驟雨

 白い羽織姿の集団が、宴席の葉名たちのすぐそばに現れていた。二十名ほどの集団で、全員が顔にうす布をかけ、顔が見えないようにしている。あれは夏の者たちかもしれない。夏の一団が春へきたとき、その白い羽織姿をアオジは目にしていた。横で珠がほっと息をつき、会場の方へ駆けてゆく。

 けれど、なにかがおかしかった。

 遠目にも場は静まりかえり、みなの顔は引きつっている。月水や宵待がすわと腰を浮かせて、夏の家の者たちの方を睨んでいる。

 前を走っていた珠が足を止めた。ぐじゅりと音がし、葉名のひとりが夏の者に刀で貫かれ、倒れる。


「嫌ぁぁぁ────っ!」


 悲鳴の上がる方を見れば、春の六子・すばるがばったりと倒れていた。恐慌状態になった場を月水が恫喝した。


「うろたえるな! 水簾すいれん、これはどういうことだ!?」


 月水は蒼白な顔で立ち上がり、夏の当主へ呼びかけていた。白衣しらごろもの集団の中で、同じように薄布を顔にかけたひとりが前へ出る。


「どうもこうも、わかるだろ。秋冬がここにいない意味を考えてみなよ」


 夏の当主の声は若く、はりがあった。顔は布で隠されて見えないが、月水よりもずっと若い。青年だろう。腰に黒鞘の刀をさげ、いつでも抜けるようにしている。よく見ると、夏の者は全員が同じ刀を持ってきていた。


「……話し合う余地はないと?」


 月水の声は低かった。屋敷の守りをつとめる葉名や、一族の者たちが短刀と薙刀を構える。


「ふん」


 傲慢に笑った夏の当主は、怯えて動けない葉名たちの方へ向かった。そこにいるのは春の直系血族の葉名ばかりだ。舞や楽を披露するために、優秀なものだけが舞台の横に集められていたのだ。陽菜もそこにいる。夏の当主は一番手前にいた少女の髪をつかみ上げた。


「ひっ」


 怯えた少女は、月水の正妻・氷の葉名だった。頭をつかんで無理やり立たせると、夏の当主はすらりと抜いた刃をその首に押しあてた。悲鳴が上がり、正妻・氷が狂ったようにそちらへ向かおうとする。


「やめなさい! 止めて待って嫌、そんなのやめやァ、──」


 座敷の途中でびいんと、氷の動きがとまった。首につうと赤い筋が入っている。彼女は目を見開き、手を伸ばしたままがふりと血を吐いた。


「ふうん?」夏の当主は震える葉名の首をゆっくりとかき斬り、氷の様子を見て首をかしげた。「生身もいるのか。葉名を殺し、生きてた奴は助けてやれ」


 氷の首がずれ落ち、驚いたように目を見開いたそれが転がって、風船のようにはじけた。たたらを踏んだ首から下は血を勢いよく数回吹き上げ、倒れる。

 誰かが悲鳴をあげたのが契機となり、場は恐慌におちいった。

 葉名たちが逃げ惑い、片端から斬られていく。

 春の者たちはとっさに武器を取り抵抗した。けれど元々戦う用意もしていない。


「人を呼べ、屋敷から人をぶッ──」


 大声で指示をくだした春の重臣がばったりと倒れる。葉名が死ぬごとに春の座席にいた者が倒れ、目を見開いた驚きの表情で死んでいく。

 間近に上がった悲鳴に、アオジは頬をはられた気分だった。

 前を歩いていた珠が袈裟懸けに斬られている。血にぬめる刃が彼女の右手を斜めに切断し、それが宙を飛ぶのを見た瞬間、アオジは走り出した。


「陽菜──!」


 追いかけてきた刃に右肩を斬られたが、構わず春の座敷の方へ駆けた。葉名たちのいくらかはそちらへ逃れ、残りはてんでばらばらに四方へ逃げている。陽菜の姿はない。入り乱れ戦う夏の白い着物姿と春の者たち、その下に折り重なる死体。葉名たちの躯が血濡れて無残に転がっている。地面は赤黒い液体に濡れ、鉄さびた匂いが充満していた。あちこちに欠けた人の肉が転がっていた。腕、足、指、耳、髪──それらは春で多くの葉名を有した者たちの残骸だろう。夏の者たちは明らかに葉名を狙っていた。春の一族は武器を手に葉名を守ろうとしたが、その間にも彼らの腕は飛び、目が破裂し、腹がひとりでに裂けている。無防備な状態で葉名を狙いうちにされては不利だ。アオジは座敷に立ちすくむ輝夜の姿を見つけた。みんな逃げようとしているのに、呆然と白い顔で立っている。その姿は遠くからでも目立っていた。横で戦っていた宵待が、夏の者の刃を止めながら必死に輝夜に呼びかけていた。


「輝夜! しっかりしろ、はやくむらさきを探せっ──輝夜!」

「輝夜様っ!」


 アオジが走りよると、気づいた宵待がほっとした顔で笑う。


「よかった、すぐにむらさきを探してィ──」


 次の瞬間、宵待が目を見開き、凍りついたように倒れる。立っていた輝夜にそのままぶつかると、輝夜はようやく倒れた宵待に気がついた。


「あ……」


 へたりこんだ輝夜の向こうで、両手に短刀を構え、応戦していた宵待の葉名・すみれが腹を刺し貫かれ、口から血を噴きだしていた。そのまま腹を混ぜるように刀を抜かれ、すみれは臓腑を零し、人形のようにくずおれる。

 宵待は死んでいた。虚空にひらかれた瞳と口が、紡ごうとしていた言葉の名残を思わせる。ジャッ、と刀の血を払い飛ばし、すみれを殺した夏の者が輝夜の方へ近づく。輝夜はすくみ動けない。


──だめだ逃げられない!


 振り上げられた刀が降りるとき、とっさにアオジは輝夜をかばい前へ出た。背に熱が走り、斬られたとすぐにわかる。胸に抱えこんだ輝夜は茫然としていた。


「に、逃げて……ください」


 自分はもう動けない。助からないと思った。輝夜を離れるように押し出せば、彼女は怯えた顔で、それでもようやく後ずさりする。


「ア、アオジっ」

「行って!」


 震えながらようやく輝夜は立ち上がった。彼女が向かう左手の、舞台の紗幕の下から人影がそっと出てくるのがみえた。むらさきと陽菜だった。隠れていたのだろう。陽菜はむらさきに手を引かれ、竪琴をまだ握りしめている。青ざめた顔をしているが、遠目にも無傷なことはわかった。輝夜に気づいたむらさきが合流する。ほっとしたのもつかの間、鋭い風の音にとっさに左へ転がった。それまで自分がいた場所に白刃がつきたっている。アオジを仕留めそこねた刃は、折り重なるように転がっていた宵待の死体に刺さり、僅かに引っかかった──その隙を狙って、最後の力で相手の足を思い切り払った。


「っ!」


 転がった相手の手が、幸いにも刀の柄から離れる。アオジはそれを取り、宵待の体から吹き上がる血潮を頬と目に浴びて、そのまま倒れた相手の胸へ夢中で何度も突き刺した。

 自分の呼吸だけが荒く聞こえる。

 視界はおぼろげで、耳奥で鼓動がずっと鳴っている。しばらくして、アオジは手をとめた。倒れた相手は動かなくなっていた──もう死んでいる。


 周囲に動く者は少なくなっていた。春の桟敷は折り重なる死体で埋まっていたが、そのほとんどは綺麗な姿だ。見開かれた目と口もと、突然に気を失い倒れたような姿の者もいる。舞台の周りや葉名たちが座っていたあたりには、葉名の肉片や血濡れた無惨な死骸が転がっていた。人の身がほとんど血液であることを、アオジはこの日ほど実感したことはない。そこら中に飛び散り、しぶきとなって空気に溶けこんでいる。息を吸うだけで、ほんのり鉄錆びた味まで感じるくらいだ。


 眼前が暗く気分が悪かった──流した血量が多いのだ。震える足でなんとかそのまま立ち上がった。動揺しすぎて体のどこが痛いのかもわからない。それを幸いだと、的外れな考えがひどく冷静に頭をよぎっていく。夏の者たちは逃げた葉名を追いに行き、残る数名が倒れた葉名にとどめをさして回っている。傷つきふらつくアオジが歩くのを、彼らはなぜか無視した。どうせこの状態では遠くへは行けない。数瞬後には、気が変わってアオジを殺しにやってくるかもしれない。そうは思っても、今はのろついた速度でしか進めなかった。手に入れた刀にもたれるように、消えた輝夜たちの後を追っていった。




 まだ左腕はある。陽菜は生きている。

 闇雲に進むあぜ道は暗く人けがなかった。それまで明るかった満月が雲に覆われた刹那、前方に三人の姿を見つけた。いた。むらさき、陽菜、輝夜と──無意識にほっとしかけてぞっとする。もうひとりいる。

 雲が晴れ、三人の前に立ち塞がる白い長衣の男の姿がみえた。男はなんのためらいもなく、一番前にいたむらさきの首をはね飛ばした。鞠が跳ねるみたいに、それがアオジのすぐ足元へ転がってくる。前方で輝夜が糸の切れた人形のように倒れるのがみえた。


「あ……」


 ほんの刹那、動けなかった。首だけとなったむらさきの虚ろな瞳と、間近に目が合ったせいだ。明るくなった満月の光に、植物の維管束に似た赤黒い首の断面が見える。あつまる細胞や血管、綺麗にきられた骨。地に赤く染みをつくり、驚いた顔が、何が起きたのかわからないという風にありえない位置で──足元でアオジを見上げていた。あまりにも非現実的な光景だった。現実からかけ離れすぎて受け入れられない。男はこちらに気づいたようだが、構わず輝夜の死体を検分していた。輝夜は体のどこも欠けることなく、綺麗な姿のままでこと切れていた。


「穢らわしい」


 ぼそりと呟く男の声は低く渋い。

 森の方へ陽菜がそっと後ずさっている。怯えた陽菜はアオジに気づかず、男に釘づけだ。竪琴をすがりつくように握りしめている。そのまま走って逃げればよいものを、背を木の幹に阻まれ、動けなくなっていた。アオジは男の注意を引こうと、叫び駆け出した。陽菜が逃げる時間を稼がなければならない。


「っ、おい、お前!」


 男はアオジを見たが、視線を陽菜へと移した。陽菜を先に片づける気だ。男が刀の柄を握りなおす。陽菜を斬るために、力をこめる動きまでもがよく見えた。

あと一歩、届かない。間に合わない。

 とっさに握っていた刀を投げた。

 闇雲な攻撃は意外にも男の顔に的中し、相手の白い顔布を飛ばした。現れた顔は二十代くらいの青年で、結っていた紺色の髪がひとふさ、パサリと落ちる。頬にうすらと血を滲ませた相手は、糸のように細い目でアオジを見た。怪訝そうな顔だった。


「──今、投げたのは、誰の刀ですか」


 どうやら、アオジが誰から刀を奪ったのかを尋ねているらしい。答えて注意をそらそうとしたら「まあいいでしょう」と男は手を動かした。


「まっ……」

「あとで確認します」


 途端、左腕が激痛を訴えた。

 ざくりと、男の刀が陽菜を幹に串刺した。

 陽菜は目を見開き、喘ぐように血を吐く。

 握っていた竪琴が陽菜の手から転がり落ち、それを追った視線がうずくまるアオジを見る。陽菜はなにかを言おうとした。けれどその声は出ない、音にならない──口がパクパクと大きく開き、目がカッと見開かれている。男が勢いよく刀を一文字に動かすと、陽菜は上半身と下半身がわかれた状態で、木の根元にずるりと倒れた。

 途端、アオジの左腕が破裂し消えた。


「あああッ────、ああああああああッ、──────ッ!!」


 衝撃に何も考えられない。

 うずくまり地に顔を押しつけ、瞬間だけ意識が飛ぶ。視界が暗い。鼻に砂が入り、口のなかに血と土が混じっている。唾液が溢れてくると思ったら、胃からせり上げたものを吐いていた。自分の荒い呼吸の音だけが黒い視界に響いている。


「は、るな……ッ」


 ちらつく視界で気がついたとき、アオジは横向けに倒れていた。もう体をぴくりとも動かせない。木の根元に無惨に転がる陽菜の死体、その白い指はアオジへと伸びたままで固まっている。転がる血濡れた竪琴がみえる。陽菜が毎日練習していた、あの外れた音がなる楽器が無造作に、地に放り出されている。土を踏む誰かの足音がして、目の奥が真っ赤に染まった。


 殺してやる。

 殺す。こいつを殺す。殺してやる、殺してやる、殺してやる!


「はっ、……ッ」


 相手の足をつかむはずだった指はむなしく土を掻いた。前へ進めない。どうせ死ぬなら、こいつを殺してからだ。なんとしても。


「おやめなさい。あなたが死ぬことはない」


 なぜか男にはアオジを殺す気がないようだった。刃を振って血を飛ばした後、転がる輝夜の服で血のりを拭っている。


紫陽羅あじら、片付いたか?」


 もうひとり誰かが近づいてきて、男に気安く話しかけた。女の声だ。


「ええ、まあ。この方をどうしようかと」

「なんだ、始末しておけばいいだろう」


 面倒くさそうな雰囲気の新手はしばらくアオジの周りをうろつき、呆れた声になる。


「こいつ冬のじゃねぇか。紫陽羅ァ、お前しくじったな?」

「違いますよ、間違いなく春の方でした。とにかくなんとかしましょう」

「あーあぁ。ややこしいことになるぜ」


 冬のは殺すと厄介厄介──ぼんやりする聴覚で、アオジが最後に拾った音はそれだった。

 視界はとっくにない。暗くなり見えない。寒くて、体中の感覚がなく、ただ一心に怒りと憎しみだけが胸にのこっている。


 ゆるさない、だれを、……だれに……だれが…………。


 意識がとけて意味が消え、そこでアオジの思考は途切れた。

 夏のふたり──紫陽羅がアオジの傷口を縛り、もうひとりの女が「なんじゃこりゃ」と転がっていた竪琴を拾い持ち帰る。




 その日、春の家の塔からまばゆい光が消えた。丸く大きな鏡は割れ、欠片がきらきらと月明かりに輝き落ちていく。春の領地から満月の夜、主上は離れていった──それはおよそ四年越しの移動だった。



――水鏡へ。

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