第二部 六 二〇〇四年七月二十日

 黒髪の可愛らしい少年が、エイブラムス戦車によってできたわだちに顔を突っ込んでいた。彼の胸にぽっかりと開いた穴からは、筋肉が露出し、眩しく光る太陽を反射してピンク色にてらてらと光っている。その光景は、青空に向かって口を開け、餌をねだる小鳥のようにも見えた。およそ百メートル前方に落ちている一発の銃弾には、少年の肉片がこびりついていた。年端もいかぬ子どもの、命の欠片だった。

 銃声が響いたかと思うと、少年の側に女性が倒れた。右脚を太ももから吹き飛ばされ苦悶の声を上げながら、両手で抱えているものを必死で前にいるイギリス兵たちに届けようとしている。片足で立ち上がろうとするもバランスを崩し、抱えていた物とともに勢いよく倒れた。

 爆発が起こり、ふたりの身体をバラバラに引き裂いた。爆風は周囲の瓦礫を吹き飛ばし、三百メートル後方にいたカーティスの髪を撫でる。

 親子らしきふたりを射殺し、味方の危機を救ったカーティスは大きく息を吐いた。アレンは彼とともに伏せながら、双眼鏡で周囲を捜索している。


「着弾確認」


 を殺してもカーティスの顔に笑顔はない。険しい目つきは、いくつもの肉片となったふたりの一般人に注がれている。

 フセインや旧政権幹部たちが捕縛され、連合軍はイラク暫定政権を樹立させた後、実質この国を統治している。アメリカがイラク内における大規模作戦の終了を宣言されてから一年以上が経った。ナジャフやカルバラ、バグダッド攻略作戦のような規模の戦いは起こっていない。

 いまのカーティスたちは、思想テロリズムと戦っている。

 カーティスが憧れた戦場は存在しなかった。この戦争が始まり、クウェートからイラクへの国境に足を踏み入れ、IEDを積んだ車を狙撃したときからわかっていたのかもしれない。

 民兵は、素人に毛が生えた程度の戦闘知識しか持たない、武器を持っているだけの一般人だ。敵の戦闘員でさえ、ときおり一般人に紛れては、攻撃の機会をうかがっている。

 ベトナム戦争さながらのゲリラ戦がイラク全土を覆うなか、連合軍はその脅威に神経を尖らせ、戦火が去ったはずの地でも、日々民兵やイラク軍の残党を殺し続けている。IEDを満載にして迫る中古車、自らの身体に爆弾を巻き付けて近づいてくる男、果てには、反アメリカ勢力によって砲弾を持たされ、敵に突っ込まされる女子供。この国は悪人どもから解放されたというのに、戦争は終わっていない。

 残された人々と手を取り合いながら、この国に民主主義を根付かせることは、夢に散った。


「エルマーたちのところへ戻りましょう」


 カーティスとアレンは建物を降りると、哨戒任務に当たっていたエルマーたちと合流した。本来ならカーティスが指揮をとるべきだったが、イギリス軍主導の多国籍師団による要請を受け、バスラで動いているイギリス軍部隊を支援していた。

 エルマーたちは相変わらずの姿だが、顔だけは一年前と比べて十年は老けているように見える。みな戦争の毒気にやられていた。


「お疲れ、隊長」


 エルマーが言った。


「女性と子どもが榴弾を持って部隊に突っ込もうとしたんだ」


 思わずカーティスは口にした。口にしなければいけない気がした。

 心情を察したのか、ハワードは、


「隊長のやってることは正しい。もしそのふたりを殺さなかったら、死んでいたのは俺たちの仲間だったんだからな」


 第二十二歩兵分隊は、バクダッド攻略でイラク軍機甲部隊の足止めを成功させて以来、知名度を上げていた。とくに、五十九名というカーティスの狙撃による射殺者数はアメリカ軍や多国籍軍でも噂になり、いつしか遊撃隊のように各地に派遣されることも増えてきた。


「ハワードの言う通りだ。あいつらがテロなんてのを起こさなければ死ぬこともない。俺たちはこの国の治安を守るためにいるんだ」


 分隊は周囲の安全を確保した後、廃屋の中で小休止を取った。水筒に入った水を半分ほど飲み、カーティスは大きく息を吐く。

 無線から声が響き、一同は驚いた。相手は、さきほど護衛していたイギリス軍の戦車小隊だ。


 <こちらイギリス軍第一機甲師団第九戦車小隊! 現在、イラク兵、および民兵のによる攻撃を受けている! 至急救援を!>


 カーティスたちは荷物を背負い、現場に急行した。息を切らせながら荒れ果てた瓦礫のなかを走り抜け、銃声が鳴る方角へ向かう。走りながら、カーティスは無線を起動させた。


 <こちら第二十二歩兵分隊。現在現場に急行中。五分で到着する>


 イギリス軍部隊が戦っている場所は、二階建ての家屋や建物が両脇に密集する通りだった。イギリス軍のチャレンジャー二戦車一輌と、ウォーリア装甲戦闘車二輌が敵部隊と交戦している。通りは車の残骸があるくらいで、身を隠せるものと言えば、イラク戦争初期につくられたであろう土嚢と、イギリス軍の戦車と装甲戦闘車くらいのものだ。戦車は部隊の前方で、装甲戦闘車は両翼に布陣し、歩兵たちの遮蔽物代わりになっていた。

 カーティスは狙撃による援護を考えたが、場所を探す時間がもったいないと諦めた。五人を連れ、スカーフを巻いた敵を片付けながら、通りの右側面を進む。


 <敵の戦力は?>


 <視認できただけでも歩兵は五十をくだらない! 二時方向の建物からの銃撃がとくに激しい! 横に伸びたバルコニーを占領して、民兵が大量に入り込んでいるようだ!>


 <了解。こちらからの合図があるまで、該当する方角への攻撃は控えてくれ>


 分隊は細い路地に入り、道中に出くわした敵を一掃していく。三分と経たずに味方に指示された建物に到着した。裏口のドアは開いていた。カーティスはそっとドアノブを回し、M4を構えながら侵入する。アレンたちも続く。

 コンクリートで造られたなかは殺風景で、数ある部屋は、廃れたベッドやテレビといった家具が散乱している。ホテルか、あるいはマンションだったのだろう。


異常なしクリア


 六人は二階へ向かった。部屋は六つほど。細長く伸びている。カーティスは顔をずらし、ドアの外れた一室のなかをうかがう。バルコニーには民兵がいた。こちらの存在には気付く素振りも見せず、AK-47や、RPK軽機関銃で友軍を攻撃している。くぐもった銃声が耳に響く。カーティスはハンドシグナルで、二人一組にわかれて各部屋をチェックするよう指示した。


 <友軍の言う通り、二階のバルコニーに敵が密集しているようだ>


 最奥の部屋を覗いていたジョナサンが言った。側にはノーマンがいる。ちょうど真ん中の部屋にはハワードとエルマーのペア。左右と中央の部屋からバルコニーに進入し、三方向からの攻撃で殲滅する。


 <バルコニーにいる敵を同時に攻撃し、一気に制圧する。俺のカウントを合図に突入するぞ>


 カーティスはアレンを見た。力強くうなづき返す。


 <三、二、一……突入>


 M4を構えたカーティスは、前方にいる男の背中を撃った。力なく崩れる敵をしり目に、室内で座っていたひとりに銃口を向け、頭を撃ち抜く。アレンがバルコニーに出るとアサルトライフルで掃射を始めた。カーティスも続くと、十人以上の敵がいた。みな奇襲に驚いていた。部下による攻撃でつぎつぎに倒れていく。

 M4のマガジンを換える前に、制圧は完了した。死体が散乱するバルコニーに立ったまま、カーティスは無線に口を近づけた。


 <指示されていた建物を制圧>


 <助かった! さすがスパルタ・・・・だな!>


 カーティスたちはバルコニーを使い、反対側にいる敵に攻撃を加え始めた。土嚢の上に固定されていた、ソ連製のNSV重機関銃をつかみ、ジョナサンが制圧射撃を行う。五十口径の弾が敵陣へと降り注ぎ、当たった敵兵の腕や脚がちぎれていく。味方部隊の集中砲火もあり、待ち伏せしていた部隊の生き残りは逃げていった。

 建物から出ると、分隊は周囲を警戒しつつ味方に近づいていった。隊長らしき人物を見つけたカーティスは、


「被害は」


「味方が六人もやられた。それと、ウォーリア装甲戦闘車が一両大破。装甲車に爆破処理をした後、基地へ帰投するつもりだ」


「わかった。俺たちも護衛しよう」


「ありがたい」


 稼働するウォーリア装甲戦闘車に味方の遺体を担ぎ込んだ一行は、チャレンジャー二戦車を前方に展開。警戒しながら多国籍軍の基地を目指す。距離にして約五キロ。そこまで時間はかからないだろう。

 カーティスたちは砂利が敷き詰められた幹線道路を直進していく。みなの視線は、前方から迫り来る砂嵐を捉えた。イラクに吹く砂嵐、シャマルだった。


「全員、口をスカーフで覆っておけ」


 砂嵐のなかの進軍はむしろ好都合だった。天然の煙幕が、自分たちの姿を隠してくれる。

 ほどなくして、辺り一面が土色に染まる。吹き荒れる砂嵐は太陽の光をも遮さえぎった。時刻は十三時だというのに、まるで夕方だった。風も強く、大声で話さないと近くでも訊き取りにくい。

 三キロは歩いた頃、右方二十メートルほどさきにふたりの人影が見えた。銃を下げながら、こちらに向かって歩いてくる。


「友軍でしょうか!」


 アレンが言った。


「恐らくは!」


 人影はどんどん接近してくる。


「おい! 君たち、どこの所属だ?」


 カーティスが叫ぶと、人影が突然走り出した。その場にいた全員が銃を構える。


「おい!」


 やむを得ず銃撃を足元に放ったカーティスだが、相手の勢いはまるで衰えない。そして訊こえてきた異国の言葉。人影は持っていた銃を構えた。

 カーティスは走って来るふたりのうち片方を撃った。胴体を貫かれ、前のめりに倒れ込む。味方の銃撃によってもうひとりも倒れた。周囲を見渡したが、ほかに敵はいない。

 砂塵が舞うなか、ぼんやりと目に映る死体を確認するため、カーティスは分隊とともに近づいた。さきほど撃った者の側に近づいて片膝をつき、肩をつかんで仰向けにさせる。撃った相手は男性のようで、右手にAK-47を握っていた。防弾チョッキや戦闘服は着こんでいない。


「……民兵か――」


「ジョナサン!」


 立ち上がろうとした瞬間、発砲音が二回響いた。距離があまりに近く、カーティスは慌てて音のした方を振り向いた。

 カーティスの目に映ったのは、地面に倒れ伏したジョナサンと、彼の名を呼びながら駆け寄るエルマーの姿だった。胴体を撃たれたはずのもう片方の民兵はうつ伏せの状態で頭を半分破壊されている。

 分隊のメンバーはジョナサンとエルマーの周りに集まった。アレンはエルマーをどかすと、ジョナサンを仰向けにし、戦闘服を脱がした。


 <どうした、中尉!>


 友軍の隊長の声が無線越しに訊こえる。


 <隊員が撃たれた! 基地に救援要請を!>


 カーティスもジョナサンの隣にひざまずいた。戦闘服を脱がされ、インナーをめくられた彼の腹部は真っ赤に染まっていて、銃創が見える。貫通はしていない。盲管銃創だった。ジョナサンの腹の中で、銃弾の莫大なエネルギーが暴れまわったのだ。ほんの少し前まで健康的な肌色だった彼の顔が、みるみる白くなっていく。


「くそったれ……死ぬほど痛てぇ」


「大丈夫だ、大した傷じゃない。すぐ救援が来る」


 カーティスは彼を励まし続けた。隣で傷を見ているアレンの顔は、暗かった。


「映画のようにはいかないもんだ、こんなあっけなくやられちまうなんて――」


「病院でしばらく大人しくしていてくれよ。で、時が来たら、またいっしょに戦おう」


 カーティスは頭のなかからかける言葉を慎重に選んだ。

 ジョナサンは弱々しく笑うと、


「あんたは隊長なんだから、そんな、情けない顔するな。ときどき、無茶な命令もあったが、悪くなかった。楽しかったよ」


 カーティスは、握っていたジョナサンの右手を、そっと、離した。

 悲しむ余裕もなかった。ジョナサンの体に入り込んだ銃弾は、彼に十分な遺言を残す時間すら与えなかった。

 味方が死んでいくのを、カーティスはこれまで何度も見てきた。犠牲者をいちいち気にしていては、気が狂うのが落ちだ。それはよくわかっている。だが、それでも、そうだとしても、大切な仲間が死ぬのを見て、平常でいられるものか。

 アレンに銃を預け、カーティスは戦闘服を着直させたジョナサンを、力強く背負いあげた。しっかり抱えると、友軍のもとへ歩いていく。


「くそったれ」


 ハワードが呟いた。カーティスより前を歩いているため、どんな表情をしてるかはわからない。

 いつの間にか砂嵐は過ぎ去り、カーティスたちの頭上には青空が広がっていた。 


 ※


「死んだふりをしてやがったんだ」


 カーティスの右に座っていたエルマーが言い放った。その声は震え、怒りが震えている。

 友軍と駆けつけた救援隊とともに基地の門を通過した分隊は、仲間と分かれ、テーブルを囲い座っていた。仲間を失った者たちの顔は暗い。ハンガーに目をやると、ジョナサンや友軍の遺体を納めた装甲車が入っていった。


「ふたり目の民兵は、二発の銃弾を胴体に食らっていた。だってのに、しぶとく生き延びてやがった。痛みに耐えながらな。砂嵐で姿が確認できないから、俺たちが側まで近寄ってくることを見越してたんだ……! ジョナサンが銃を下ろした瞬間を見計らって撃ったんだ」


「砂嵐もあったが、安易に近づき過ぎた。俺の判断ミスだ」


「それが奴らの狙いだったんだ……テロリストどもめ」


 テーブルを勢いよく叩いたエルマーをしり目に、ノーマンが口を開いた。


「落ち着けって。冷静さを欠いてたら、ジョナサンの仇も取れないぞ」


「俺は至って冷静だ。戦争は終わってねえ、だからこそ、俺たちの活躍が求められてる。隊員の補充を待つまでもない。このまま任務を続行しよう」


 ◆◆


 カーティスは二杯目のジョッキをあおった。軽食しかとっていないからか、やけに酒の回りが早い。

 店内はさきほどよりも客が増え、活気に溢れていた。


「あなたってすごい人だったのね」


 対面に座っているアレクシアが言った。


「周りからすればそうだろうな。でも、俺もただの兵士だよ」


「そのジョナサンって人、映画が好きだったの?」


「ああ。俺も映画が好きで、いろいろな作品について語り合ったよ。懐かしいな」


 バスラの地で死んだジョナサンが脳裏に浮かんだ。隊長の軽率さを、彼は恨んでいるだろうか。

 カーティスはもう一度ジョッキを傾ける。まだ半分ほど残っていた中身を一気に飲み干した。


「自分の部下が戦死したこと。それが、あなたの背負っている過去なのね」


「それだけじゃない」


「え?」


「ジョナサンの戦死だけじゃない。この話には、まだ続きがある」

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