第三部 二十七


 銃器専門指令部SCO19は周辺の安全を確保すると、必要な戦力を現場に割き、クライヴたちとともにアバディーンへ急行した。というのも、アバディーンの警察から、協力隊がいきなり銃撃戦を始めたという連絡が舞い込んできたのだ。標的さえ見つかれば、どれほど犠牲が出ようが、奴らはアレクシアを殺すだろう。もちろん、それを邪魔する者も。

 クライヴは運転席から周囲を見渡した。まだティリーフーリーを通過した程度だ。アバディーンまではまだ距離がある。アクセルを踏む足に自然と力がこもった。


「心配いらねえよ」


 助手席に座っているハワードが言った。


「カーティスと君たちのことを訊いたよ。イラク戦争のことも」


「ならわかるだろ」


 バックミラー越しに映るノーマンもアレンも頷いた。

 スマートフォンが振動し、彼は画面を確認した。


「まさか」


 彼は思わずつぶやいた。

 番号は知っていた。しかし、自分に直接かかってくることは、本来ないはずの相手だった。


『こんばんは、クライヴ君』


『……内務大臣、お久しぶりです』


 この国の警察を統括する男、アーサー・エルドリッチ。彼と言葉を交わすのは、重大組織犯罪局SOCAの表彰式にクライヴが出席して以来、五年ぶりであった。


『じつは、メキシコ大使のアウレリオ・ペルニーアから、君の番号を訊かれた』


 バルタサールが自分の電話番号を知っていたのは、ペルニーアに探らせたからだ。クライヴの頭に渦巻いていた疑問がひとつ晴れた。


『バルタサール・ベネディクトは知っているかな』


『はい』


『彼とペルニーアは昔、一時的な協力関係にあった。カルテルを潰すためのな。彼はバルタサールをメキシコ大使館に引き入れ、彼の帰国を幇助した容疑をかけられた。現在、警察の取り調べを受けている』


 エルドリッチは一度咳払いをすると、


『供述のなかでペルニーアは、リカルド・サンティジャンとパトリシオ・アルアージョの癒着関係を暴露した。一般人なら妄言としてあしらうが、元警察省長官の証言だ。私が進言した結果、我が国の首相が、メキシコ大統領に直接連絡した。メキシコ軍が動くそうだ。今頃、パトリシオとバルタサールは逮捕されているだろう』


『ペルニーアはどうなるんですか』


『バルタサールと彼の関係は、昔から影で言われていた。今回の帰国幇助がその証明とも言える。辞任は免れないだろう』


 クライヴは話題を切り替えた。


『大臣、アバディーンに派遣するSCO19を増やしていただけませんか』


『協力隊に関しては心配いらない。警察に武力排除も許可している。近場の警察にも掛け合って事態の収拾にあたらせている最中だ。アバディーンにはカーティス・サカキバラがいるのだろう?』


『はい。それと』


 クライヴは少しためらったが、力強く言った。


重大犯罪対策チームSCO0に下された、アレクシア・ハバートの暗殺命令を取り下げてください』


 大それた言い分であることは承知の上だった。そもそも、クライヴはオールド・ミリタリー通りでアレクシアたちを助け、ともに戦っている。命令違反を犯したのは事実だった。順調に進んでいた自分のキャリアは、ここで終わるかもしれない。エドワードのように閑職に追いやられ、暇な毎日を過ごすことになるかもしれない。

 それでも、後悔はなかった。


『容疑者からの要請は、取り消せねばならないな』


 クライヴは息をついた。


『ありがとうございます』


『だが』


 エルドリッチは釘を刺すように低い声で言った。


逃がすなよ・・・・・


『……分かっています』


 ◆◆


 残り少ない弾数を数えながら、カーティスは撃ち続けた。敵の車輛が高火力の銃器を持っていないのは救いだった。駐車場の車に身を隠したカーティスは、的を絞らせないよう移動しつつ応戦した。アレクシアは、スケートリンクの南西にある室内プールの壁に、身を潜めている。

 カーティスは右耳の違和感を気にしている暇もなかった。幾度となく響く銃声が、彼の耳に少なからず悪影響を及ぼしていた。

 小銃のマガジンを取り換えた瞬間、右腕に痛みが走った。近くで破裂した手榴弾によって吹き飛ばされたガラスが、二の腕に突き刺さった。ジャケットの上からたちまち赤い染みが広がっていく。カーティスは構わず撃ち続けた。極限の状態が生み出す衝動が、彼の体を戦いに駆り立てていた。

 スケートリンク東に展開していた敵は、カーティスが負傷したことを悟ったのか、壁に沿って移動を始めた。床と車体の隙間からそれを認めたカーティスは、すかさず手榴弾を投げた。左手での投てきは慣れておらず、敵の数メートル手前で破裂した。それでもけん制にはなった。M16を断続的に撃ちながら、アレクシアのもとへ向かう。先頭を走る敵が倒れると、後方の者は退避した。

 十メートルほど走り、カーティスは疲労で思わず片膝をついた。偶然見た車窓による反射で、彼は左肩の肉が削がれていることに気付いた。

 盾にしていた車が無数の音を立てた。敵の銃撃によって砕かれた無数のガラス片はたちまち凶器と化し、隠れるカーティスの背中を、首を引き裂いた。スリングで吊っていたM16を捨て、彼は左手でホルスターからコルトガバメントを引き抜く。

 祖父のブライアンより受け継いだ銃。カーティスにとって祖父の形見であり、自身の生き方を象徴する存在でもある。磨かれた漆黒のスライドに額を押し当てた。蛾がたかっている街灯の光を受け、グリップのメダリオンが光った。

 足音に気付いたカーティスは、ナイフを突き刺そうと迫る隊員の腕を右腕で捌くと、空いた胸を撃った。敵はすぐ右にまで接近していたのに、まったく気づかなかった。それほど右耳は弱っていた。敵のホルスターからベレッタを抜き取ると、二丁の拳銃を使って迫り来る脅威を払っていく。駐車場には無数の遺体と、おびただしい血が広がっていた。

 傷口に響く拳銃の反動に耐え切れず、カーティスは右手からベレッタを力なく落とした。最後の手榴弾を敵のいる方角へ投げつけると、全速力でその場を離れ、アレクシアのいる場所へ滑り込む。

 想定外の損害を出したからか、敵は撤退した。だが、アバディーンに響く銃声は止まない。部隊を再編すれば、再び攻撃を仕掛けてくるだろう。


「無事だな。建物の多い南に行こう」


 コルトガバメントを床に置くと、ふたつ残ったマガジンの片割れを左手で軽く差し込む。グリップを持つと、出っ張った部分を床に押し付けて、無理やり装填した。

 アレクシアの状態を見ようと振り返った彼は、額に冷たい物体を押し当てられた。


「もう、やめて」


 アレクシアは泣いていた。涙は両の頬を伝い、大地に染み込んだ。護身用に渡していたリボルバーは、ほかでもないカーティスに向けられていた。


「大丈夫だって」


「そんな状態を大丈夫なんて言わない」


 アレクシアの鋭い剣幕を、カーティスは初めて訊いた。右に張られた大きなガラスに映る自分の姿は無残であった。負傷した右腕はもちろん、左肩からも血は流れ、背中と首は切り傷が埋め尽くしている。オールド・ミリタリー通りで切った額の傷は治りつつあったが、新たな傷口から出血していた。なにより、疲労と戦傷にまみれた顔が哀れだった。


「カルテルがどんな連中が知ってる? 標的だけじゃない。必要なら、標的に関わるすべての存在を消すの。一度捕まったら、もうおしまい」


 カーティスはアレクシアをただ見ていた。

 銃声は変わらず鳴り響いている。


「腕や足を切断することなんて当たり前。生首や首なしの遺体を街路に投げ捨てられる。骨と筋肉だけになった顔を、本人の皮といっしょに並べられる。銃弾の的にされて、ただの肉塊になったら、市街地のどこかに見せしめに吊るされる。カルテルに理性なんてない。権力と富を貪るだけの獣。バルタサール・カルテルだって、そんな連中と同類なの。あなたがそんな目にあうくらいなら、ここで殺すわ。そして私も死ぬ」


 カーティスは、カルテルという存在を資料のなかでしか知らない。麻薬組織が跋扈するメキシコを生き抜いてきた彼女が言うのなら、間違いないのだろう。麻薬が身の毛もよだつ代物であることは、十二分に承知している。大切な友人が、かつてその毒牙にかかったのだから。


「クライヴたちが来てくれる。増援が到着すれば、協力隊なんざ蹴散らせる」


「それまでもたないわ」


「ふたりとも生き残る道を探すべきだ」


「私が協力隊のもとへ行く。その隙に、あなたは逃げて」


「ダメだ」


 アレクシアはリボルバーの撃鉄を引いた。


「あなただって、戦争に行ったのならわかるでしょう! ときには残酷にならないといけないの」


 犠牲を厭わない。それは、兵士なら、国旗を前にして誰もが覚悟することであり、軍隊の強さでもある。命令に忠実に動く武装集団が、戦争最大の武器だ。だが、どんなに絶望的な状況でも、アメリカ軍が味方を見捨てないように、強固な連帯感、自分の命を仲間に預けられる安心感が、極限の世界に臨む者たちの手足を動かす。

 カーティスはイラクで、自分の目でそれを見てきた。仲間を死なせないという思いがあったからこそ、彼は五人の部下を率いて、イラク軍機甲部隊を食い止めた。イギリスの戦車小隊を救うために走った。

 仲間を救って、ジョナサンは死んだ。国を愛し過ぎたゆえに、エルマーは狂った。あの戦争で散った四千八百四人の兵士たちは、それぞれがなにかを信じて死んだ。


「諦めの悪さが取り柄なんだよ。だからいまもこうして生きてる」


 アレクシアの背後に銃を構える敵が見えた。

 カーティスはアレクシアを払いのけると、コルトガバメントの引き金を引いた。ふたつの銃口が光った。四十五口径の弾は敵のヘルメットを貫通し、バイザーを真っ赤に染めた。カーティスの顔は苦痛に歪んだ。弾が右肩を貫通していた。アレクシアを連れ出してからというもの、まともに銃弾を受けるのは初めてであった。肉を穿った鉛玉は、耐え切れぬ痛みだけを残した。焼けるように熱い感触が、脳を激しく揺さぶった。

 死んだ隊員が壁の角へと引きずられていくの見て、カーティスは二発の銃弾を撃ち込み、健在を証明した。ホルスターに銃をしまい、左手で引き上げたアレクシアに向けて微笑んだ。


「行こう」


 闇夜に紛れ、アレクシアはカーティスの左手を握った。ふたりは、アバディーンを南へ走り出した。

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