第三部 十七

 エドワードはアストンマーティンの運転席でタバコを吹かしながら、高速で走り去っていく協力隊の車を見つめていた。

 リーミントン・ロード・ビラズ通りで訊きこみを行った結果、アレクシアの家と思しき家を三件まで絞り込んだ。捜査開始から一日が経過した時点で、候補となった家のうち一件のみ人が寄りつかなかったため、警察はその物件が怪しいと踏んでいた。

 一時間前、アレクシアの目撃情報が飛び込んできた。別動隊の報告によれば、一昨日、ノッティングヒル地区で彼女を見た者がいたらしい。協力隊の面々はイギリス警察とはろくに話し合いもせず、クライヴたちの制止を振り切って車を走らせた。フロントガラスの向こうでは、クライヴが両手を腰に当て、ため息をついていた。

 ノッティングヒル地区で訊きこみをすれば、奴らは今日中にもカーティスの家にたどり着くはずだ。カーティスがアレクシアと行動していると判明すれば、奴の携帯から発する電波も傍受されてしまう。連絡をするならいましかなかった。


『カーティス、訊こえるか』


 エドワードが言った。


『はい。もしかして、協力がバレましたか?』


『いや、大丈夫だ。それより、例の協力隊がノッティングヒルに行った』


『アレクシアの情報を特定されるようなものはすべて持ち出しました。DNA鑑定をされたらお手上げですが』


『早ければ今日中にも、お前は協力隊の標的にされるだろう。傍から見れば、お前は凶悪犯罪人の協力者だ。警察がお前の携帯を調べ上げ、居場所を探ってくるのも時間の問題だ』


『いまのスマートフォンは捨てたほうがいいですか』


『電源さえ落としていればいい。通話は公衆電話を使え』


 エドワードは通話を終えると、運転席の車窓から身を乗り出し、クライヴたちに向けて大声で叫んだ。


「おい! 俺たちもノッティングヒルに行くぞ!」


 ※


 カーティスの自宅が近づくにつれ、エドワードは身体を強張らせた。協力隊は武器を持っている。たった四人の男が、総勢三百人の暗殺部隊と戦えるのだろうか。それに、銃器専門指令部SCO19が出動する可能性もゼロではない。

 徐行しながら曲がり角を右折した瞬間、エドワードは異様な光景を目にした。

 誰もいない。

 カーティスの自宅に面している通りには、協力隊の車輛がひとつも見当たらなかった。車を停め、周囲を見回すが、露店で立ち話をしているふたりの婦人以外、目に付くようなものはない。焦ったエドワードは、クライヴたちをそれぞれ車内で待機させた後、カーティスの家へ走っていった。

 目印である本屋の角の奥を曲がると、カーティスの自宅へとつながる路地の壁に男がもたれていた。中折れ帽子を深々と被っており、灰色のスーツを着込んでいる。横を向いているせいで素顔はわからなかった。エドワードの足音に気付いたのか、男は少しだけ顔をこちらに向けた。


「誰だ?」


「ご存じのはずでしょう、エドワードさん」


 近づきながら、男は中折れ帽を右手で脱いだ。朝日が正体不明の男の顔を照らした。


「レアンドロ」


 レアンドロはゆっくりとした足取りで、エドワードの前方三メートルの場所で立ち止まった。エドワードはショルダーホルスターに伸ばそうとした右手を止めた。奴のほうがさきに懐へ手をかけていたのだ。


「訊きたいことがあります」


「なんだ」


「カーティス・サカキバラとは、何者ですか」


「知らんな」


「そもそも、バルタサールの事件を捜査していたときと違って、なぜ自分たちの所属を詳しく話してくれないのでしょう」


「無駄話をする暇があるなら、早いところアレクシアの捜索をしたほうが賢明じゃないか」


 レアンドロは満面の笑みを見せた。


「その必要はありません。アレクシアは、スコットランドのエディンバラにいます。カーティス・サカキバラとともにね」


 カマをかけているとエドワードは考えた。

 カーティスがアレクシアとともにいるという確証はまだないはず。だというのに、なぜそう言い切れる。現在のカーティスの状況は、内務大臣のエルドリッチを除いて誰にも話していない。

 しばしの睨みあいが続いた後、エドワードははっとして目を見開いた。

 ――一時間前にした電話か。

 表情から察したのか、レアンドロは上機嫌な口調で言った。


「……素性もろくに明かさない人間を信用するわけにはいきません。失礼ではありますが、昨日からあなたとクライヴ、その部下たちの携帯を盗み聞きしていました。クロ・・はあなただけだったようですが」


「お前たちには言われたくないがな」


 エドワードはレアンドロを鋭く睨んだ。


「このことは誰にも話さないでください。とくにクライヴたちには。彼らにも討伐を手伝ってもらわなければいけないので」


「俺を脅すのか」


「血は見たくないでしょう」


 レアンドロの部下たちがどこに潜んでいるかもわからない。彼は渋々了承した。


「戻りましょう。カーティス・サカキバラと凶悪犯を追いかけなくては。正義の味方としてね」


 レアンドロは何食わぬ顔でエドワードの側を横切り、通りへと歩いていった。


 ◆◆



 ブレンドンの運転するアウディの車内は、鬱々とした雰囲気が漂っていた。クライヴは車の床をじっとみつめながら、親友のことを案じていた。

 カーティス・サカキバラが、アレクシア・ハバートとともに逃走した。その事実が協力隊からもたらされたとき、驚きを隠せなかった。正義感の強いあの男が、たとえ親しい人間であっても殺人犯と協力するとは思えない。正義を求め、悪を糺す。それがカーティスだ。もしかすると、彼はアレクシアに脅されて無理やり手伝わされているのかもしれない。

 クライヴはリアガラスを見た。大きな黒塗りのバンが八輌、こちらの後に続いている。レアンドロが三つに分けた協力隊のうちのひとつだった。歩道を歩く人々がつぎつぎと不気味な集団を目で追っている。

 カーティスには絶対に危害を加えるなというクライヴの提案は、上層部とレアンドロに却下された。レアンドロは、犯罪者に協力する者はすべて殺すと言った。バルタサールを取り逃がした失態が尾を引いてるせいもあってか、警察は功を焦っている。上層部は明言こそしなかったが、重大犯罪対策チームSCO0の情報を握るカーティスを野放しにするくらいなら、いっそ殺してしまったほうがいいと考えているのだろう。


「本当に、カーティスが犯罪者に協力していると思うか?」


 ハンドルを右に切りながらブレンドンが言った。

 クライヴは首を横に振りながら、


「あり得ない。アレクシアに脅迫されているか、あるいは、別の狙いがあるのか」


「でも、凶悪犯に協力してまで達成したい狙いってなにかしら」


 クライヴの左に座っていたキャロルが呟いた。

 助手席のアーロンはルームミラーで彼女を見ながら、


「さすがにわからないな。どうかにして本人から訊ければいいんだが」


 アレクシアの捜査が始まって以来、カーティスは電話に出ていない。最初は留守番電話サービスの声が訊こえていたが、いまは繋がりすらしない。電源を切っているか、故障したのか。

 口を開こうとした瞬間、クライヴのスマートフォンが振動した。画面にはレアンドロの名前が表示されている。クライヴは渋々通話を始めた。


『どうした?』


『エディンバラまであと一時間ほどだ。いつでも戦えるよう準備しておいてくれ』


 アレクシアは、これまでカルテルの構成員を三十一人殺している手練れだ。武装しているなら、間違いなく銃撃戦になる。

 クライヴは仕事で銃を撃った試しがなかった。武装した強盗犯と銀行内で交渉をしたこともあるし、夫婦喧嘩が悪化して銃を持ち出してきた妻を、部下たちと必死でなだめたこともある。銃を使ってけん制したことはあれど、発砲することはなかった。だが、今回はそうもいかないだろう。

 最悪の場合、カーティスはアレクシアに加勢するかもしれない。クライヴの不安は募る一方だった。イラク戦争を経験し、名を馳せた男。二十年以上親交を温めてきた、クライヴの唯一無二の親友。 

 自分の身の安全など関係なく、友に銃を向けなくてはならないことが嫌だった。


『わかった』


 クライヴはスマートフォンをジャケットの裏ポケットに押し込むと、ショルダーホルスターからG17を取り出し、スライドを引いた。

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