第二部 七 二〇〇四年八月六日

 十か百か、あるいは千か。もう覚えていない。

 ファルージャにいる武装勢力をあぶりだすため、カーティスたちは家屋を片っ端から捜索していた。巧妙に潜伏する敵を見つけるには、空からの監視では不十分であり、このアナログな方法が、現状実現できる最良の策だった。

 二〇〇四年三月三十一日。アメリカの新聞では、ユーフラテス川にかかる橋の下に、アメリカ人四名の切断された死体が吊るされている、おぞましい写真が掲載された。四人は民間軍事会社PMCの社員で、いわゆる傭兵だった。アメリカによって雇われ、ファルージャを車で移動していたところを武装勢力による待ち受けにあったのだ。新聞に目を通したカーティスは、残酷な光景から目を逸らした。

 フセイン政権の主要な支持基盤だったここファルージャでは、アメリカ兵がイラク市民十数人を射殺するという事件も起こっており、連合軍、とりわけアメリカへの憎悪は想像を絶するものがある。

 四名の傭兵が死んだことをきっかけに、アメリカ軍はファルージャで武装勢力の掃討にのり出した。現在も、新生イラク軍や連合軍と、武装勢力とのあいだで激しい戦闘が起こっている。敵の武装勢力は大きな被害を被ったが、一般市民たちも少なからず犠牲になっていた。四人の犠牲者を発端として起こったファルージャ攻撃で、イラク側には六百人の死者が出た。

 千人の敵を殺して賞賛されようが、たったひとりの市民を殺せばその者の評価は覆り、たちまち悪人になる。イラク人は、憎悪を日々積み重ねている。こうしているあいだにも、大切な人を失った者が武器を手に、侵略者・・・との戦いに身を投じると、アッラーに誓っている。そんな敵を殺すため、連合軍は力を行使しする。市民に被害が出る。このくり返しだった。

 カーティスは民家のドアを勢いよく開けた。乱暴に開いた扉のさきには、人が暮らしていた名残が散らばっている。テーブルに並べられた食器。服を吊り下げているハンガー。画面が割れたブラウン管テレビ。粗末なつくりではあるがベビーベッドもある。親子が暮らしていたのだろう。


異常なしクリア!」


 家に入り、二階に進んでいった部下たちは、室内に誰もいないことを確認し、1階を捜索していたカーティスのもとに集合した。


「ここにもいやがらねえな」


 エルマーはいらだちを隠さずに言い放った。

 ジョナサンが死んでからというもの、エルマーの敵対勢力に対する憎しみは増す一方だった。三日前に起こった市民による反アメリカデモを見た彼は、銃をカーティスに預けたかと思うと、袖をまくりながら群衆に突っ込もうとしていた。ハワードやノーマンが力づくで止めたが、放っておけば間違いなく市民を殴っていた。連合軍の印象がさらに悪化すれば、占領政策にも支障が出るとカーティスが言いなだめたおかげで、どうにか怒りを収めた。


「誰もいないに越したことはない。戦闘が起こらなければ、誰も傷つかずに済む」


 ノーマンの言葉に、カーティスはうなづいた。それを訊いたエルマーは、


「ここでひとりでも多くの敵を殺しておけば、味方に危害が及ぶ可能性も低くなる。俺はむしろ戦いたいね」


 五人は民家を出て、右に数メートルほどの場所にいたアメリカ軍部隊のひとつに、「敵はなし」と伝えた。上空では四機のAH-64が地上を監視している。ブレードの回転音を響かせながら、カーティスたちの上を過ぎていった。空は雲がかっていて、太陽の光も遮られている。

 隣の民家に突入した。なかをくまなく探したが、さきほどの家と同様に空だった。カーティスの顔から汗が流れ、一筋の軌跡を描いて床に落ちた。大きく息を吐く。

 どこに敵が潜んでいるかわからない恐怖に、カーティスの精神は疲弊していた。


「ここもいないな。つぎに行こう」


 ※


 赤いドアを開け、新たな民家に入る。M4を構え、周囲を見渡す。カーティスは動きを止め、精神を集中させた。

 彼はわずかな音を訊いた。上階の床が軋んだ。軋んだということは、少しずつ重量がかけられたということだ。無機物ではない。

 目配せをしてアレンたちがうなづくと、階段を上った。先頭はノーマンで、基地から新調してきたベネリM4ショットガンを構えている。カーティスはその後ろを進み、アサルトライフルを構えている。アレンとハワード、エルマーが続く。

 部屋は左右にふたつあった。音がしたのは右の部屋だ。カーティスはノーマンとアレンを連れ右に向かった。ハワードとエルマーは左の部屋を探索する。カーティスたちは慎重に進んだ。

 談話スペースのような部屋の奥。ソファーには人が座っていた。成人の男女が一組、あいだにはふたりの男の子がいる。みな両目を見開きながら怯えていた。家族だろう。彼らの左には四角い窓があり、かすかな陽の光を室内に届けている。

 カーティスは額の汗を拭った。M4を下ろすと、


「ここは戦闘区域だ。なぜここにいる?」


 アラビア語が堪能なハワードが割って入り翻訳する。顎に髭をたくわえた父親らしき男は、少しの間を置いて口を開いた。


「なんて言った?」


「ここは私の家だ。離れたくない、だそうだ」


「――そういう問題じゃない! 戦闘に巻き込まれれば死ぬんだぞ! 家なんざ新しく建てればいいだろう!」


 思わず怒鳴った。張り詰めた神経が緩んだことの安心感と、市民のために集中力を消費してしまった苛立ちのせいだった。四人のイラク人の肩が大きく跳ねた。子どものひとりが泣きだしてしまった。


「……すまない。とにかく、俺たちが先導するから、いっしょに来てくれ」


 ハワードが即座に訳す。

 四人は戸惑っていた。背後から足音がしたかと思うと、ハワードとエルマーが銃を構えながら部屋に入って来た。


「大丈夫か!」


 ハワードが叫んだ。


「大丈夫だ、逃げ遅れた市民がいる。彼らを避難させよう」


 エルマーは家族を見ながら舌打ちすると、


「ったく、ふざけんじゃねえよ。こちとら死と隣り合わせで毎日戦ってんだ。こんなことでいちいち神経をすり減らしてたらたまったもんじゃねえ」


 カーティスは家族と再び向き合った。父親らしき男と目を合わせる。


「頼む。ここではいつ戦闘が起こってもおかしくない。あなたたちを守りたいんだ」


 ハワードは通訳を続ける。


「そう言いながら、君たちは一般市民を殺したじゃないか。なんの罪もない人々を。私たちは静かに暮らしたいだけなのに。なぜ攻撃するんだ」


「武装勢力がいるからだ。奴らが治安を脅かしている」


「そもそも君たちがイラクに武力侵攻しなければ、彼らだって武器を取ることさえなかったんだ。現状を生んだのは、間違いなくアメリカとアメリカに追従する国たちのせいだ」


「――なんだと」


「エルマー、下がれ」


 カーティスは話を続けた。


「一般市民を殺したくて殺す者なんていない。俺たちも、無辜の人々が犠牲にならないよう神経を尖らせているんだ……この戦争が一日も早く終わり、日常が再び訪れることを願いながらな」


 男は黙ってカーティスを見つめている。


「イラクのために、大西洋を下り、スエズ運河を通って、四千キロ以上の距離を移動して、この一年戦い続けてきた。その思いは本物だ。俺の名誉に誓う」


 男はしばらく黙った後、ゆっくり口を開いた。


「……出ていってくれ」


「信じてくれないか」


「頼むから、出ていってくれ」


「隊長、お望み通り、こんな奴ら放っておこう――」


 部屋が急に暗くなった。

 窓際にはスカーフで顔の下半分を覆った男がいた。銃をいまにもこちらに向けようとしている。

 カーティスは小銃で即座に発砲した。肩に当たった銃弾が、男の握っていた銃の向きを大きく逸らした。だが、放たれた弾はカーティスの左を通過し、振り向こうとしたアレンに当たった。


「アレン!」


 カーティスに撃たれた男は窓際からずり落ち、地面に体を打ち付けた。カーティスは身体を乗り出し、地面でうめいている男を撃ち抜く。すぐに動かなくなった。

 ノーマンが二階へとつながる階段を警戒しつつ、ハワードがアレンに駆け寄った。


「このくそ野郎!」


 エルマーが大声をあげると、M4を構えながら家族の前まで近づいていった。


「エルマー!」


 カーティスは怒鳴りつけた。


「いますぐ銃を下ろせ。命令だ!」


「断る! こいつらは俺たちの、この国の敵を匿い、待ち伏せさせてやがったんだ! こういう奴らがいる限り、平和はいつまで経っても訪れねえんだよ! アレンだって、そのせいで死にかけてるんだ!」


 カーティスはアレンを見た。撃ち抜かれた右腕を必死で抑えながら、ハワードの応置処置を受けている。右前腕の傷は貫通銃創だが、ほとんど千切れているようなものだった。骨が一部露出し、残った筋肉と皮が懸命に腕をつなぎとめている。アレンは目をつむり、必死に歯を食いしばっていた。


「ハワード、アレンは助かるか」


「致命傷じゃない。だが、早急にちゃんとした手当をしないと、前腕部が腐っちまうぞ」


 カーティスはエルマーを見ながら、


「アレンは死なない。この場をすぐに離脱するぞ」


「ダメだ。こいつらを殺してからだ」


「一般人を守るために俺たちがいるんだろう! 女子供を殺して、お前は国に顔向けできるのか?」


 エルマーはM4のグリップを一層強く握りしめた。


「こいつらは敵に味方した。テロリストと同じだ! この国を守るという命を受けた以上、任務を全うする! 奴らの気違いじみた攻撃で、連合軍味方に何人の死者が出てると思ってんだ!」


 カーティスはホルスターから拳銃を取り出した。背中を向けているエルマーに照準を合わせる。ハンマーを起こすと、音に気付いたエルマーが顔をこちらに向けた。


「エルマー、目を覚ませ」


「目を覚ますのは隊長だ。いつまで薄っぺらい騎士道精神を続ける? 甘いことを言ってるやつから死ぬんだ。あんたがいままで生き残ってこれたのは、襲い来るを殺してきたからさ。九十八・・という数が、なによりの証拠だろうが!」


 カーティスは湧き上がる吐き気を抑えた。

 銃口を向けられた家族は目を見開きながら、英語のやり取りを訊いている。


「あんたの本能は、現代の戦争をわかっている。だが、くだらない矜持アイデンティティがそれを否定している。目を覚ませ! 二十一世紀の戦争に、騎士道なんざどこにも存在しない! あんたの爺さんが諭した生き方は、とっくの昔に廃れてんだよ!」


「黙れ! 好き勝手に人を殺すような奴は兵士じゃない、殺人犯、いやテロリストだ! それこそ、ジョナサンを殺した奴らと同じな!」


「――てめえ」


 エルマーは振り返ると、小銃をカーティスに向けた。カーティスは彼の銃をつかむと、思い切り押し込む。後ろへ倒れ込むエルマーからアサルトライフルを奪い、部屋の奥に投げ捨てた。倒れざま、エルマーはカーティスの腹を蹴り飛ばした。ふたりは床を転がった。

 起き上がると、エルマーはホルスターから右手で拳銃を抜いていた。腕を床に向けてだらりと垂らしている。カーティスも同様だった。


「エルマー、最後の警告だ。いまなら不問にする。だから、彼らに危害を加えないと誓い、拳銃をホルスターにしまえ」


「平和のために戦って、味方が死んで、市民も死んで、それを恨んで殺し合う――もうこりごりだ」


 エルマーは血走った目でカーティスを睨みつけている。彼の意志は固かった。自分なりの正義を貫こうとしている姿が、カーティスには辛かった。


「お前は戦場の空気に頭をやられたんだ。サウサンプトンに帰れるよう、帰投後に上官に取り合う」


「俺が心的外傷後ストレス障PTSD害だとでも」


「それは医者が判断することだ」


 エルマーは顔を俯かせた。


「残念だぜ。国や人のために戦いたいっていう考えは同じなのによ」


 彼の右腕に力がこもった。


「俺もだよ。本当に」


 エルマーとカーティスは互いに銃を向けた。二発の銃弾が発射されたはずなのに、銃声は一回しか訊こえなかった。

 早撃ちを制したのはカーティスだった。コルトガバメントから放たれた四十五口径弾が、戦友の心臓を抉った。エルマーの銃弾は、カーティスの顔をわずかに逸れた。全身から力が抜け、エルマーの体が崩れ落ちた。

 唖然として見つめる一同をしり目に、カーティスはエルマーに近づいていくと、片膝をついた。首に手を当て、脈を確認する。顔に手をかざし、両目を閉ざした。


「錯乱して味方を殺そうとしたため、やむを得ずエルマーを射殺。司令部にはそう伝達する」


 沈黙の後、ノーマンが近づいてきた。エルマーの顔を、寂しげに見つめた。


「放っておけば、市民がまた殺されていた。俺は、隊長の勇気を尊敬する」


「俺もだ」


 ハワードが言った。


「でも」


 ノーマンが呟く。


「こんな別れ方はしたくなかった」


 カーティスはソファーで茫然としている男を睨みつけた。彼にはまだ訊くことがあった。


「ハワード、そこからでいい。俺の言葉を訳せ。お前は、俺たちを待ち伏せするつもりだったのか?」


そのはずだった・・・・・・・


「どういう意味だ」


「アメリカ側に味方をすれば、私たちは殺されてしまう。子どもも殺すと脅されているんだ。だから従うしかない」


「……さっきお前は出ていけと言った。待ち伏せから俺たちを守るためか」


 男は震えながらうなづいた。


「すまない、私がもっと早く」


「――質問にだけ答えろ。さっき窓際にいた男はなんだ」


「君たち連合軍を見つけるための捨て駒だ。銃声が鳴ってから十分後、武装勢力はここら一帯に総攻撃を仕掛ける」


 カーティスの顔から血の気が引いていく。あの男を撃ってから五分は経っていた。


「……俺たちは市民を守る義務がある。ついてきてくれ」


 男は家族を立たせた。応急処置を終えたハワードにアレンの護衛を任せ、先頭にノーマン、中央にイラク人の家族、カーティスが殿しんがりを務める形で家を出る。ノーマンは勢いよくドアを蹴破った。


「エルマーの遺体は、どうしますか」


 アレンが弱々しく訊いた。


「時間がない。後で友軍に回収してもらおう」


 基地に向かうための最短ルートを通りながら、カーティスは無線をつけた。住宅の周囲からはまばらに銃声が訊こえ始めている。


 <こちら第二十二歩兵分隊。現在地に、数分以内に武装勢力が攻撃を行うとの情報あり。至急迎撃準備を>


 <司令部オーバーロード、了解。付近の部隊を招集する。そちらは参加可能か>


 <無理だネガティブ。味方に死者と負傷者が一名ずつ。取り残された民間人を四名護衛している。ハンヴィーを要請したい>


 <そこより八百メートルほど北東に進んださきに部隊がいる。彼らに君たちの護送を任せよう>


 <了解>


 住宅の隙間を縫うように、カーティスたちは目的地を目指す。



 カーティスたちは住宅地を北東に進む。後方からは激しい銃声が訊こえる。

 十字路に入ると、右の角から影が伸びているのを見た。その形から、カーティスは声をかけるまでもないと判断し、仲間を静止させると、コルトガバメントを手に進む。伸びる影に続き、AK-47の先端が姿を見せた。

 カーティスはその小銃をつかみ、左に引っ張った。体勢を崩した所持者が通路に出てきた。カーティスの予想通り、民兵の男だった。Tシャツに短パンという格好に小銃という出で立ちは戦場に不似合いだが、中東では別である。拳銃の銃床を思い切り相手の鼻に叩きつけた。のけ反る敵の腕を持ち、仲間の死角となる右側の通路へ投げた。

 カーティスは底知れぬ怒りに駆られていた。弱々しく立ち上がる民兵の腹を殴ると、押し倒し、馬乗りになった。


「くそったれの畜生ども――」


 力の限り殴り続けた。気づいたときには、コルトガバメントの銃床も、両手の手袋も血にまみれ、真下には顔の潰れた民兵の死体があった。銃床を拭った手袋をバックパックにしまい、カーティスは、仲間のもとへ戻った。

 道中にも、何人かの敵と遭遇した。だが、自分が何発撃ったのか、何を言ったのか、まるで覚えていなかった。駆けつけた部隊と合流するころには、太陽が地平線に沈みかけていた。

 揺れるハンヴィーの荷台に乗りながら、カーティスはファルージャを見つめていた。あまりに多くの出来事が、立て続けに起こった。

 仲間たちが自分を見つめていることを知ったカーティスは、ようやく気づいた。自分は泣いていた。

 対面に座っていた家族の父親がこちらを見た。カーティスは、


「なんだ」


ありがとうシュクラン


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