第三部 十六
ベルナルドの家を訪れたバルタサールたちは、リビングで休憩を取った。日が暮れると彼の部屋に向かい、バルタサールがパソコンの前に座る。
「ではお願いします」
ベルナルドが頷いた。
深呼吸をしたバルタサールは、スタンドに立てられたマイクに向かって口を開いた。
『こうしてまた、みんなのもとへ戻ってこれたことを嬉しく思う』
直後、パソコンのスピーカーからは多くの歓声が上がった。バルタサールは喜びを押し殺し、沈黙を以って制した。
『すでに情報は伝わっているだろうが、パトリシオが警察省のリカルド・サンティジャンと癒着し、私腹を肥やしている可能性が高い。サンティジャンは、アウレリオ・ペルニーアの後釜に据えられた男だ。訊いた話では、パトリシオはほかのカルテルを攻撃、吸収して勢力を広げているらしい。そして、奴は自分に不都合な情報を持つアレクシアを殺すため、イギリスに暗殺部隊を差し向けた。俺はこの後本人と話すつもりだが、もしクロであれば――』
『死を』
誰かが言った。
『そうだ。もともと、俺たちはロンゴリア・カルテルを潰すために集まった。奴らに恨みを持つ者たちが、バルタサール・カルテルをつくった。そしてロンゴリアと同じ世界に堕ち、首を取った。パトリシオは、ロンゴリアになりつつある。いや、もうなっているのかもしれない』
バルタサールは大きく息を吐いた。
『もう一度、力を貸してくれ』
バルタサールはマイクから顔を離すと、上着のポケットからスマートフォンを取り出した。だいぶ前から使っており、あちこちに傷が入っている。アドレス帳のなかから、パトリシオの項目を見つける。少しばかり見つめた後、彼は通話を試みた。
最初の呼び出し音が鳴った瞬間に応答があった。
『ボスですか?』
『ボスはお前だろう』
『俺にとってのボスはあなたですよ。それで、どうかされましたか』
『いまメキシコにいる』
やや間があって、
『イギリスから帰国されたと? いったいどうして』
『無性に故郷が恋しくなってな。明日、お前と会って話がしたいんだが、どうだ』
『もちろんです。ボスにはお話ししたいこともあれば、お訊きしたいこともあります。歓迎いたします』
明日の十四時に館へ向かうと約束を取り付けた後、バルタサールは持っていたスマートフォンを、ベルナルドが差し出した物と交換した。話さなければならない相手はまだいる。
画面を操作し、前のスマートフォンの通話履歴からカーティス・サカキバラの番号を探し出し、通話画面に入力した。
『もしもし』
『バルタサールだ』
『あんたか。こっちはもう動いてる。ひとまず、スコットランドを目指す。そこから先はまだなにも考えてないが』
『それでいい。こっちは明日の十四時にパトリシオと接触する。まず、奴がサンティジャンと癒着しているかどうかを確かめる』
『証拠を手に入れると』
『場所は奴の館。周囲には俺の部下を配置させる。必要があれば攻撃する。然るべきタイミングが来れば本人を脅迫し、サンティジャンの命令を取り消させる』
『頼むぞ。下手すれば、こっちは警察の特殊部隊とやり合わなくちゃならない』
バルタサールは電話越しにうなづいた。
『善処する。それと――』
いまごろカーティスはアレクシアを連れて移動しているはず。ならば、話そうと思えば話せるだろう。バルタサールはそう思った。
アレクシアと話したいという言葉を、彼は心のなかで思うに留めた。親元を離れた娘と久しぶりに対話しようとする父親の心情とは、こういうことなのか、とバルタサールは薄ら笑いを浮かべながら思った。
『それと?』
『いや、いいんだ。つぎ連絡するときは、ことを済ませた後だ。じゃあな』
◆◆
通話を終えたパトリシオは大げさに舌打ちすると、机に投げ出していた両脚を思い切り叩きつけた。
タイミングが悪い。ただ恋しくて、指名手配されている母国へ帰ってくるものか。なにか別の狙いがあるに違いない。
パトリシオは最悪の状況を想定していた。カルロスへの連絡員だったブラスを誘拐したのがまずかったか。もしかすると、これまでの動向も怪しまれているのかもしれない。
電話の受話器を取ったパトリシオは、サンティジャンに情報を伝えるべく番号を押した。脂ぎった耳に受話器を押し当てる。
『どうした』
『バルタサール・ベネディクトが帰国してる。奴と十四時に会うことになった』
『どうしていまさら帰って来た? なぜだ、まさか――』
『俺たちの関係がバレてるか、あるいは怪しまれてる。ひとまず約束は取り付けた。拒んだらますます疑われるだろうしな』
『抜かりはないだろうな』
『念のため、館には武装した部下を潜伏させておく。話し合いの結果によっては奴を殺す。事実を知らなくとも、拘束してあんたに引き渡そう。指名手配犯を捕まえれば、経歴に箔がつくだろう』
『犯罪者の鎮圧という名目で、こちらも支援ができるかもしれん』
『そんな大人数が必要になるとも思えないが、念のため準備はしておいてくれ』
◆◆
翌日、バルタサールはセフェリノとベルナルドを連れて、メヒコ州のトルカに来ていた。昼の日差しが眩しい。バルタサール・カルテルの根城は、奇しくも彼の故郷にあった。人気のない郊外に立つ館は高い塀によって囲まれ、その上を有刺鉄線が通っている。まるで刑務所だった。鉄格子の先にそびえる屋敷は、美しい装飾の施された窓や立派な柱が目を引く。二年前はなかった。
両開きの門の前に立つと、門はキイと音を立てながらひとりでに開いた。見上げると、側に監視カメラがついていた。これも、バルタサールがボスだった頃にはなかったものだ。
前庭を三人で歩く。整備された一直線の砂利道の両脇には、円形や長方形をした低木が並び、黒服の男たちが数人、巡回している。みな防弾チョッキやアサルトライフルで武装していた。
二メートル半はあろう玄関の扉に近づくと、なかから女が出てきた。年は三十代前後だろうか。整った顔立ちだった。参人を見ると、柔和な笑顔で出迎えた。若干ウェーブがかった黒髪は肩まで伸びており、警備の者とは打って変わってこぎれいな黒スーツを着ている。ジーンズに白地のTシャツ、茶色のテーラードジャケットというラフな格好だったバルタサールは、自分の服装が場違いなのではないかと思ったが、構わず男の背中を追った。
広いエントランスと、左右の階段が目に入った。そこは昔から同じ構造だった。案内人に従って二階に上がり、広い踊り場の中央にある両開きの扉を抜ける。長い廊下を真っ直ぐ進むと、ひと際豪奢なドアがあった。
案内人はドアの前で振り返ると、
「ここから先は、バルタサール様おひとりでお願いいたします。おふた方は、客室にご案内しますので、そちらでおくつろぎください」
バルタサールは背後のベルナルドとセフェリノに目配せした。ふたりはうなづいた。
「では」
案内人はドアをノックした。
「パトリシオ様、バルタサール様をお連れいたしました」
「開けろ」
軋む音を立てながらドアが開く。バルタサールは案内人の側を通り抜けて室内へと入った。
増築を行ったのか、屋敷自体も大きくなっていたが、ここは別格だった。豪勢なシャンデリアが照らす室内は幅十メートル、奥行き十五メートルは下らない。床には真っ赤なカーペットが敷かれている。その上に革張りのソファーがふたつ、向かい合うように置かれ、そのあいだをいかにも高そうな木製のテーブルが鎮座していた。奥に置かれた事務机の上には、電話や照明、デスクトップ型のパソコンが目に入った。
バルタサールは、この大層な部屋の主を見た。直立し、こちらを真っ直ぐに見ている男は、紛れもないパトリシオ本人であった。パトリシオはバルタサールのもとへ歩み寄り、握手を交わした。ふたりはソファーに座り、向かい合った。
「お久しぶりです、ボス」
氷が敷き詰められたステンレス製の箱からワインボトルを一本取り出すと、パトリシオはテーブルの上のワイングラスになみなみと注いでいった。ふたり分を入れ終えると、ボトルをテーブルに置いた。
「元気そうでよかった」
「ボスもお元気そうでなによりです」
キンと甲高い音を交わし、ふたりは赤ワインを一気にあおった。
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