フェイズ2 事件
通信制の高校に入学した春、一通のメールが届いた。
『sigh 様
株式会社カクヤム内
メイド書店(仮称)準備室室長
Http://〜
新規お取引のお願い
拝啓
時下ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
さて、突然で誠に失礼と存じますが、弊社と新規にお取引願いたく、本状を差し上げます。
私どもは、総合商社カクヤムの社内ベンチャーで、新規にメイドをコンセプトとした書店の開業の準備をしております。
このたび、店内で使うPOPやポスター作成の依頼先を探していたところ、イラスト投稿サイト「pixel」にて貴殿のご活躍を知り、是非ともお取引願いたいと存じた次第です。
弊社の事業内容につきましては、リンク先の会社案内および営業案内書をご覧いただき、ご検討の上、お返事いただければ幸いです。
また、弊社の信用状況につきましては、角山銀行富士見支店にお問い合わせ下さればご理解いただけるかと存じます。
まずは、略儀ながら書中をもってお願い申し上げます。
敬具
非公式な追伸
しかしながらPOP1枚に払える金額は率直に言って微々たるものです。
また、社員、契約社員としての雇用というわけではなく、POP1枚、ポスター1枚単位での発注という社外の取引先、いわゆる個人事業主としてのお取引になります。
ですから、本業に差し支える、割に合わないなどの理由で断っていただいても結構です。
それでも私は貴殿の絵、そして文章に可能性を感じました。
出来ることなら力を貸していただきたい。
心からそう思っています。』
普段の僕ならイタズラだろうと思ってそのまま迷惑メールフォルダに移動していただろう。
でも、「魔が差した」じゃなくてこういう時はなんて言えばいいのだろう? ピンときたんだ。
「pixel」というキーワード、ネットで噂になっていた「メイド書店」。
本当に僕の作品を見たり読んだりしてくれたからかもしれない、と思ったんだ。
夜、父が帰ってきてすぐにメールをプリントアウトしたものを両親に見せた。
案の定、母は詐欺ではないかと疑った。
しかし父は、「この会社名が本物なら、ちゃんとした事業のつもりなんだろうな」と言ってリビングのパソコンを起動した。
ちょっと型落ちのパソコンは起動までに時間がかかる。
「このリンク先はもう見たかい?」
「うん、いちおうフィッシングを警戒して会社名を検索して、そっちから先に見てみたよ」
「どうだった?」
「ネットでも『メイド書店』は噂になってて、運営会社もこのメールの会社になってた。
メールのヘッダやリンク先のハイパーリンクのHTMLも見てみたけど、送信元を偽っているようでもなかったから本物ではあると思う」
「思う? だけど、何か言いたそうだね」
と、父はなんだか面白がっているみたいだ。
「絵も文章も僕くらいのレベルの人はたくさんいる。
ってことは、追伸にはいいことを書いてくれてるけど、ピンポイントで僕をスカウトしたいわけじゃなくて、同じ依頼を大勢の人にも送っているんだろうな、って」
「それはきっとそうだろうな。
自分だけがオンリーワンなんてめったにあることじゃない」
父は首肯した。
「ほら、ブラウザ開くぞ」
「何を書いてるのかさっぱりわからないわ」
一番先に画面を覗き込んだ母が言った。
そこには取引先向けの事業計画が書いてあり、その中の一節が僕たち「個人事業主」向けに割かれていた部分。
「どれどれ、POP1枚(10cm×15cm相当)500円(消費税8%込)カラー原稿、形式はJPEGまたはPNGでデータ入稿……と」
「そうなんだ、これなら秋葉原まで通わなくても在宅でできそうなんだ!」
「あなたはもう少し外に出た方がいいんじゃないの?」
「う〜ん、まだちょっとよその人と話すのは怖いかな。
コンビニや図書館の人でも、僕が帰った後クスクス笑ったりしてるんじゃないか? って思っちゃうし。
お母さんだってそんな気持ち、判るでしょ」
「……まあ、そうねぇ」
「なになに? POPを書いて欲しい本は向こうから指定してきて、その本についての経費は向こう負担でしかも発売前に家に届くように手配してくれる、と。
自前で本を買わなくていいし、支払以外の条件自体はそんなに悪いもんじゃないな。
で、お前はどうなんだ? やってみたいのか?
正直、時給で考えたら小遣い稼ぎにもならないぞ」
「メールのやり取りだけで出来るならやってみたい。
慣れてきたらボイスチャットくらい出来るようになるかもしれないし、今はお金よりもまず学校じゃない人との接点が欲しいんだ」
「そういう考えならいいんじゃないか。
なら、まずはお前が未成年であることを伝えて、この先しばらくメールのやり取りは、必ずお互いにお父さんにもCCを送ること。
特にお金に関わる契約の承認はお父さんがする、それで先方がよければ話を進めなさい」
「うん、ありがとう」
「ムリだけはしちゃダメよ」
最終的には母も背中を押してくれて。
こうしてため息ばかりついていた僕は、収入は微々たるものだろうけれど、個人事業主として社会との接点を手に入れた。
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