第三部 二十四

「車を停めろ、 お前なに考えてんだ!」


 クライヴたちの車は、カーティスの真後ろについた。目の前の車内からは見慣れない男が三人、こちらに銃を向けている。助手席には、心配そうな顔つきのアレクシアがいた。

 キャロルたちが拳銃で彼らをけん制したまま、クライヴは助手席から身を乗り出し、カーティスに向かって大声で叫んだ。


「犯罪者を匿えば、お前も罪に問われるぞ!」


 クラクションが幾重にも鳴り響いては、一瞬で過ぎ去っていく。目撃者のなかには、スマートフォンを耳に押し当てる者もいた。話し相手は警察だろうが、徒労に終わるだろう。


「メキシコから来た協力隊は、カルテルからの刺客だ! リカルド・サンティジャンはカルテルと結託して、アレクシアを殺そうとしてる!」


 クライヴは動揺した。バルタサールとアレクシアでは、協力隊の動きはまるで違っていた。バルタサールの捕縛ではなく、アレクシアの殺害が目的なら、その疑問にも合点がいく。

 どうやって調べたのかはわからないが、カーティスの言い分が事実だとすれば、この事態は警察の手に余る。


「確証はあるのか!」


「メキシコに帰国したバルタサールが、サンティジャンとつながりのあるパトリシオのもとへ向かった。癒着を暴き、アレクシアの暗殺命令を止める手筈になってる! 俺はそれまで、彼女を守る」


 クライヴの脳裏には、メキシコ大使館の前に立つバルタサールの姿が浮かんだ。

 カルロスという右腕を犠牲にしてでも、あの男は母国へ帰った。アレクシアを守るためか、二代目の尻拭いか、あるいはその両方か。

 クライヴはカーティスを見た。強風にあおられ険しかったが、高校生以来の、清々しい表情だった。決意をたたえた目は、狂気など微塵もなく、信念と正義に満ち溢れていた。友が、帰ってきた気がした。

 クライヴは車内へ戻った。

 思案に耽るクライヴを、無線の着信音が遮った。側に置かれた無線の受話器を取ると、


 <レアンドロだ。目撃情報にあった黒のアウディを追ってるな>


 クライヴは少しばかりの沈黙を挟み、


 <……ああ>


 <こちらはアルフォードから現場へ向かってる。北と南から挟み撃ちだ>


 <わかった>


 無線を切ったクライヴは、手元のグロックを固く握り直した。


「いいのかよ」


 運転席からブレンドンが言った。すると、クライヴは無線の周波数を切り替え、もう一度受話器を口に近づけた。

 カーティスたちとの車間は、相変わらずギリギリのところで保たれている。


 <SCO19の各員に通達。メキシコからの協力隊は、違法な手続きを経て行動している可能性が極めて高い。アレクシア・ハバートと行動をともにする者から情報提供も受けた>


 <敵の言い分を信じるのか>


 SCO19の部隊を率いている隊長からだった。新人隊員など五名が負傷して病院に運ばれてからというもの、彼の口調はつねに緊張を漂わせていた。


 <信頼に足る人物だ。責任は私が取る>


 <で、具体的にどうするんだ>


 ※


 クライヴたちは速度を上げ、カーティスたちの横についた。


「どうした!」


 カーティスが叫んだ。


「北から協力隊が来る、このままでは挟み撃ちだ。僕たちが奴らを足止めするから、そのあいだに逃げろ!」


「なに言ってんだ!」


 無線からレアンドロの声が訊こえ、クライヴは身を乗り出したまま受話器を取った。


 <ミュアー・オブ・フォウリスを過ぎた。そっちは>


 <クレイギ―ヴァ―大学を通過して、そのままオールド・ミリタリー通りを北上中>


 <よし、このまま行けば、あと二分だ>


 無線を終え、クライヴは再びカーティスに言った。


「あと二分で接触する! このさきの交差点を右折しろ!」


 言い終えた瞬間、銃声が背後から響いた。カーティスたちの乗る車が減速し始める。左の後輪がパンクしていた。

 慌ててサイドミラーを覗き込んださきにいたのは、協力隊であった。アボインで検問を敷いていた部隊だろう。


 <レアンドロ隊長、応答せよ>


 クライヴは極めて冷静に、無線に向かって口を開いた。


 <どうした>


 <いましがた連絡が入った。今回の一連の行動について、君たちが違法な手段を取っている可能性があるとな>


 レアンドロは沈黙した。風の音を残すのみとなった空間が示すのは、可能性の肯定である。沈黙が長くなるにつれ、クライヴの心臓の鼓動は激しさを増していった。


 <どうなんだ>


 <だったら、どうする>


 クライヴは面食らった。レアンドロは嘲笑するような口調で言った。


 <否定しないのか>


 <正体などどうでもいい。俺たちのやることは変わらない>


 クライヴたちの乗る車のリアガラスにひびが入った。

 残された選択肢は少なかった。背後に迫るバンを見たクライヴは、上半身を乗り出して、グロックを構えた。

 これまで、なにがあっても人を撃つことはないと思っていた。虚空でも、訓練場の的を撃つわけでもない。銃口のさきにいるのは、紛れもない人だった。

 引き金を引くとほぼ同時に、弾丸は運転手の胸を貫いた。時を同じくして、キャロルとアーロンも応戦する。SCO19からも発砲音が響いた。先頭のバンが制御を失い、近くの木に突っ込む。

 すぐさま後続車両が反撃してきたが、特殊部隊の練度には協力隊も敵わないのか、敵はみるみる速度を落としていった。

 ふとカーティスを見ると、彼は小銃で前方を撃っていた。


「クライヴ、前だ!」


 ブレンドンに言われるがまま、クライヴは前を見た。強張った顔から血の気が引いていく。

 助手席から体を出していたレアンドロは、歯を見せて笑いながら、肩に構えたRPG7ロケットランチャーの引き金を引いた。三百キロを超える速度で飛翔するロケット弾を捉えられるはずもなく、気づけば、前方の地面が絨毯のようにめくれ上がった。迸る爆炎と轟音。広がる青空。

 それが、クライヴの見た最後の景色だった。


 ◆◆


 パトリシオは、机のうえに並べられたワインとヘロインに目を見開いた。


「ここに」


 胸ポケットから三枚の写真を取り出したバルタサールは、


「お前の大事な人が写っている」


 カラー写真のなかに写っているのは、パトリシオの家族だった。いちばん左のアマドルは、今年の二月に二十歳になったばかりで、アメリカのコロンビア大学でリベラルアーツを学んでいる。本人からのメールによれば、成績もよく友だちにも恵まれているという。真ん中のセレドニオはまだ十四歳で、地元の中学校に通っている。少々荒っぽい性格で、やんちゃをしては先生に怒られているようだが、元気なのはいいことだと、パトリシオはむしろ歓迎していた。右に映る金髪のベニータは、パトリシオが十年以上連れ添っている妻であった。

 三枚の写真を凝視するうち、パトリシオはバルタサールの真意を理解した。写真は、いずれも私生活を撮られたものであった。


選べ・・


 バルタサールの脅迫が見せかけではないということは、パトリシオ本人がよく知っている。ロンゴリア・カルテルのトップであるロンゴリアの邸宅に、バルタサールが乗り込む前日、パトリシオはボスの命令で、ロンゴリアの子どもを射殺し、磔にしたのだ。非情に徹していても、あの作業は、重く、辛かった。


「やってみろ。あんたの家族も同じ目に合わせてやる」


「見え透いた嘘をつくな」


 どれほどの人員を割いて、持ちうるコネクションを使っても、バルタサール・ベネディクトの親族に関する情報はなにひとつとして集まらなかった。それは、彼が過去の痕跡をすべて消したことを意味している。その話は昔、バルタサール本人から訊かされていたが、パトリシオは面白半分に訊き流していた。

 腕時計を見ているバルタサールの顔は、徐々に険しくなっていった。

 彼はワイングラスに赤ワインを注いだ。グラスの三分の一を占めていたヘロインと混ざり合い、血のように赤かったワインは白く染まった。


「酒盛りの続きをしよう」


 セフェリノとベルナルドは、パトリシオの口を無理やり開かせた。


 ※


 パトリシオは意識が朦朧としていた。体が羽毛のように軽くなり、視界には満開のヒナギクの花が咲き誇っている。頭はまだ機能しているが、言い表せない浮遊感と高揚感、そして吐き気と頭痛に見舞われたうえ、体が言うことを訊かなかった。

 バルタサールは、五杯目をつくり始めた。机の右には、まだ十個のヘロインの袋が積まれている。

 死にたくない。

 バルタサールの持つグラスが、パトリシオの口に運ばれていく。

 気付けば、彼は力の限り叫んでいた。


「――わかった、わかった、わかった!」


 パトリシオは懇願した。


「電話させてくれ、それで、それで、いいんだろう……」


 ベルナルドが受話器をつかみ、パトリシオの左耳に近づけた。パトリシオが読み上げた通りに番号を押す。


『どうした、パトリシオ』


『……ア、アレクシアの、アレクシアの暗殺は中止だ』


『いきなりどうしたんだ』


『奴利用価値ある。だから、まだ殺せない』


『酔っぱらってるのか? 悪いが、いま仕事中――』


『すぐに命令を止めろ! 俺たちのためにも、いいな!』


『……わかった。いいんだな?』


『ああ、ああ』


 ベルナルドは受話器を元に戻した。


「英断だ、パトリシオ」


 バルタサールは残ったグラスにワインを注ぎ、一気に飲み干した。


「つぎはお前の罪を清算する」


 ※


 口からよだれをまき散らし、脳の思考はまとまらず、ただ獣のように喚くことしかできなかった。あの麻薬ワインを何杯飲まされたか、もう覚えていない。

 最高の絶頂と幸福感に酔いしれるなか、正面で椅子に座ったバルタサールはじっとパトリシオを見ていた。その目つきは冷たく、およそ仲間に向けられるものではなかった。

 地面に伏せていたカルメラは動かない。少し前に頭を撃たれて死んだ。バルタサールは「友人を誑かした報い」だとか言っていたが、もうどうでもよかった。

 外より響く銃声は、激しさを増している。


「筋は通さなくてはならない」


「ボス」


「それが俺たちだ」


 ワイングラスを顔で跳ねのけたパトリシオは、勢い余って椅子とともに地面に倒れ込んだ。顔面の左に激痛が走るはずが、なにも感じない。涙と鼻水を垂れ流しながら、彼は大声で言った。

 俺が悪かった、またあんたの下で働く。雑用でもいいからまた使ってくれ。


「俺にも責任はある」


 誰も反応しなかった。


「助けてくれ」


 沈黙に次いで笑い声がこだました。バルタサールだった。パトリシオが彼の部下として動いていた頃には訊いたこともない、無邪気な笑い声。

 バルタサールは自分を机に置くと、パトリシオに歩み寄った。セフェリノとベルナルドが椅子をつかみ、パトリシオを再び座らせた。

 バルタサールは右脚でパトリシオの腹を思い切り蹴りつけた。あばらが折れる感触とともに、胃から食道へ違和感がせり上がる。「おえ」と奇怪な声を出して、パトリシオは吐き散らした。真っ白なヘロインの水溶液のなかに、昼に食ったA5のサーロインステーキの繊維が混じっていた。

 バルタサールは吐しゃ物に構わず一歩踏み込んだかと思うと、パトリシオの目の前に立った。彼の背筋は凍り付いた。


「パトリシオ。お前は大事なことを忘れている」


 館の入口から爆音が訊こえた。


「俺たちは悪党だ」


 バルタサールが持つ杖の異変に気付いたときには遅かった。杖の真ん中部分が折れたかと思うと、なかから銃口が覗かせる。彼が取っ手の出っ張りを強く握った瞬間、パトリシオの腹部を衝撃が襲った。無数の細かな弾がふくよかな腹部に食い込み、内臓を無惨に引き裂いた。だらしなく垂れた左脇腹のぜい肉が、汚らしい音を立てながら吐しゃ物の上に落ちた。


「――あ」


 パトリシオは想像を絶する激痛に絶叫した、はずだった。が、愛した麻薬に脳を犯された男は、喚くこともできなかった。痛みを消そうと腹をかきむしると、両手には自分の臓器の欠片や血がべっとりとこびりついていた。


「カルロスによろしくな」


 暗くなっていく視界で見たのは、杖を直して館を後にするバルタサールと、彼を追うセフェリノとベルナルド。

 最期を看取る者は、誰もいなかった。


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