第6話 「わたし」(6)


 村木は家にいるときと同じように、きっちり同じ間隔で食事を運んできた。


 わたしは時間の感覚を失わないために、食事を終えるたびに壁に小さな傷をつけることにした。ちょうど便器の裏にあたる位置が、気づかれないように思われた。

 傷が六つを数え、少なくとも捕われてから二日が経過したことを物語っていた。


 村木が運んでくる食事のメニューはどれも、わたしが家で食べていたものばかりだった。

 どうやって調べているのだろうと思わなくもなかったが、問いただす勇気はなかった。


 オールバックの男性もそうだが、無口なこの中年男が、いつ何時凶暴さをあらわにしないとも限らない。無用意な発言はしないに越したことはなかった。


 七度目の「食事」を終え、皿を手に部屋を出てゆく村木の背を見ながら、わたしはふと、


 ――ひょっとしたら、わたしが観念したと思って油断し始めているのでは。

 との思いを抱いた。


 だとしたら、脱出を考えていい時なのかもしれない。


 村木の気配が去った後、わたしは室内を見回した。脱出するなら、遅すぎても良くない。


 スチール棚にはいくつか工具らしきものがあったが、どれも錆びつき、久しく使われていないことをうかがわせた。外に面した窓でもあれば、何か固いものでたたき割るところだが、あいにくとこの部屋には窓という物がなかった。

 

 ――どうする?スパナで入ってきた村木を殴るか?


 でも、とわたしは考えを中断した。奇襲を仕掛けて万が一、失敗した時はどうする?反撃に転じた村木から、手錠をはめられたままの手で逃げられるか?武器を奪われ、組み伏せられてしまったら、せっかくの作戦が水の泡だ。


 そうなったら、オールバックの男性に酷い「おしおき」をされないとも限らない。

 奇襲は脱走とくらべ、あまりにもリスクが高いと言わざるを得なかった。 


――やはり「出口」を探すしかないのか。


 途方にくれながらぼんやり室内を眺めていると、ふいに部屋の一点に視線が吸い寄せられた。天井に近い壁の一角に、横長のベニヤ板が不自然に張り付けられていた。


 わたしはふらふらと立ち上がると、離れた壁に寄せてあった作業台を動かしにかかった。


 身体全体を使って少しづつ移動させると、作業台の脚が床の上でずりずりと音を立てた。 時折、きいっという擦過音が響き、そのたびにわたしの心臓が小さく撥ねた。


 作業台をベニヤ板の下まで移動し終えると、わたしは腰かけるような姿勢から四苦八苦して台の上に体を上げた。立ち上がってみると、ベニヤ板はちょうどわたしの目の高さだった。わたしは手錠をはめたままの手で、ベニヤ板の周囲をあらためた。板は壁にくっついていたが、まさぐってみると爪の先が入るくらいの隙間があった。


 わたしは板の縁に指をかけると、ものは試しで力をこめてみた。すると、べりっという音とともに指先の抵抗が消え、板はあっさりと壁からはがれた。どうやら釘で打ちつけてあったわけではなく、樹脂系の接着剤で強引に張り付けてあっただけのようだ。


 板の下から現れた眺めにわたしは思わず感嘆の声を上げた。板で目隠しをされていたのは、縦三十センチ、横五十センチほどの四角い空気孔だった。孔は金網でふさがれ、四隅がねじ止めされていた。


天の助けだ!わたしは狭い作業台の上で小躍りした。

 このチャンスを生かさない手はない。わたしは慎重に作業台から降りると、スチール棚の工具箱に歩み寄った。


 ドライバー。ドライバーは、どこ?


 わたしは工具箱の中を探った。運よくドライバーはすぐに見つかり、わたしはドライバーを手に作業台の所に引き返した。先ほどよりいくらか器用によじ登ると、わたしは金網を留めているネジにドライバーの先端を押しあてた。


 自由を奪われた手でグリップに力を込めると、ざりっという音がしてぱらぱらと赤錆の粉末がこぼれた。そのまま力を込め続けると、ネジがゆっくりと回り始めた。わたしははやる気持ちを抑えながら、少しづつドライバーを回転させた。


 どうして手首って三百六十度回らないんだろう。


 そんな事を考えながら回しているとやがて、一つ目のネジがぽろりと外れた。手で受け止め損ねたネジは、作業台の上で撥ねて固い音を立てた。


 まずい。急がないと。


 わたしは迷うことなく、二つ目のネジにとりかかった。一つ目が外れた後は驚くほどスムーズに作業が進んだ。いいぞ。わたしは最後のネジにドライバーをあて、左手で金網を押さえながらゆっくりとネジを回し始めた。


 いいぞ、もう少しで外れそうだ。そう思った時だった。


「なにをしているんだ」


 押し殺した声が背後で響いた。心臓が跳ね上がり、私はその場に凍り付いた。

 おそるおそる振り返ったわたしの目に、開け放たれたドアと二つの人影が飛び込んできた。オールバックの男性と、村木だった。


「村木、これを見てどう思う」

 仁王立ちになったオールバックの男性が、背後の村木に尋ねた。


「すみません、みつぐさま。私としたことが予想外でした」

 村木が神妙な顔つきで答えた。そうか、わたしを監禁しているこの男は貢というのか。


「おとなしくしているとばかり思っていたら」

 貢がにじりより、わたしはずるずると作業台から床の上に滑り落ちた。


「随分と舐めた真似をしてくれるじゃないか」

 貢はわたしの手首をつかむと、いきなり上に強く引いた。


「痛っ」


「ふん、金網を外そうとしたな。……お行儀の悪い指だ」


 貢はポケットから、銀色に光る物体を取りだした。安全ピンだった。貢はわたしの親指をつまむと、安全ピンを開いた。


「自由など」

 貢はそう言うと外したピンの先端を指の肉と爪の間につきたてた。


「……与えるのではなかった」

 ピンの先が皮膚を突き破る感覚があり、激痛が脳天を火柱のように突き抜けた。


「痛ああっ!」


「当たり前だ。痛くしているのだから」


 貢はピンを引き抜くとポケットに戻した。爪の間に赤黒い血の球が現れ、みるみるうちに大きさを増した。無言で背を向け、去ろうとする貢にわたしは憎悪の眼差しをぶつけた。


「いっそひと思いに殺したらいいんだわ」


 わたしの言葉に、貢の足が止まった。貢は肩越しに振り返ると


「殺してもらえるなどと思うなよ」

 と、吐き捨てるように言った。


              〈第七話に続く〉

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