえたままだ。そして金色の光が見える。そうか、両目をあけると歌も光も消えちゃうんだ。僕は右目を大きく開くと前を向いた。目に水が入って少し痛かったけど、そこに何が見えるかの方が、僕には大事だったから。


 そこは、洞窟どうくつに見えた。水に沈んだ広い洞窟。小さな魚が飛ぶように泳いでいる。暗くはない。天井に大きな穴があいている。そこから太陽の光がさんさんと差し込んでいた。見上げれば青い光。そして目を下に向けると、きらきらと金色の光が満ちていた。


 洞窟の床には金貨や金塊きんかいが敷き詰められている。そしてところどころに青や赤の輝きがきらめく。宝石だ。こんなに沢山の宝物を、いったいどこから持ってきたんだろう。決まっている。海賊船や沈没船からに違いない。


 きらきらと輝く金色の光の中に、ゆらゆらと黒い影がゆらめいた。大きい。フジミなんてものじゃない。たてにも横にもその何倍も大きな黒い姿が、洞窟の奥に立っている。そう、立っていた。おなかが白くて、それ以外はまっ黒な、菱形ひしがたの姿。てっぺん以外の三つの角にそれぞれ長いひれがついている。ザトウクジラに似てるけど、ちょっと小さい気がした。それでも人間を何人もまるごと飲みこめるくらい大きな口をあけて、それは笑った。


「よう、やっとここまできやがったな、キミヒコ」


 それは聞きおぼえのある大きな声。


「リアローなの」

「そうとも、俺さまが『星食い』リアローだ」


「星食い。星を食べるの?」

「おうよ、俺のふただ、ありがたくおぼえておけ」


「本当にクジラだったんだね」

「あたりまえだろ、ヤトウクジラなんだから」


「でもヤトウクジラなんて、ネットにも本にものってなかったよ」

「それもあたりまえだ。普通の人間はヤトウクジラなんて知らないからな」


「どうして」

「どうしてって……どうしてだ、『知恵者ちえもの』パパンヤ」


 するとリアローの後ろから、リアローよりも小さい、でもまるまると太ったクジラが顔を見せた。


「普通の人間の目には、ヤトウクジラは見えないのです」


 野太い声がそう言った。


「どうして見えないの」

「人間には両目でものを見るクセがあるからですよ」


「クセ?」


「そうです。人間の見る世界は両目の世界。けれどクジラの見る世界は片目の世界です。まず見えているものが違います。ましてやヤトウクジラは特別なクジラ。人間の見る世界には入っていないクジラなのです」


「なんかむずかしいんだね」


「自分の手を見てごらんなさい。そこについている、ばい菌が見えますか。見えないでしょう。人間の目に見えるものと見えないものは、最初から決まっているのですよ。人間がヤトウクジラを見るためには、特別な方法を使わなければなりません」


 そうか、左耳をつまんで右目をあける、それがヤトウクジラを見る特別な方法だったんだ。それに気づいたところで僕に限界がきた。もう息をガマンできない。


 ごぼごぼごぼっ、一気に息をはきだして水から顔をあげた僕に、よしむーは残念そうに言った。


「うーん、基本的に右目だけならあけられるんだけどな。どうしよう、もう一回やってみる?」


 よしむーはメガネをくいっとあげた。


「やります」


 僕の胸はもう苦しかったけど、あと一つだけ、どうしてもたしかめたいことがあった。僕は何度も深呼吸してから息を止め、水にもぐった。左耳をつまんで右目をあける。目の前に、リアローがのぞきこんでいた。


「お、もどって来やがったな」

「ねえ、あと一つだけ聞いてもいい」


「なんだ、質問ばっかりだな。まあいい、答えてやらないこともないぞ」


 リアローはもったいをつけてそう言った。僕は聞いた。


「ドロボウって本当なの」

「本当だとも!」


 僕の質問に答えたのは、リアローとパパンヤの向こうにいた一番小さな、だけど一番元気な声。飛び出したその姿は、リアローの半分くらいの大きさで、けれどひれの長さはリアローと変わらないほどだった。


「おいらは『疾風はやて』のニキニキ。おいらたちは正真正銘しょうしんしょうめい、本物の大ドロボウなんだぜ」

「何でも盗めるの」


「おうともさ。水の中にあるものなら、何だって盗めるぜ」

「本当に?」


 するとリアローは面白くない、といった感じで僕をにらみつけた。


「おいおい何だよこの野郎。俺たちがウソついてるってのか」

「そうじゃないけど、ただ」


「ただ、何だよ」

「……たとえばさ、いま僕はプールにいるんだけど」


「プールってなんだ」

「人間の作った水たまりのことです」


 リアローにパパンヤが答えた。


「それで、僕の目の前に先生がいるんだけど」

「おまえの目の前には俺がいるだろ」


 そう言うリアローに、またパパンヤが口をはさんだ。


「両目をあけたときに、という意味ではないでしょうか」

「ああ、なるほどな。それで、その先生がどうした」


 僕はたずねた。


「その先生のメガネって盗める?」

「メガネってなんだ」


「人間が目のところにひっかける、小さなガラスのことです」


 パパンヤのその言葉を聞き終わるより早く、リアローはニキニキを振りかえった。


「おい、ニキニキ!」

「おうともさ! パラポロピレンのパラレンのハ!」


 ニキニキが謎の呪文をとなえると、僕の右目に何かが入ってきた。透明な、目には見えない柔らかい何か。僕はびっくりして、思わず両目を開いてしまった。目の前には、僕を見つめるよしむーの顔。よしむーはにっこり笑うと、水から顔をあげた。


「はい、確認しました。ちゃんと両目とも水の中であいてましたね」


 僕も続いて水から顔をあげて、そしてよしむーの顔を指さした。


「先生、メガネは?」

「え、あれ……あーっ! 大変、足動かさないで! 踏んだら大変! みんな、いったんプールから上がってくださーい!」


 よしむーは全員をプールから上げて、一人でメガネを探してまわった。でも見つからない。


 本当に盗んだんだ。僕がそう思っていることなんか知らずに、みんなは不思議そうによしむーを見つめていた。けどただ一人、忍者だけは僕を見ていたように思う。気のせいだろうか。

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