フェイズ7 達成−−前半
さすがにその連絡は私に先には届かなくて、彼と私に同報メールとして送信された。
私が彼に報告したのと、彼が驚いて私に問い合わせのメールを送ったのは、ほぼ同時だっただろう。
『
「その直後に、私からのメールも届いてないかい?」
『あ! 今届きました!
いつの間に応募してたんですか?
僕、知りませんでしたよ』
興奮気味の彼からのメールを見て、私はほくそ笑んだ。
メールから、テキストチャットに切り替える。
「だってほら、変に力が入っちゃうより、自然体で描いて欲しいと思ってさ。
普通の仕事の合間に紛れ込ませておいたんだよ」
『ところで……』
ほら来た、と私は口角を上げる。
『授賞式って、どうしても出なくちゃいけないんですか?』
「そうだねぇ、キミがボブ・ディランならノーベル文学賞の授与式をすっぽかしたってこの先も仕事はあるだろうけれど、まだまだ駆け出しのイラストレーターが雷撃イラスト大賞の授賞式をブッチしたら、もう二度と仕事は来ないだろうね。
ついでに言えば、いつかキミがひきこもりから脱したとして、ビッグサイトのイベントなんかにサークル参加を申し込んだとしても、妬みやそねみで『意図的に』落とされるんじゃないかな」
『…………』
なかなか葛藤しているようだ。
キーボードを操作しながら、私は顔がにやけてくるのを止められない。
本当にこの少年は素直でいじりがいがある。
「どうだい? パパやママとお出かけするのが恥ずかしいようなら、私が迎えに行って付き添いしてあげようか?」
彼はまだ私が男か女か? 学生なのか社会人なのか? それすら知らないはず。
まさか、たったひとつ年上なだけの女子高生だなんて思いもよらないだろう。
玄関先でサプライズだ、と私は再び口角を上げる。
『……いいん、です、か?』
「ああ、もちろん。
その代わり私も授賞式には関係者として紛れ込ませてもらう。
いや、手続きとかは私の方でやるからキミに面倒は掛けないよ。
さすがに表彰状かトロフィーみたいなものかは知らないけれど、それを受け取るのとスピーチはキミにやってもらわなくちゃだけれど、スピーチの原稿を書くのは代わりにやってあげてもいい」
『いえ、そうじゃなくて、DBさんは今までずっとリアルを隠してきたじゃないですか?
なのに、僕の前だけじゃなく、大勢の人の前に出ちゃって大丈夫なんですか?』
おっと! 純真な心配に、お姉さんちょっとグッときちゃったよ。
「これもキミのおかげさ。
3年前、ネットでキミと知り合った頃の私はパッとしないイラストレーターだった。
恥ずかしくて、とてもリアルを晒す気にはなれないような、ね。
でもね、キミと社長のおかげで私は自分の居場所を作ることができた。
今の私はね、自信を持って堂々と名乗ることが出来るんだ、
そして、『フリーランスですよ、あなたも私にマネジメントを任せてみませんか?』ってね」
私が幼稚舎から通っているのはわりと有名なお嬢様学校だから、高校ではもちろんアルバイト禁止だし、ママも強硬に反対した。
少々(いや、少なからず)オタク気味のパパが、ママには内緒で社長と相談して「これはアルバイトではありません、色々とアドバイス頂いたので薄謝ではありますが御礼の品でございます」という
正直学校生活にはうんざりしていた。
スカートの丈、髪の色、リップは透明か色付きか、……ありとあらゆることが序列化され、友だちすら「この人とは関わっていいけど、この人たちは違う世界の人」みたいに序列化されていて。
そんな誰が決めたわけでもない枠組みの空気の中で、私は窒息しそうになっていたのだ、中学生の頃には。
パパと共用だったパソコンがお下がりとして私専用になり、私はネットで仲間を募り、創作活動グループ“深呼吸して”を主宰した。
掛け持ちでいいから、なんなら向こうのサークルに出す作品の進行管理も手伝うからと、そこそこ有名どころの絵師さんたちを口説き落とし、小説投稿サイトから短編が上手い人を探して「商業ベースじゃないけど名前を売るチャンスだから」と誘い出して、ウェブ雑誌『深呼吸して』を創刊した。
微々たる売上は参加メンバーに配分すると、ペンタブの替芯代程度にしかならなかったけれど、それでもそこはウェブ上とはいえ私が創った私のための居心地のいい空間だった。
……3年前、この少年に出会うまでは。
絵も文章も拙さは残るけれど、何か心を揺さぶるものがあった。
直観的に「負けた」と感じた。
「敵わない」と思った。
訊けば、何もかも自己流で覚えてきたと言う。
悔しさよりも、彼を育ててみたい、という気持ちの方が大きいことに自分でも驚いた。
「一緒にやろうよ」と何度となく誘った。
「リアルには一切干渉しないから」と。
「不思議な透明感があるよね」
「キミの絵が好きなんだ」
「詩も好きだけどね」
なんだか「ラブレター」とか「愛の告白」みたいだな、と思いながら彼を口説き落としたのが3年前。
とりあえず、イラスト投稿サイトに私がいちばん好きだった絵を投稿させると、思った通りたくさんのブックマークや「お気に入り」が付いた。
そこからはあっという間だった。
彼は褒められて伸びるタイプだったのだろうか?
ひとつの賞賛を糧にして、ふたつもみっつも成長して腕を上げていった。
儚げで優しげな透明感のあるイラスト、それを邪魔しない控えめだけれど心に響く短文。
女性を中心に彼のファンは増えていったが、彼はそんなことにはお構いなしに絵を描き、文字を綴っていった。
サークル“深呼吸して”は私のためというより、彼のための空間になってしまったが、それは意外と悪くないと思う私がいた。
そんなある日、私の楽園を脅かすメールがあちこちにばら撒かれた。
既に名のある絵師さんたちはもちろん、「絵は上手いんだけど、しょっちゅう原稿落とすんだよね」って人や、「見る目はあるけど、それを人に伝えるコミュ力が壊滅的だよね」なんて人にまでお誘いのメールが行っているという噂は届くのに、
サークルのメンバーの大半は、「小遣い稼ぎにもならないじゃん」と断りのメールを入れたりスルーしたりしたが、主宰の私にはその誘いが来なかったのだ。
もちろん彼には届いていた。
彼は参加したい、とただひとり表明していた。
私の居場所が奪われる。
私への求心力がなくなる。
私の彼への影響力がなくなる。
そう怯えていた矢先、私にも「メイド書店」の社長からメールが来た。
「ここでマネジメントを勉強してみないか?」と。
バカにするな! と正直思った。
脊髄反射で断りのメールを送った。
怒りのあまり枕をベッドに投げつけようとした瞬間、メールの着信を知らせる電子音がした。
そこには私を雇いたいという理由が箇条書きにしていくつも書き連ねられていた。
どうやら私のことは、sighくんから聞いたらしい。
そのメールには、彼から聞いた話だけではなく、これまでに発行してきた『深呼吸して』のバックナンバー、その編集後記や参加している他のみんなからの聞き取りなど、様々な角度から私の活動を分析し、いかに私がマネジメントやプロデュースに向いているかがエビデンスとともに書かれていた。
きっとこの社長さんは、時間があったらパワポでさぞかし気合の入ったプレゼンテーションをしてくれただろう。
それが見れないのはちょっと残念だな、と思う程度には既に私の心は動かされていた。
人たらしっていうのは、こういう人のことを言うんだろうな、と心の中で苦笑いして私はその提案を受け入れた。
結果的に私にも社長からのメールは来たけれど、その頃にはサークルの空気は微妙な感じになっていて、特に私が宣言するまでもなくサークル活動は無期延期、事実上の解散となった。
そして私は、メイド書店で何人かのPOP職人たちのスケジュール管理をしながら仕入や書籍の流通を勉強させてもらい、流行の発信の兆しとそれを見つけて乗っていく、時にはこちらから仕掛てバズらせる、そんなダイナミックな現場をリアルタイムで何度も見せてもらった。
半年くらい経ってようやく気がついたのは、社長は私を補助的とはいえ即戦力として期待したのではなく、むしろ将来への保険として育てるつもりだったのではないか? ということ。
いきなり役に立ってみせたのは、社長にとっても嬉しい誤算だっただろうと思うのは自惚れだろうか?
更に半年後、2号店出店の際、そちらのマネジメント隊リーダー兼仕入組代表としてそいさんが親会社の意向で引抜かれた。
サブリーダーが欠員となり、これで親会社に戻りたがっていた社長はもうしばらくこのメイド書店の社長を続けることになった。
ここまでは社長も織り込み済みだったのだろう、成功することで逆に自分がすぐには親会社に戻れない可能性。
私は繰り上がりでそいさんの穴を埋めることになったが、引き継ぎは滞りなく進んだ。
だがひとつ想定外だったであろうことが、sighくんの急成長だった。
彼は社長や鍋奉行さん、そいさんが持ってくる仕事だけでなく、単発の安い仕事や、時には踏み倒されるに決まっているような仕事まで受けて実際踏み倒されたりして、それでもその全てに全力で応えようとするものだから、いっぱいいっぱいになってパンクしそうになっていた。
将来的には私に続く4番手5番手のマネジメント隊が育ってくる頃に、彼も頭角を現してくるだろうというのが社長の読みだったのだが、彼の成長が早すぎた。
「申し訳ないね」
と、社長は言った。
「仕方ないですよ」
と、私は答えた。
「それに、大学なら推薦で内部進学できますし」
私にとって嬉しい情報を社長が教えてくれた。
エスカレーター式に進学できる女子大の准教授に、アイドルのプロモーションなんかを研究している人がいるのだと。
その筋――クリエイターのプロモーションの研究――では結構有名な大御所の直弟子にあたる人物なのだとか。
それから、アメリカには小説家と出版社の間を取り持つエージェントという仕事があるのだと社長が教えてくれた。
日本ではまだそれで食べていける人はほとんどいないけれど、とも。
父は「そのエージェントっていう仕事で食べていくつもりなら、この女子大卒っていうのはなかなかユニークで面白そうだね」と言ってくれた。
母は元々自分の母校であるこの女子大に入れるために私を幼稚舎から通わせたのだから、基本的には文句はないはずだった。
ないはずだったけれど、なまじ私の成績が良かったものだから、「もっといい大学にも行けるのに」とちょっと残念がったが、それでも最終的には私の選択に理解を示してくれた。
こうして私はメイド書店の仕事と平行して、本格的にsighのマネジメントとプロデュースを始めた。
そして今日、私は彼の家の前で深呼吸した。
ひきこもりを外に連れ出すために。
ただの外じゃない、栄えある授賞式に連れていくために。
私はもう一度深呼吸して、「斎藤」と書かれた表札の横の呼び鈴を鳴らした。
玄関のドアを開けて出てきた少年は、私が思い描いていたイメージそのままだった。
よく言えば優しげ、はっきり言えば自信なさげで頼りなさげな、線の細い少年。
私は小首を傾げて、にっこり微笑みかける。
彼は硬直した。
わかりやすいなぁ、もう。
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