第三部 三
マクシミリアン・ヒューズを射殺した後、怪我を負ったカーティスは病院へ運ばれたが、入院するほどの傷ではないと、医師は判断した。肩の肉片を縫合した後、一日療養し、こうして自宅に戻って来た。右肩には包帯がきつく巻かれ、傷を隠している。戦いで感じなかった痛みは、病院で襲って来た。利き腕が思うように使えず、慣れない手つきでスマートフォンをいじっていた。
祖父のブライアンに憧れて以来、弱気を助け、強きを挫く男として生きたいと願っていた。カーティスは思った。自分の信じた道を進む。それが自分の存在意義だった。
――お互い様だろう。
気高い志は、歪な形となって現れた。大英博物館で中条宗則が言い放った言葉は、カーティスの本質を突いていた。兵士は市民を救う。ただそれだけでいいのに、騎士道を周囲に求めるあまり、大きな傷を負い、安全な場所へ逃げた。そして、いまの自分がいる。
中条は刀を愛した。ヒューズは国を愛した。カーティスは正義を愛した。そこに違いはなかった。単純ゆえの固い信念があり、それを信じ続ける健気な姿しかない。それが、ある一定の線を越えると、狂人として扱われ、世界から弾かれる。
最初の標的だったフェルディナンド・ダーマ―は、極度の
性のはけ口にされた挙句、殺された少年少女たちの写真。イギリス内務省の会議室でエドワードから渡された、あの凄惨極まる光景は、イラク戦争でも見たことがなかった。
カーティスは視線をゆっくりと天井に向けた。シーリングファンは、五年前と変わらぬ速度で回っていた。そのたくましさを羨ましく思った。
ベッドから起き上がったカーティスは、右肩を力まぬよう気を付けながら、リビングへ向かった。ソファーでは、ふんぞり返っていたエドワードが、ポテトチップスを片手にテレビを見ている。トーク番組のようだった。
「仕事はいいんですか」
「前にも言っただろう。俺は実質左遷されてる。一日くらい抜けたところでなにも言われやせんよ」
エドワードはこちらを見ると、
「……顔つきが変わったな」
「そうですか?」
「なんと言うか、清々しい。ヒューズとの戦いでなにかあったな?」
カーティスはエドワードの隣に腰かけた。
「明け方、電話があったんです」
「誰から」
「最近仲良くしている女性」
「ほほお」
エドワードがからかうように語尾を高めた。
「『生きることを諦めるな』と言われました」
「その人はお前の仕事を知らないはずだろう?」
「はい。けれど、以前病院で会ったとき、俺の表情から気持ちを読み取ったみたいで。心を見透かされたようで、驚きましたよ」
エドワードは立ち上がると、カーティスの隣に立った。コーヒーが入ったマグカップを手に、ふたりで前の四角い窓を見つめていた。もっとも、隣の家の壁が見えるだけで、大した景観はない。朱色のレンガで造られた、古い家だった。
「SCO0の初仕事が終わった後、
カーティスはエドワードを見た。
「そうだったんですか」
「この際だから言うが、お前は純粋過ぎる。まるでガキだ」
カーティスは目を伏せた。
「正義感が強いのは良いことだ。だが、それも過ぎれば毒となる。それこそ、麻薬のように。強い信念は心身を蝕む。どこかで歯車が狂ってしまう前に、妥協しなくちゃならん」
「わかっています」
「
エドワードはコーヒーをひと口飲むと、大きく息を吐いた。
「どのようなきっかけであれ、お前が現実と向き合えたのなら、それでいい。カーティス・サカキバラという人間の命は、お前だけのものじゃないんだ。死ねば、苦しみ、悲しむ者がいる――それを気付かせてくれた女性に感謝しろ」
カーティスは深くうなづいた。
「はい」
「やっぱり、女ができると男は変わる。俺もそうだった。昔は無鉄砲で馬鹿なことばかりやってたけどよ、いまのカミさんと出会って、親しくなるうちに、自然と大人しくなっていった」
エドワードが自慢げに語る様子を、カーティスは横目で見ながら、
「
「信じられないのか」
仕事を放棄した上司が、部下の家でぐうたらしてる時点で信じられるはずもない。カーティスは口から出そうになった言葉を飲み込んだ。
「まあいい。現実を受け入れるというのは、逃げることじゃない。そのうえで足掻け。お前ならできる」
カーティスはリビングの左にあるキッチンへ行くと、少し遅い昼食を用意するため、冷蔵庫から、ハム、レタスに卵を取り出した。棚の上に置かれていた、ビニール袋の中の食パンを4斤まな板の上に載せる。取り出したレシピを元に、メニューを作っていった。
「なかなかうまそうだ」
テーブルに置かれたサンドウィッチの一切れに、エドワードは食いついた。やたらとうなづきながら何度も咀嚼し、飲み込む。サンドウィッチのひとつがあっという間になくなった。
「うまい」
カーティスもサンドウィッチを食べながら、
「そろそろ料理の幅を広げるべきだと思い、ちょっと練習したんですよ」
「じじいになってから健康に気遣っても遅いからな」
エドワードはそう言うと、最後のサンドウィッチを食べ終えた瞬間、インターホンがなった。
今日は平日だが、配達だろうか。カーティスは立ち上がった。
「怪我人は座ってろ。俺が出る」
彼は両腕を膝について立ち上がると、玄関へ向かった。少しすると、エドワードの太い声が訊こえてきた。来客となにかやり取りをしているようだが、内容はわからなかった。
ほどなくしてエドワードが戻って来た。彼はソファーにかけていたジャケットを羽織ると、
「帰るよ」
「
「……まあ、そんなところだな」
エドワードは怪訝な表情のカーティスなどお構いなしに、「またな」と言ってそさくさと玄関へ向かってしまった。いきなりの出来事に、カーティスはどうすればいいかわからなかった。とりあえず、テーブルの皿を台所の流しに置いた。
スポンジに洗剤を染み込ませようとしたカーティスの手が止まった。足音が訊こえたのである。忘れ物だろうか。彼は蛇口を閉めた。
カーティスはソファーに座り直し、音のする方向を見つめていた。
ほどなくして、廊下から音の主が姿を現した。水色のブラウスと、ドレスを思わせる白のスリットパンツ。美しく伸びた亜麻色の髪が、彼の目に映る。やがて、碧色の瞳と目が合った。
「こんにちは、カーティス。取り込み中だったのならごめんなさい。さっきの人が大丈夫だって言うから……」
「君だったのか。気にしないでくれ、知り合いのおっさんと世間話をしていただけだから」
アレクシアは微笑むと、カーティスの隣に座った。
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