篠岡カメラ店の写真集(フォトブック)

上原 恵

ある日の写真機店では

 現実の、その向こう。

 焦点(ピント)を合わせてみるとーー浮かんでくるのは。


✳︎


 高校生の清水蓮は、毎日のように通う店があった。

 港町の小さなアーケード街、バス停からも程近くに位置するその場所を見つけたのは全くの偶然で。十字に交わる一角でひっそりと営業している。ショーウィンドウのあちら側に人影が見えた。

「こんにちはー」

 古ぼけたガラスの扉には素っ気ない書体で『篠岡写真機店』と印字されている。開けると、天井から吊るされた照明が店内を照らし出す。

 こじんまりとした店の中には、棚という棚に所狭しとフィルムカメラが並んでいる。雑然とした印象が感じられないのは店主の性格故だろうか。静かな空気にそっと寄り添うかのようにジャズクラシックが流れ、どことなくほっとする。一番奥がレジカウンターで、テーブル代わりにもなっているショーケースの中にもカメラが鎮座している。二脚ある椅子の片方に、先程見えた人が座っていた。

「篠岡さん」

 呼ばれた男は「ん?」と顔だけ向けた。この人物こそ、蓮が足繁く店に通う理由だ。

「ああ、いらっしゃい。ごめんね、気付かなくて」

 男の名前は篠岡瑞人、フィルムカメラを取り扱う『篠岡写真機店』の若き店主だ。営業中とはいえ、だいぶリラックスした様子で、蓮が声をかけるまでぼーっとしていたようにも見受けられた。そう、普通なら思うだろう。しかし、篠岡が黒い手袋を外しているのを確認して合点がいった。

「すみません。《現像》している最中でしたか」

 篠岡が困ったように笑うのを見て、蓮は鞄からフィルムカメラを取り出して構えた。蓮が持つのはレンジファインダーという種類のカメラだ。二重像合致式距離計といい、ファインダーを覗くと像がズレて見える。それをピントリングを回していき、像がきちんと重なるとピントが合うという訳だ。今では慣れた手つきでピントを合わせると、視界が開けたみたいに景色が一変した。篠岡の向かいに女の子がいたのだ。試しにファインダーから目を外すと、女の子は忽然と姿を消してしまっている。もう一度覗くと、女の子は不思議そうに首を傾げていた。


《現像》

 蓮がいうのは、写真用語のそれではない。

 篠岡の言葉を借りるならばーー現実の、その向こうに焦点(ピント)を合わせること、だ。早い話が、この世ならざるものに干渉する能力を指している。

 大きく分類すると三つに分けられていて、篠岡のように生まれながらに能力を持っていたり後天的に発症する純粋型(オリジナル)、擬似的に能力を身体のいずれかに宿した移植型(シフト)、そして。

「まだ小さいですね…迷子、ですか?」

 ファインダーを覗き込んだまま、蓮が訊ねる。

 《現像》の素質がある人が、レンズのついているものを介して《現像》を使える装着型(ツール)。蓮は装着型に該当する。

「そうみたい。たまにいるんだ、気付かないままの子って」

 女の子の頭を撫でる篠岡は、どこか悲しそうだった。対照的な様子の女の子は、くるりと蓮に向き直った。びくりと身構えたが、女の子の興味はどうやら蓮のカメラらしい。

『お兄ちゃん、写真撮るの?』

「……うん、まあ」

 歯切れの悪い蓮には気付かず、女の子はパッと顔を輝かす。

『じゃあ、撮って!』

 期待の眼差しが若干痛い。篠岡を見遣ると、手を合わせて口だけで「ごめん」と言っていた。これも毎度のパターンである。

「じゃあ、二階のスタジオに行こうか」

 篠岡はレジ奥の扉を開けた。陰に隠れており、カウンター側に回らないと見つけられないようになっている。

 篠岡写真機店は元々写真館であり、篠岡の祖父である先代はカメラマンとして撮影をしていた。先代が亡くなった後、篠岡が店を継いだのだが写真館として続けていくことがどうしても出来なかったのだ。

「蓮くん、お願いね」

 二階の撮影スタジオは小規模ながらも立派なものだ。女の子を椅子に座らせて、蓮は正面でカメラを構えた。

 デジタル機器の恩恵を受けている世代の蓮は、時代を逆行するかのようなアナログには疎い。フィルムカメラに関してもまた然り。持ち歩いているレンジファインダーも、譲り受けただけで当初は使い方も全く分からなかった。そんな蓮に、手取り足取り使い方を教えてくれたのが篠岡だった。店を継ぐために写真学校に通っていただけあり、篠岡のカメラに関する知識と実力は本物だ。

(本当なら篠岡さんが撮っているはずだったのに……)

 篠岡は写真を撮ることが出来ない。

 あまりに強い《現像》の力を持つ代償なのか、彼が撮るものには何も写らなくなってしまったのだという。それが写真館だった店をカメラの売買専門に切り替えた理由だ。篠岡が普段から黒い手袋をしているのは、力を制御するためだ。

「撮るよ。笑って」

 ファインダー越しの女の子は少しぎこちない。どうしたものかと逡巡していると、篠岡が隣にやってきて

「笑ってと言って笑ってもらうのって難しいんだ。でも、こうすると笑ってもらえる」

 いつの間に装着したのかウサギのパペットを、ひらひらと動かして笑った。コミカルにパペットを操りながら、女の子に向かってにこーっと笑顔を絶やさない篠岡。最初は目をぱちくりとさせていた女の子も、篠岡に釣られたのかやがて目を細めて口角を上げた。

 今だよ、と耳打ちする篠岡の声で我に返り、慌ててシャッターを切った。次第に緊張がほぐれてきたのか、女の子は楽しそうな笑い声を上げるようになってきた。スタジオの和やかな空気に感化されて、蓮もいつしか口元が緩んでいた。

「うん。大事なこと、出来てる」

「……なんだか分かったような気がします」

 どこか満足そうな篠岡に、蓮は小さく頷いた。

 フィルムを一本分撮ったところで、女の子はすくっと立ち上がった。

『ありがとう。また来てもいい?』

「いいよ。その頃には写真が出来上がっているから見においで」

『うん!』

 ふわりと浮かび上がって、女の子は消えるようにスタジオからいなくなってしまった。

「……満足したんですかね」

「かもね」

 女の子がいたところを見つめて、篠岡は「もう一仕事だ」と蓮のカメラを指差した。


 不思議なもので《現像》で見たものを撮って、同じ《現像》を持つ人が作業すると一般人にも見ることができるのだ。

 篠岡が作業すること二時間、嬉しそうな女の子の写真が出来上がった。

「うん、いい写真だ。蓮くん、腕上げたんじゃない?」

 完成した写真を褒める篠岡の姿に、蓮は思うところがあった。いつもなら胸に留めておくせれを、今日はぽろりと零してしまった。

「篠岡さんなら、もっと……上手く撮れていましたよ」

 ほとんど無意識に近かった。自らの失言に気付きどんどん青ざめて、蓮は恐る恐る篠岡を見上げた。篠岡は肩をすくめて、でも笑った。

「僕に写真を撮ることは出来ない。それは未来永劫変わらないよ」

 どこか遠くを見る篠岡の横顔は、寂しそうな色を滲ませている。蓮はこれ以上篠岡を見るのが怖くて俯いてしまう。当たり前だ。撮りたいと願わないわけない。篠岡本人が切望して止まないわけない。怒号を飛ばされる覚悟をする蓮だったが、予想に反してかけられたのは優しい声だった。

「僕ひとりじゃ、写真が撮れなかった。蓮くんが撮ってくれるから。代わりに撮ってくれるから」

 大丈夫だよ、ありがとう。そんな言葉とともに頭をぽんぽんと叩かれた。蓮は目の奥が熱くなるのを感じた。

「あっ、でも」

 何か思いついたように篠岡は手を叩く。弾かれたように顔を上げると、笑みを浮かべた篠岡。先程までの寂しそうな色はなく、

「蓮くんの言葉に傷ついてないわけではないから、斜め向かいの大判焼きを所望します」

 完全にからかうときのそれになっていた。

「は、え⁉︎」

「甘いもの食べなくちゃ元気でないよー。買ってきてよー」

「奢りですか⁉︎」

「勿論。僕への慰謝料と……そうそう、それで現像とプリント代だから」

 にっこりと穏和に笑う篠岡には、何を言っても通用しない。ひらひらと手を振る店主に、蓮はぐぬぬとそれ以上は反論できずに大人しく財布を持って店を出た。扉を少しだけ乱暴に閉めたのは、気を遣われたことを悔しく思っていることなのを篠岡は知っている。

「あーあ、わざとらしかったかなあ」

 少しだけ反省して、篠岡はプリントを手に取る。

 どうしようもないことだけど、後悔が残らないわけじゃないけれど。

「それだけじゃないこと、もう分かるから」

 盛大に拗ねて帰ってくるであろう若き相棒を迎えるために、美味しいお茶でも用意しようと篠岡は踵を返した。

 

 

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篠岡カメラ店の写真集(フォトブック) 上原 恵 @kei-uehara

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