第7話 「わたし」(7)


 地下室での生活に、心から安らぐ時間は存在しなかった。


 極度のストレスから、わたしはしばしば悪夢にうなされた。


 その中でも特に気持ちの悪い夢があった。得体のしれない黒い影がわたしのまわりをうろつき、敵意に満ちたうなりをあげ続ける夢だった。


 ある時、わたしはうなされ続けた挙句、黒い影に飛びかかられて目を覚ました。

 目覚めたわたしは明けきらない闇の中に、不穏な臭いを嗅いだ。


 思わずわたしは吐き気を覚えた。それは生臭いというにはあまりにも不吉すぎる、あえて言うなら腐臭と死臭の中間のような臭いだった。


 わたしは目を開け、上体を起こした。空気孔は再びベニヤ板で塞がれたため、室内は暗かった。薄闇になれた目で室内を見回したわたしは、部屋の真ん中に奇妙な物体が転がっていることに気づいた。


 わたしは立ち上がり、黒っぽいその塊に近づいた。塊の前に立ち、屈みこんで正体を見極めようとした直後、わたしは自分でも驚くような悲鳴を上げていた。


 黒い塊は、ネズミと小鳥の折り重なった死骸だった。不吉な臭いは、二つの死骸が放っていたのだ。死んでからそれほど経っていないであろう二つの死骸からは、どういうわけか内臓がごっそり失われていた。


「どうかしましたか」


 立ちすくむわたしの前でいきなりドアが開き、村木が姿を現した。


「ネズミが……」


 わたしが目で示すと、村木は死骸の方を見た。事態を悟った村木は目を丸くし、絶句した。村木はいったんドアの外に姿を消すと、塵取りとビニール袋を手に戻ってきた。村木は「ふん」と鼻を鳴らすと、苦々しい顔つきで死骸を片付け始めた。


 もしかするとこれは、逃げるとこうなるぞという一種の脅しなのだろうか。

 わたしが訝った、その時だった。


「なんだこれは!」


 怒気を含んだ声が響きわたり、貢が姿を現した。


「ちゃんと片付けておかなかったのか、泰三たいぞう


 どうやら泰三というのが、村木の下の名らしい。突然の叱咤に、村木は床を睨んだままうなずいた。


「こういう事があるようでは困るな」


 貢は忌々しげに、死骸を睨み付けた。


「これは何?逃げようとしたお仕置き?」


 わたしが言うと、貢は不快気な態度をあらわにした。


「こんな趣味の悪いお仕置きを僕がすると思うか。みくびるなよ」


 こめかみを引きつらせながら、貢が言った。こんな人でなしでも、プライドが傷つくことがあるのだな、とわたしは思った。


「じゃあ、この死骸は何なの」


 わたしが問いを放つと貢は一瞬押し黙り、ため息とともに口を開いた。


「獣がいるのだ、このあたりには。君の知らない大型の獣がね」


 吐き捨てるようにそう言い置くと、貢はドアの向こうに姿を消した。


            〈第八話に続く〉

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