第三部 十五



 ヒースロー空港を出たバルタサールたちは、エコノミークラスで十一時間以上のフライトを耐えた後、メキシコ・シティ空港に到着した。丸い窓から見える国を見て、彼は目を細めた。

 アウレリオ・ペルニーアに言われた通り、座席を立ったバルタサールたちは、ふつうの一般客たちとともに進み、列に並んで入国審査を待った。


「二年ぶりですね」


 ベルナルドが言った。


「気を引き締めろ」


 先頭を行くバルタサールの番が近づくと、これまで屈強だった審査官が、ティアドロップのサングラスを着用した金髪の男と替わった。バルタサールは手にした小さめのアタッシュケースをベルトコンベアに乗せてゲートを潜った。審査官と目を合わせることもなく、バルタサールたちは粛々と審査を抜け、荷物の受取場へ向かった。十一人の男たちはそれぞれのタグがついた荷物を持つと、エントランスへ向かった。

 自動ドアが開き、外に出た。バルタサールは、久しく嗅いでいなかったメキシコの空気を全身で感じた。母国の首都・メキシコシティ。小学生のころ家族で出かけたチャプルテペック公園の光景が頭のなかに広がる。に年しか経っていないが、城はいまも健在だろうか。子を心配して電話する親のように、バルタサールはチャプルテペック城を思った。


「ボス、集会・・までには時間があります。どうでしょう、チャプルテペック公園でも行きませんか」


 派手なアロハシャツを着こなしていたベルナルドは陽気に言った。これからのことを考えれば、息抜きは必要かもしれない。


「行くか」


 バルタサールはサングラスをつけると、仲間とともに三輌のタクシーに乗り込んだ。

 メキシコ公園、スペイン公園を通過したタクシーは、チャプルテペック通りを直進した。眼前にはメキシコ有数の自然が生い茂っている。バルタサールたちはタクシーから降りた。

 ロータリーを通り過ぎ、フベントゥー・エロイカ通りから公園内へ足を踏み入れる。木洩れ日が体に降り注ぎ、光と影を鮮明に浮かび上がらせた。木に止まった一匹のセミが、都会の喧噪に負けじと懸命に羽を鳴らしていた。

 見上げたさきには、四百年以上の時を越えてなお雄々しく建ち、この国を見守り続ける城があった。彼らは止まることなく前へと進み、やがて六本の柱がある広場で止まった。

 一八四六年に始まった米墨戦争で、メキシコはアメリカ合衆国と戦った。だが、旧式の装備に頼るメキシコが、当時超大国へと邁進していたアメリカに勝てるはずもなく、開戦から二年で敗北した。六本の柱は、その米墨戦争時、せめてメキシコの国旗だけは守らんとして命を懸けた、六人の少年たちを称えて建てられたものだ。

 バルタサールたちは両手を組み目を閉じた。それは、親愛なるイエスへの帰還報告であり、英雄たちへの祈願であり、自らの穢れた過去と向き合うためのけじめであった。

 やがてバルタサールたちは目を開けた。

 母国の建築物に目を輝かせながら、彼らは汗を手で拭いつつ丘を登り始めた。


◆◆


「二階の空き部屋に、あんたたちを待ってる男がいるよ。どでかい荷物なんざ持ってきて、邪魔ったらありゃしない」


 グロヴナーベーカリーの主たるシンディーは、深夜二時に訪れたカーティスたちを、顔色ひとつ変えずに出迎えた。裏口のドアをから出てきたシンディーは簡素な寝巻に身を包んでいて、痩せた体がいつもより強調して見える。


「不用心だろ。そいつが来ても怪しいとは思わなかったのか」


 カーティスが言った。


「警察手帳を見せられたら抵抗するわけにもいかないよ。それより、あんたの恰好はなんだい? これから戦争でも始めようって?」


 彼女はカーティスの後ろにいたアレクシアを一瞥すると、


「ほお」


「ご婦人、我々は戦争などする気は――」


「つるっぱげは黙ってな」


 容赦ない物言いに、ノーマンは顔をうつむかせた。にやけ顔のハワードをしり目に、カーティスは口を開いた。


「当たらずとも遠からずってとこだな。二階にいる奴と会ったら、すぐに出てくよ」


「無茶すんじゃないよ。お前が死んだらブライアンが悲しむ」


「わかってる」


 二階へと進んだカーティスは、シンディーの部屋の反対側にあるドアをノックした。


「入っていいぞ」


 室内へ入ると、木製の椅子に腰かけ、小さなランプを明かりに本を読んでいるエドワードがいた。本を閉じると顔だけをこちらに向けた。


「全員いるみたいだな」


「局長の差し金だったんですか」


「まあ、そんなところだ。見つかりゃ懲戒免職じゃ済まなそうだが」


 エドワードは立ち上がると、側に置かれていた黒い大きな4つのバッグを明かりで照らした。暗闇に紛れているせいでいままで視認できなかった。


「これは?」


「お前たちに必要なものだ」


 カーティスはバッグのチャックをずらして中身を確かめる。銃だった。拳銃はもちろん、アサルトライフルやサブマシンガン、狙撃銃もある。それだけではない、ほかのバッグには催涙弾や手榴弾、暴徒鎮圧用のゴム弾も入っていた。カーティスが部下たちを手招きして中身を見せると、小さな歓声が上がった。


「ちょっと拝借してきた」


「……ちょっとで済む問題じゃないでしょう」


「お前が必死の姿勢に胸を打たれたのさ」


 カーティスはエドワードを向き合うと、軽く頭を下げた。会議室のときはエドワードが背後を向いていたので、いま一度感謝の意を示す必要があると思った。


「それに、現状俺の判断では、例の協力隊はクロだ」


 エドワードはドア付近で立っているアレクシアを見た。


「犯罪をみすみす逃すほど、俺は馬鹿じゃない」


「あの、ありがとうございます」


 アレクシアの礼を訊いても、エドワードは表情は固いままだった。頷くこともなかった。



 午前五時。冷たい床で目覚めたカーティスは、くっついていたアレンの体をどかしながら上体を起こした。窓の外はわずかに白んでいた。カーティスが縦に、部下の3人が川の字になって横に寝そべっている異様な光景を見て、彼は笑いそうになった。側のベッドで寝ているアレクシアは、静かな寝息を立ている。

 カーティスは防弾チョッキを下着の上に着直し、ハワードの頭を踏まないよう注意しながら、近くにあるバッグに手を伸ばした。なかからアサルトライフルのG36、狙撃銃のL96A1を取り出し、動作を確認する。マガジンを装着すると、彼はそれらを空いている空間に置いた。念のため、レッグホルスターにしまったコルトガバメントの状態も確かめる。

 ホルスターに戻した瞬間、部屋のドアが勢いよく開け放たれた。突然の大きな音に、カーティスの肩が大きく跳ねた。寝ていた四人も飛び起きて、音のする方を見つめている。白いワンピースを着たシンディーは、左手をドアに立てかけたまま、


「時間だろ、下りてきな」


 体格のいい四人の男と、普段着のふたりの女性が囲む朝食は十分足らずで終わった。ほどなくして、五人はアウディの前に立っていた。


「尋問されたら、カーティス・サカキバラに脅迫されたと言ってくれ」


 カーティスは裏口に立っているシンディーに向かって言った。


「馬鹿言うんじゃないよ。お得意様を失ってたまるかい」


 シンディーは強かに笑った。

 カーティスは「わかったよ」と言うと、仲間たちとアウディに乗り込んだ。ノーマンが運転手を担当し、アレクシアは助手席に、カーティス、アレン、ハワードは後部座席に座る。


「手筈通り、まずは北を目指す」


◆◆


 パディントン地区、リーミントン・ロード・ビラズの一角に集ったクライヴたちは、互いに顔を見合わせていた。

 時刻は七時二十分。集合時間を二十分越えても、カーティスはいまだに姿を現さない。彼が仕事では時間を守ることを、重大犯罪対策チームSCO0の面々はよく知っている。エドワードはアストンマーティンの運転席でタバコを吹かしながら、もぬけの殻だと・・・・・・・知ることになる・・・・・・・家を見た。

 白を基調とした民家が一直線に並び、コンクリートで整備された道が側を走る。脇道に駐車されている車は多く、エドワードから見えるだけでも十輌はいる。そのうち五輌は警察関係者のものだった。

 右手でタバコをつまむと、エドワードは開け放った車窓に向けて煙を吐いた。ときおり吹くそよ風が、煙を南へ運んでいく。

 グロヴナーベーカリーでカーティスたちと話し合った後、エドワードは近くの公衆電話に入った。ホームレスが残したであろう小便の水溜まりが放つ悪臭に耐えながら、元第二十二歩兵分隊への連絡を提案したエルドリッチに状況を説明した。協力隊は、バルタサールではなく、アレクシアの殺害を目的とした、いわば暗殺部隊であること。そして、バルタサールはメキシコへ戻り、協力隊を派遣したリカルド・サンティジャンと、パトリシオ・アルアージョのつながりを確かめるべく動いていること。ひと通り話し終えた彼は、付近に停めておいた車を駆って帰宅し、三時間ほどの睡眠をとったあと、こうして現場に赴いた。

 SCO0の会議が終わったつぎの日には、協力隊はアレクシアがリーミントン・ロード・ビラズ周辺にいるという新たな情報を提供してきた。バルタサールがイギリス警察の手を逃れたと知った段階で、アレクシアを捕らえるべく独自に動いていたらしい。状況の報告を怠っていたことに対しては謝罪があったものの、クライヴを始め多くの警察関係者からは不満がにじみ出ていた。エドワードもそうだった。

 普段着の姿でリーミントン・ロード・ビラズを観察していたクライヴがこちらに近づいてきたので、エドワードは灰皿にタバコを押し付けた。


「カーティスの奴、来ませんね」


「連絡はしたのか?」


「はい。ですが、ずっと留守電のようで」


「まだあいつが必要になる段階じゃない。最悪、アレクシアを殺害するまでに戻ってくればいい」


 苦笑いしながら、クライヴはキャロルたちのもとへ戻った。いつの間にか、協力隊の隊長であるレアンドロも加わっている。奴がいつ尻尾を出すか、一瞬たりとも気が抜けない。

 不意に、エドワードとレアンドロの目が合った。


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