第二部 十 二〇一七年五月十六日 二十時〇〇分
白塗りのバンの車内。目的の場所へ向かうためカーティスは準備を整えていた。
右手に握られている狙撃銃の状態を入念に確認していく。L115A3と呼ばれるこの銃は、イギリスで傑作と称されていた。脇にはサブマシンガンのMP5がスリングで吊るされている。脚のホルスターには、祖父・ブライアンより譲り受けた拳銃、コルトガバメント。戦闘服のポケットには、狙撃銃のマガジンが五つ。サブマシンガンのが四つ。拳銃の分が三つ。背中の小さめのバックパックにはステンレス製の水筒と防寒具が。右胸には鞘に収まったコンバットナイフが収められている。
「そろそろ行くぞ」
エドワードが言うと、バンはロック ロモンド アンド ザ トロサックス国立公園に向けて走り出した。キャロル、ブレンドン、アーロンの三人は、ここから反対のケイルンダウへ向かう。
揺れる車内で、カーティスは薄暗い前の壁をじっと見つめている。深くはなく、されど浅くもない呼吸をくり返す。イラク戦争の最中、自身に極力負荷を与えないため、カーティスが考えた呼吸法だった。科学的な根拠などない。願掛けのようなものだった。
カーティスは心のなかで、これから殺す相手のことを考えた。
イギリス陸軍に入った者で、マクシミリアン・ヒューズを知らない者はいない。リー・エンフィールド小銃を使って七十人以上のドイツ兵を殺した男。当時の戦果確認が不十分だったため、本当はその半分だとか、逆に二倍近いのではという声もある。陸軍の訓練生だったときのカーティスは、彼の肖像画を見たことがあった。たくさんの訓練生たちの中央で満面の笑みを浮かべるヒューズの写真も。
二十分ほどして車は停止した。「着いたぞ」と局長に言われ、ふたりは後方のドアを開ける。
外は暗く、豊かな自然を育む国立公園は漆黒に包まれていた。空は曇っていて、月の光もあまり届いていない。奥にそびえる山々はシルエットのようで、巨大な影絵でも見ている気分だ。周囲は車も走っていなければ、建物の明かりもない。自然から離れ、文明のなかで生きる人間を拒むかのような、厳しくも美しい姿があった。
クライヴはバンのなかからドローンを取り出した。四つのプロペラで宙に浮くようになっている。スイッチを入れるとかすかな駆動音とともに、空に舞い上がった。静音性は心配ないだろう。
カーティスはヘルメットをかぶると、つぎにギリースーツを頭から羽織る。緑の多いここの公園に合わせ、さまざまな緑色を混ぜている。草むらに隠れれば、近づいても視認は困難だ。さらに、バンから持ってきた小道具で顔に緑色のフェイスペイントを施した。左耳につけたインカムの動作も確認する。
「ヘドロでも被ってるみたいだな」
運転席から降りたエドワードが言った。
「士気下がりますから、やめてくださいって」
笑うカーティスを横に、クライヴは腕時計を見る。
「そろそろ二十時だ。頼んだぞ」
カーティスはうなづいた。装備を抱え、広大な国立公園に足を踏み入れる。
彼の体に緊張感が走った。アメリカ陸軍第三歩兵師団とともに戦地に赴いた、あのときと同じだった。
※
生い茂る草をかき分けながら、カーティスは大自然を進んでいく。スターリング通りを逸れ、側を流れるティース川の近くへ。テムズ川と同じように、ときおり月が覗かせては、光を煌びやかに反射している。ヘルメットについた暗視装置を使ってはいるものの、この暗闇ではヒューズの痕跡を探すのは難しい。
人だけでなく、動物はみな生きていればなにかしらの跡を残す。移動、休憩、食事、排泄。生き物がこの世から完全に姿を消すなど不可能なのだが、情報を判別するための目はほとんど塞がれている。薄い黄緑色に光る視界では、よほど大きな痕跡でない限り発見はできないだろう。残りは嗅覚だが、標的がそんなわかりやすい証拠を残すとは思えない。音が鳴るとすれば、小動物が草をかき分ける音か、あるいは銃声だろう。
月がときおり姿を覗かせる。敵に発見される可能性を少しでも下げるため、月明かりが出ているあいだだけは
カランダ―を過ぎ、カーティスはキルマホッグにたどり着いた。出発地点からここまで約四キロメートルだが、疲れはなかった。
カーティスの第一の目標は、ヒューズが以前に狙撃地点にしていたと言うグレイ・フィングラス貯水池だった。狙撃手が同じ地点で監視を続けるなど考えにくいが、なに手がかりがつかめるかもしれない。
このような戦いは、カーティスにとって未経験だった。
ブーツで地面を踏みしめながら、ベナッチャー湖を過ぎて山岳地帯を上り、グレイ・フィングラス貯水池への最短ルートを進んでいく。厳しい地形を踏みしめながら、カーティスは現役のころの勘を取り戻そうとした。
<グレイ・フィングラス貯水池周辺に向かう>
<わかった>
クライヴとの通信を終え、カーティスは山岳地帯の登山を再開した。頂上には登ったら相手のいい的になってしまう。それだけは避けるべきだ。中腹当たりに沿って横に進んでいった。山間部に出ると、前方に貯水池が見えた。写真で見たことはあったが、実際に見ると大した大きさだ。北西にはカトリーン湖、西にはベナッチャー湖が見える。
体中にまとわりつく汗を感じつつ、貯水池の周囲を走る道に沿って迂回する。ほどなくして森が目に入った。身を隠すのにうってつけだった。
木陰が自身の体を黒く染めていく。カーティスは中腰になり、サプレッサーがついたMP5を構えた。光の届かない暗闇の木々のあいだを抜けていく。
森に入ってからほどなくして、彼は動きを止めた。
前方に生えている二本の木、そのあいだにワイヤーがつながれていた。斜め下へと視線をずらしていく。目の動きを止めたカーティスは、インカムに左手の人差し指を押し付けた。
<
<地雷か>
クライヴが言った。
<予想地点は正しかったようだ。もう一度ここに足を踏み入れた際に設置したんだろう>
二日前に公園に来たのなら、初日にトラップを設置し、二日目を移動と狙撃地点の確保に費やせば、ここから十分に距離を取れる。だが、地雷ひとつでヒューズの場所を割り出すのは難しい。
ワイヤーを使ったトラップは、引っかかった相手を無差別に攻撃するため、対人地雷禁止条約に違反する。つまり遠隔操作なら許される。のだが、ヒューズがそれを守れるなら、自分はいまごろここにいないだろう。カーティスは思った。
ほかに地雷が設置されていないか、あたりを見回した。正面の地雷を右に迂回しようとする相手を待ち受けるかのように、別のクレイモアが草木に紛れて置かれていた。ふたつとも、カーティスに対して正面に構えていた。地雷を無効化するため、なにもない左側面を回る。通り過ぎようとしたとき、カーティスの履いていたブーツの下でなにかが小さく弾けた。
それがかんしゃく玉だと理解する前にカーティスは伏せた。間髪入れずに鋭い発砲音が後方から響き、頭上を通り過ぎていく。カーティスはそのまま地面を転がった。
二回目の銃声が鳴った直後、側のクレイモアが起爆した。
※
轟音とともに、数先発の鉄球が扇状に散らばっていく。視界に映った木の幹に腕をかけたカーティスは、背後に移動した。手鏡を取り出して撃たれた方角を確認するが、スコープの反射光はない。
狙撃銃のような銃身の長いタイプは、発砲した際に発生する強烈なフラッシュが銃身内で消えてしまうので、発砲した瞬間を確認して位置を割り出すという方法は使えない。相手がサプレッサーをつけていなかったおかげで音の方角はわかる。ここから北東の山岳地帯だ。
カーティスは右の脇腹に鋭い痛みを感じ、戦闘服をめくった。鉄球がふたつ食い込み、血が出ている。近くに落ちていた木の棒を口に咥えると、ナイフを使って鉄球を摘出し、腹に止血帯を巻いた。
<地雷は囮だった。ここを調査しにくることを見越して監視していたんだ>
<いまの音を元にドローンを移動させる。少し待ってくれ>
大きな穴が開いたバックパックを覗く。水筒は無事だった。カーティスはなかに入っていた防寒具を広げて穴を塞ぐように敷くと、もう一度手鏡を木の幹から外に出した。顔を出せば撃たれる。
発砲音が響く。だが、手鏡は割れなかった。
<ドローンが撃たれた! お前の場所から北東、山岳部の頂上付近に陣取っていたぞ!>
カーティスは中腰のまま森を南に向かって駆け抜ける。敵がドローンに気を取られているあいだがチャンスだった。山岳地帯の頂上を見下ろせる地点まで移動すると、狙撃銃のバイポッドを展開した。地面に固定し、その場に伏せて息を整える。スコープ越しに頂上部を除いたが、ヒューズはいなかった。
<予備のドローンを展開する。少しその場で待っててくれるか>
<わかった>
さきほどのクレイモアといい、どこにトラップが仕掛けられているかわからない。むやみに突っ込むよりは、体勢を整えることに集中したほうがいいだろう。カーティスは一息つきながら、さきほどの狙撃を思い出していた。
とっさに伏せなければ間違いなく頭か胴体をやられていた。五十口径なら、一発でも当たれば終わりだ。
山岳部を監視し続けていると、通信が入った。国立公園の反対側にいるキャロルたちからだ。
<カーティス、国立公園内で通信と思しき電波をつかんだわ>
カーティスは驚いた表情で、
<奴は通信をしてるのか>
<電波がかなり微弱で、まだわからない。進展があったら連絡するわ>
<頼む>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます