フェイズ10 契機
アスナさんから近況見舞いのメールが来た。
『なんだかたいへんみたいですね。
あたしに何かお手伝いできることはありませんか?
進行管理でも、お仕事の価格交渉でもお手伝いしますよ』
『いえ、今は正直それどころじゃないので。
いつもお気遣いありがとうございます』
本当にいつも、僕が困った時や優しい言葉をかけて欲しい時にタイミングよくアスナさんは声をかけてくれる。
本当にいつも……。
この瞬間、僕の頭の中で何かが繋がった。
僕が困った時ってどんな時だ?
優しい言葉をかけて欲しい時って!?
もしかして、今までもずっと……!?
なぜこのタイミングでメール?
なぜ僕が進行管理や仕事の交渉で困っていることを知っている?
演劇部の公演のパンフレットには、僕が承諾している旨のクレジットが入っている。
学内のイントラネットで動画を見ようとすれば、あらすじとともにそのクレジットが目に入るようレイアウトされていることも
逆に言えば、僕のPNを見て絵を生業にしている人だってことを知っている人――なおかつブログまで見てくれてる人――なら、僕と演劇部の誰かが連絡を取ったということは判るわけで、今の僕がDBさんのプロデュース戦略で無償の仕事は受けない、ということも知っていれば、これは何か裏取引があると思われても仕方がない状況。
でも、そもそもどうしてあの動画が炎上するにあたって、DBさんのPNが出てくる?
DBさんが僕のマネジメントをしていることは、仕事つながりのごく一部の人しか知らないはずで、なおかつDBさんのリアルを知っている人はますます限られていて。
偶然の一致にしてはタイミングがよすぎる話。
疑いたくはないけれど、すべてはDBさんを陥れるためにアスナさんが仕組んでいたことだとしたら……?
誰かひとり、DBさんと同じ学校にアスナさんの知り合いがいれば全てはキレイに繋がってしまう。
個人までは特定できないにしろ、DBさんが演劇部関係者だということは一目瞭然だ。
社長は動画の流出元についても正規の手続きで調査を依頼しているとDBさんが言っていた。
ならば、と僕は社長にメールした。
僕の推論、そして学校のシステム管理者に、学外から動画を閲覧した生徒もしくは学内で動画をUSBメモリやメールに添付したりして持ち出した可能性がある生徒を特定してもらう依頼。
同時にKKさんにもお願いをした。
アスナさんのハッキング。
内容は証拠として使えないにせよ、SNSなどの裏アカウントでやりとりしていた可能性は高いから、アスナさんが作っている裏アカウントを一覧にしてもらうこと。
状況証拠が揃ってからの社長は苛烈だった。
学校から提出された、動画を持ち出した可能性のある生徒の一覧。
動画をアップロードしたアカウントと、それに否定的なコメントを付けて煽っているアカウントの一覧。
みんなアスナさんの裏アカなのはハッキングから判っているのだけれど、しれっと知らないふりをして。
弁護士とともにこれらを警察に提出し、裁判所を通じてプロバイダに情報開示を請求。
結果、すべてのアカウントのIPアドレスは同じであり、さらにその他にも複数のアカウントが同じIPアドレスを使っていて、そのうちのいくつかが学外から動画を閲覧した生徒の一人とつながっていることを確認。
その一人とはかつての僕同様、芽の出ない絵描きで、ネットでdisられてはアスナさんに慰めてもらうという関係で、そしてそれは……アスナさんによる裏垢を使ったマッチポンプだった。
その人がダウンロードした動画をアスナさんに転送したことは、自白とプロバイダからの情報で明らかになった。
社長は示談を持ちかけたけれど、提示されたそれは示談とは名ばかりで一方的に屈服させるような内容だった。
「オレの身内に手を出したら承知しねぇぞ」というアウトローの見せしめのような。
アスナさんは、学校やDBさんへの謝罪とともに莫大な慰謝料のみならず、無期限にあらゆる創作活動の発表を自粛することを約束させられた。
もう同人誌を発行することもpixelに自分が描いた絵を投稿したり、小説投稿サイトに文章を投稿することもできない。
唯一許された自分のブログ以外に発表の場はなく、SNSでの他の創作者との交流もかなり厳しく制限された。
裁判所からの帰り道、問われるともなく社長が語りだした。
「前にな、店のメイドにストーカーしやがった奴がいたんだよ。あと逆に守秘義務違反のメイドもいたな。
どっちも示談にしたんだが、見せしめ的に徹底的に搾り取って、あれこれ行動の制限をつけた。
賠償金も大概だったけど、それ以上に『行動に制限をつける』ってことでウチを敵に回したくないって思わせたかったんだよな」
僕たちは、黙って社長の話の続きを聞いていた。
「やりすぎだって声も聞こえてくるけどな。
人権とか、創作者の権利とか、そんな大層なことじゃなくてさ、俺が関わってることに手を出したらタダじゃすまないぞっていうのをはっきりさせておかないと、また舐めたマネしてくる奴が現れかねないからな。
自分の手が届く範囲にいる仲間くらいは守ってやりたいじゃないか。
他にやりようもあるんだろうけれど俺に出来るのはこんな方法だし、今のところこれが一番効果的だと思ってるからな。
今はネットであっという間にこういう話は拡散するから、『メイド書店』に手を出したらケツの穴までむしられるってのを広めて、次のバカが現れるのを未然に防いでおきたいわけだ」
「社長、お言葉ですが」
とDBさんは冷たい声で言った。
「助けていただいたのはとても感謝していますし、社長のやり方も共感はしませんけど理解はしてます。けれど、私の前で『ケツの穴までむしられる』って言うのはセクハラ発言だと思いますし、そもそもちょっと言葉の使い方が間違っています。
穴はむしれません」
僕と社長は、思わずプッと吹き出した。
「悪い、悪い。ごめんよ、伊藤さん。
いつも斎藤くんとはチャットでバカ話してるから、ついそのノリで、悪かった。謝る」
社長にPNじゃなく苗字で呼ばれるのは新鮮だった。
あと、DBさんが「伊藤さん」って呼ばれるのも。
「まあ、これに懲りて
奴ももう、斎藤くんには構ってこれないし、他にもいろいろちょっかいかけてたらしいけど、そのへんの話も噂話として広がっていくだろうから、もう騙されて子分みたいにへつらうやつも出てこないだろう」
「そうですね……。
なんていうか、昔『自分なんか』って落ち込んでた時に励ましてもらったりしてたのに、そもそもその落ち込む理由だった攻撃的なコメントってのを書いてたのも『アスナ』さん自身だったなんて。
もう人間不信になりそうです」
僕はひとつため息をついた。
「おいおい、私のことも信じられないのかい?
私はいつだって君の味方だよ」
DBさんの言葉は嬉しくて、でもなぜか突然ちょっとだけふだんの仕返しというかいたずらしてみたくなって。
「あれ? 本当に味方なんですか? 『私のことは切り捨てていいから』なんて言った薄情な人はどなたでしたっけ?」
その言葉に目を見開いたDBさんは立ち止まり、うつむいて、嗚咽を漏らした。
僕は社長にゲンコツで頭を殴られた。
「お前、今それはデリカシーなさすぎだろう。
これだから、コミュ障のオタクは……」
そう言って社長は頭をかきむしり、財布から紙幣を1枚抜き出して僕に握らせると、
「ちょっとどこかで茶でも飲んで、少し落ち着かせてから帰れ。
でもって、お前は伊藤に怒られろ。
ビンタの一発くらいは覚悟しておけ」
と言って、先に歩きだしてしまった。
「社長、いいんですか? これ諭吉さんですよ!?」
社長の足がピタリと止まった。
そして、少しだけ逡巡した様子だったけど振り向きはせず、
「構わん、ついでに何か旨いもんでも食わせてやれ」
そう言って、さっきまでよりこころもち背中を丸めて立ち去ってしまった。
泣いていたはずのDBさんが、クスクス笑った。
彼女の足元のアスファルトには黒い染みができていたけれど、僕はちょっとだけ安心して。
ひとつ深呼吸して、
「ごめんなさい。せっかくだから、何か飲んで帰ろうか」
そっと彼女の手を引いた。
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