第三部 二十五
生き残った者を連れ、バルタサールは屋敷の外に出た。数輌のパトカーの回転灯から発せられる赤と青の光が月光とともに、死体と血が占めるエントランス、中庭を照らしている。騒々しかった銃声は静まり、再び虫たちの鳴き声が訊こえてきた。
銃を向けていた者たちは、バルタサールの姿に驚いて攻撃を止めた。なかには見知った者もいた。呆然とした表情から、彼がここに来たことがなにを意味するのかを、すでに知っているようだった。
バルタサールは立ち止まり、スマートフォンで時間を確認した。
「もう少しだ」
「え」
ベルナルドが彼を見た。
「あと一分」
予告した時間が過ぎたとき、ハンヴィーのエンジン音が静寂を破った。その場にいた者たちが一様に同じ方向を向く。屋敷の西側から、何輌もの軍用車両が到着した。無残に壊れた塀から覗かせる武骨な車列が、尾根からせり出た機関銃を一斉に屋敷へ向けると、拡声器にのせられた大声が闇夜を貫いた。
≪全員、そこを動くな!≫
ベレー帽を被った戦闘服姿の男は、かつて正門だった場所にいた。両脇から小銃を構えた隊員たちが列を成してこちらに接近してくる。道中にいる者の武装を解きながら、男はバルタサールの前まで歩いてきた。
「バルタサール・ベネディクト。のこのこ帰って来るとはな」
据わった目の隊長が言った。回転灯や月光を背に受けているせいか、表情は読めない。堅牢なタクティカルベストには拳銃のマガジンが収納されていて、太もものホルスターに収まっているベレッタが、きらりと光った。
「救援、感謝するよ」
バルタサールは右手を差し出した。隊長は、
「お前の
隊長は懐からプラスチック製の手錠を取り出した。
「待ってくれ、電話をしたい」
「弁護士か?」
隊長は歯を見せながら笑った。
鋭い目つきで睨むベルナルドは、いまにも隊長に飛び掛かりそうだった。
ベルナルドからスマートフォンを借りると、着信履歴の最上に載っている番号を押した。ベルナルドが言うには、この番号を押せばカーティスと話せるようだ。スマートフォンを耳に押し当て、返答を待つ。
出ない。呼び出し音が何回鳴ろうが、受話口のさきから声が訊こえることはなかった。
「大丈夫ですか?」
ベルナルドが心配そうに訊ねた。バルタサールは通話を切ると、
「隊長さん」
「なんだ」
「少し時間がほしい」
◆◆
エアバッグを押しのけて空気を確保した瞬間、クライヴの肺に空気が流れ込んだ。朦朧としていた意識が明確になり、肩にかかったままのシートベルトを手探りで外す。運転席に座っていたブレンドンは頭から血を流していたが、脈は生きていた。割れたバックミラーに写っているふたりにも、大きな怪我はないようだった。
車窓から体を這い出すと、強烈な目眩が襲った。地面に体を預け、呼吸を一定に保ちながら、気分が落ち着くのを待った。
片膝をつき、周囲の状況を確認しようとした瞬間、クライヴは再び地面に伏せた。銃声が鳴ったのだ。それを皮切りに、断続的な銃声が響く。かなり近かった。
「北からも来てるぞ!」
カーティスの声だった。
「クライヴ、無事か」
声は次第に近まった。肩を掴まれ、仰向けにされた。
「僕は大丈夫だ。それより、お前こそ」
カーティスは額から血を流していた。
「頭を切っただけだ」
彼は後ろを振り返ると、
「ノーマン、ハワード! 車内に残っている者を引っ張り出せ!」
その名に、クライヴは心当たりがあった。たしか、ローレンス神父が言っていた、カーティスの部下だった男たちだ。危機に瀕した隊長を助けるために、かつての部下が集まった。それならば、カーティスに協力するのも頷ける。
ノーマンとハワードは、小銃を構えて周囲を警戒しつつ、クライヴのもとへ来た。ひっくり返ったバンのドアを引っぺがし、キャロルたちを引っ張り出していく。経験に裏打ちされた、滑らかな動きだった。
カーティスの指示で、ふたりは前方へ走った。
SCO19の隊員がキャロルたちを担いだ。カーティスの肩を借りながら、クライヴも車のあいだを縫うように移動していく。周囲を見回したクライヴは、現在の状況をようやく理解した。
クライヴたちは、オールド・ミリタリー通りを走る交差点の手前にいた。クライヴとカーティスが乗っていた車の後方には、自分たちの盾となるように、二輌のバンが横向きに停車している。前方には、応援に駆け付けたのであろう、一輌のバンが鎮座していた。右には民家が一軒、いくつかの倉庫もある。カーティスたちはそこを目指していた。
弾丸がときおり側を通り抜けたが、カーティスは口を固く結び、前だけを見ていた。危険に動じぬ冷静な姿は、怖ろしく、勇ましくもあった。
「民家の人は避難させた」
そう言って、カーティスは民家のドアを開けた。
リビングには先客がいた。
立ち上がったアレクシアは、カーティスに近づくと、クライヴの肩を担いだ。そのまま壁を背にして座らせる。キャロルたちも運ばれてきた。
「ここで待ってろ。奴らを片付ける」
小銃を構えたカーティスはクライヴたちに後姿を見せると、隊員たちを率いて銃弾飛び交う外へ戻っていった。
重苦しい空気が満ちていた。法の番人と元殺し屋が、同じ部屋にいる。アレクシアの表情は暗かった。話しかけるのも億劫であった。中央で横たわっているブレンドンが目を覚ます時を待った。爆発が訊こえても、クライヴは微動だにしなかった。
「私を殺すの」
アレクシアの唇が動いたのは、クライヴが懐に持っていたグロックの動作確認をしようと、手を伸ばしたときだった。外からは車のエンジン音も訊こえるが、敵か味方かわからない。
首を横に振ったクライヴは、
「ただの動作確認だよ」
「そう」
短い会話だった。この機を逃すまいと、クライヴは口を開いた。
「まさか、君がバルタサールの身内だったとは」
「自分から望んで入ったの。たくさん敵を殺した。カルロスといっしょにね」
ブリーフィングでエドワードから渡された書類を頭に思い浮かべた。
クライヴは真実を伝えようか悩んだ。アレクシアは、カルロスが死んだことを知らない。目を伏せていたクライヴは、熟考し、決断し、言った。
「カルロスは、死んだよ」
アレクシアはクライヴの顔を見つめた。わずかながらに驚きの色が見えたが、すぐもとに戻った。地面に視線を戻すと、小さな声で言った。
「そっか……あなたたちが?」
「ああ」
「……そっか」
少しばかりの沈黙の末、彼女は話題を切り替えた。
「カーティスのこと、本人から訊いたわ。彼の過去と、
キャロルとアーロンは、黙ってふたりの会話を訊いていた。
「こういうのもなんだが、おかしな話だろう?」
「うん」
「だが、君が変えた。あいつを救ったんだ」
アレクシアはクライヴを見た。
クライヴはグロックのスライドを引くと、
「カーティスにとって、君は必要だ」
体の感覚は戻っていた。両手足はクライヴの意志通り動き、激しく打ち付けた背中の痛みもはっきりと感じられる。
彼は銃を構えながら立ち上がった。
「足音だ」
勢いよく開け放たれたさきには、カーティスと、彼に体を預けている、もうひとりの協力者がいた。クライヴはその男の右腕を見て驚愕した。右手がなかったのだ。
「重傷じゃないか!」
カーティスは担がれた男の右手に視線だけをやると、小さくため息を吐いた。
「これは昔からだ。さっきの爆発の衝撃で気絶してる。悪いが、ここで安静にさせてやってくれ」
クライヴは状況が好転しないことを感じていた。銃声は一向に収まる気配がない。戦闘が長引けば、民家に敵が入ってこないとも限らない。
「アレクシアを連れて逃げろ」
カーティスはクライヴを見た。
「ここで協力隊を食い止めていれば、やがて味方の増援も来る。警察が武装組織と交戦してるんだからな。暗殺命令が中止される前に、奴らを制圧できるかもしれない」
「なら戦力は多いほうがいい」
「アレクシアが戦闘に巻き込まれるかもしれない。もしものことがあったら、これまでの努力が無駄になるだろ」
カーティスはなにか言おうとしたが、クライヴを見て口をつぐんだ。
「行けよ」
やがて深く頷いた。
「行こう」
「でも」
躊躇うアレクシアに、カーティスは優しく言った。
「ノーマンとハワードも残す。あいつらがいれば心配いらない。いいな?」
クライヴも頷き返した。
無線で仲間と話し終えたカーティスは、アレクシアを連れて家の裏口へ向かった。その背中を見届けたクライヴは、キャロルたちとともに玄関のドアを開ける。くぐもった銃声が鋭い音に変わった。硝煙の匂いが鼻腔を突いた。道路のさきには、隊員の遺体が転がっていた。太陽に照らされ、抜け殻を晒している。見開かれた目は、どこも見ていなかった。
恐怖に足がすくんだ。目の前にあるのは小さな戦場である。銃を使った殺し合い。
戦闘員とは程遠いクライヴを支えるのは、ひとえに友情だった。危機に陥った友の姿をただ見ているのだけは、絶対に嫌だった。
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