鬼封じ

雛罌粟 朱鳥

前夜・顔合わせ

 空は点在する分厚い雲に月が隠され、地上は闇に包まれている。

 こんな夜道では、誰もが身を縮めて足早に歩くだろう。

 だが、夜に溶け込んでいるかのように音も立てず歩いている男は、さして恐ろしいと感じている風ではない。

 ときおり白い息を吐き出しながら、当てもなくさ迷い歩いているように見える。

 もっとも、男はただ夜歩きをしているわけではない。

 きちんと目的の場所があり、そこで仕事をしなければならないという理由もある。


 では、丑三つ時にする仕事とは一体なんだろうか。

 黒いスーツに身を包んでいるとはいえ、正規の仕事ではないだろう。


 男が立ち止まり、目的地であるビルを見上げる。

 そこは施工途中で建設が中止となった廃ビルだった。


 男は躊躇うことなく中へ入っていくと、階段――そこだけはしっかりとした造りがされている――を気負うことなく上っていく。

 屋上――おそらく、当初の予定では五階に相当する――に辿り着いた男は、背を向けて立っている少女を見つけた。


 この近くにある市立中学の制服を身に纏った少女は、こんな夜にはおよそ似つかわしくない出で立ちであることなど、気にも留めずに何かを呟いている。

「さて、どうしよう。手筈では、回収する人がそろそろ着く頃だけど・・・一人で運ぶのは、やっぱり無理があるかな」

 誰に言うでもなく呟いた少女は、ゆっくりとした動作で男へと振り返った。

「貴方が、事後処理をしてくださる方でよろしいのでしょうか?」

「そうだ」

 男の端的な物言いに気分を害することなく、少女は手に持っていた白い結晶を男に差し出す。

「・・・これが、鬼を封じたものか?」

「そう。一族の名の通り、鬼を封じる氷の秘術」



 ―――氷月ひょうげつ一族。

 当主は人前に出てくることもあるが、それ以外の一族はほとんどが知らない者ばかりだ。

 唯一、名前だけが有名な三人はいるが、誰もその姿を鮮明に言った者はいない。

「・・・・・・お前が、次代の当主か」

「正確には当主代理。本来ならその資格を持たない私を当主に立てることで、一族を存続させるための救済措置」

 少女の言葉に、男の機嫌は急降下する。

 それもそのはず。男は子供と称される年齢の少女が、この仕事に関わることを良しとしない。

 男をよく知る友人には、『敵に対しては冷静に対処するが、それ以外では人間が良い奴』と評されている。


 男は思わず、眉を寄せ少女を睨むようにして見やる。

「先代当主が定めた後継は未だ幼い、四歳の子供です。けれど、物の道理も善悪の価値観も定まらない年齢でこの仕事を負わせるわけにはいきません。いずれが当主を継ぐと決めるその時まで、私が負う・・・それが先代と取り交わした約定です」


 少女の言葉は、不思議と気負った風もなく淡々と紡がれるが、けれど確かな覚悟を秘めていた。

「お前は、何のためにこの世界に入ったんだ?」

 男の問いに少女は数舜、瞑目した。

 再び開かれた眼差しに籠められた感情が何なのか、このときの男にはまだ分からなかった。

 けれど、この場所に似つかわしくない晴れやかな笑顔が男の脳裏に焼き付いた。


「―――私のたった一つの願いのために」



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鬼封じ 雛罌粟 朱鳥 @asuka-hinageshi

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