第三部 ニ
「ボス、どうするんだ」
スコットランド・エルギンの一角、大きめの一軒家のリビングに、カルロスの声が響く。バルタサールたちは、今後の活動に関する会合を行っていた。スーツに身を包んだ面々の顔つきは一様に真剣で、ことの重大さを物語っていた。コーヒーから沸き立つ湯気が、三つのマグカップから立ち上っている。カルロスはショットグラスに注いだ
バルタサールがリモコンのスイッチを押すと、
顧客を失ったのは大きい。だが、狂ってなお矜持に殉じた男を、バルタサールは尊敬していた。カルロスも同じだった。狙撃の名手を討った男が気になるが、目の前にある問題を考えれば些細なことであった。
バルタサールの存在がイギリス社会に轟き、
メキシコでのパトリシオの動向は、三日おきにブラスが伝えていたが、一週間前から連絡が取れなくなっていた。
彼の妻や友人たちにも当たってみたが、カルロスのスマートフォンから訊こえてきたのは、一定のリズムを刻む呼び出し音と、機械的で不気味な留守電の案内音声だけだった。
「ここまでタイミング良けりゃあ、もはや推測するまでもねえですよ。パトリシオの野郎は、ボスを含めた俺たち元構成員を皆殺しにするつもりに違いねえ」
ベルナルドは声を荒げた。彼は、パトリシオが野心的で、利己主義的な一面を持っていると、バルタサールに昔から警告していた。勢力や権力拡大のためなら、なにをしでかすか、わかったものではないと。
カルロスはバルタサールを見た。白髪交じりの黒髪を生やした男の顔は暗かった。見ているのも辛かった。イギリスに渡って以来、余計な茶々を入れてはダメだと、部下を信頼してバルタサール・カルテルを任せたつもりが、その雲行きは悪くなりつつある。
「セフェリノ、お前はどうだ?」
バルタサールが言った。セフェリノはカップのコーヒーを一口飲むと、
「賛成です。いずれにせよ、メキシコからの援軍が来た以上、イギリスにいては近いうちに捕まるでしょう。ことの真偽を確かめるためにも、帰国するべきです」
バルタサールは膝のうえで手を組み、考えた。これら一連の流れがすべて偶然の可能性もあった。パトリシオがバルタサールの命を狙っているかは、いまも推測の域を出ない。黒か白かはっきりしない状況が、彼の決断を鈍らせていた。
バルタサールは昔、自身の過去について、一度だけカルロスに話したことがあった。バルタサール・カルテルが、まだそんじょそこらのちっぽけなギャングと変わらなかったとき、街の一角の薄暗い路地で、彼は口を開いた。
「俺は幼いときに父と兄、弟を殺された。家を支えるために麻薬に手を出したんだ。笑えるだろ? よりによって家族の仇と同じ生き方を選んだ。麻薬の販売人として生きて、復讐するときを待つ手もあった。だが、こうして俺は組織をつくった。失った家族の穴埋めをしてるだけなのかもな」
事実、バルタサール・カルテルは構成員を家族のように可愛がり、そして大事にした。自分を始め、ベルナルドも、セフェリノも、パトリシオも――アレクシアもだ。
バルタサールはボスであり、父だった。
「……帰ろう、母国へ。パトリシオに会って直接確かめるぞ」
「空路はもうダメだ。
カルロスはバルタサールに言った。イギリスの主要な空港には、協力隊を含めた検査員の配備が常態化している。メキシコから来たときのように
「奥の手を使うか」
バルタサールはスマートフォンを取り出し、通話を始めた。少しすると、いかにも訓練されているような、気前のいい女性の声がカルロスの耳にも届いた。
『こちら駐イギリス、メキシコ大使館です』
『バルタサール・ベネディクトだ。アウレリオ・ペルニーアと話がしたい』
『お待ちください』
一分ほどの間を置いて、男の野太い声が女性と取って代わった。
『どうした』
『借りを返してもらおうと思ってな。ひとつ、頼まれてくれ』
『出国か』
『ああ。お前に協力してやったこと、忘れてないだろうな』
アウレリオ・ペルニーアのことはカルロスも知っていた。メキシコ政府がカルテル撲滅の本腰を入れていたとき、連邦警察のトップを務めていた。麻薬という長年の問題を解決するため、ペルニーアは、一時的とはいえ
『……いつ暴露されるかと思っていたが、そうか。これで私とお前は対等になれるわけだ』
『いつ頃済む』
『早くて二週間。遅くとも半月以内だ。私もスケジュールの都合上、忙しい。こちらに来れる手筈を整えたら連絡する』
『わかった。一週間でやってくれ』
スマートフォンから大きなため息が漏れた。
『善処する』
バルタサールは通話を終え、カルロスたちと向き直った。マグカップに注がれたコーヒーは冷めていた。つぎに話す内容は、大方予想がついていた。警察の目を逃れ、
「警察の目を盗んで移動するには、なにか策を弄する必要があるな」
想像通りのバルタサールの言葉に、カルロスはうなづいた。
「そこは問題ない。ちゃんと作戦を考えてある」
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