第二部 五 二〇〇三年四月二十一日

 バグダッドの夜空は、硝煙や黒煙に晒されててもその輝きを失うことはなかった。上空では数え切れないほどの星がまたたいている。

 バグダッド南側の哨戒任務を終えた第二十二歩兵分隊の面々は、大統領宮殿内に設営された基地のなかでたき火を起こし、暖を取っている。昼は灼熱の熱さに見舞われていたが、夜になればうすら寒い。カーティスはまくっていた袖を戻し、オレンジ色に燃える火を見つめていた。焼かれた木が、ときおり乾いた音を立てては割れた。


「開戦から二ヶ月足らずで終わりか」


 四月九日にバグダッドが連合軍によって占領されて以来、イラク側はキルクーク、モスル、ティクリートと言った地域をつぎつぎと失っている。フセイン大統領の銅像はアメリカ海兵隊によって引き倒され、本人は逃亡。もはやどちらが勝つかという問題ではなく、イラクがいつ降伏するかが焦点になっている。物量、質、技術、あらゆる点で連合軍が勝っているのは目に見えていたが、これほどまで早く戦争終結が訪れるとは思わなかった。


「あとはフセインの野郎をとっ捕まえれば終わりですよ」


 エルマーはきれいに剃られたスキンヘッドの頭を撫でた。腹部に受けた銃痕は大きな痣となって残っていたが、かんたんな治療を施され、三日後には分隊に復帰した。被弾したことで恐怖に駆られたかと思ったが、いらぬ心配だった。


「俺たちがその栄誉にあずかることはないだろうがな。どうせアメリカ軍がやるだろう。出番が来るまで、我が分隊ブリティッシュは大統領宮殿の番人だ」


 笑う男たちの顔を、火が明るく染めた。

 カーティスは部隊のなかでもっとも年下だった。二十二歳の指揮官に対し、当初のエルマーたちはやたら他人行儀な態度を取っていたが、この戦争が分隊の絆を深めていた。命を預け合う空間は、信頼を育むには打ってつけだった。

 三月二十日の開戦から約一ヵ月間、明日死ぬともわからない身で、六人は戦場をともに駆け抜けてきた。アメリカ陸軍の第二旅団を守るため、西から迫るイラク軍機甲部隊を足止めし、その戦力を半分近く削ったという事実は、第二十二歩兵分隊が有する最高の武勇伝となっていた。


「とにかく、この一ヵ月、みんなが無事でよかった」


「敵の機甲部隊を足止めしたときは、さすがにやばいと思いました」


 アレンの発言にエルマーは、


「あのときの功労者は、やっぱり俺とジョナサンだよな!」


「いやいや、俺とノーマンの援護がなかったら、お前らふたりとも、今頃土の下で寝てるだろうよ」


 とハワード。


「んだと?」


 エルマーとハワードが戦果の威張り合いをしているのを、カーティスは笑いながら眺めていた。いい歳した大人たちが子どものように口論をしている光景は面白かった。

 言い争った後、ハワードはこの口論の行き着くさきが見えないと悟ったのか、少しばかり考えると、


「けっきょく、あのときに隊長がビルから飛び降りると決断しなけりゃ、全員死んでたんだけどな」


「それを言うか。まあ、その通りだな」


 エルマーは首を縦に振った。


「そういえば、隊長はどうして陸軍に志願を?」


 ノーマンが言った。

 カーティスが軍に入った理由を話したのは、いちばん年が近く、かつ最初から自分に親しくしてくれたアレンだけだった。


「爺さんが元イギリス陸軍兵で、第二次世界大戦中、北アフリカ戦線にいたんだ。当時の話を訊いていくうちに影響されて、俺もいつか爺さんのようになりたいと、国のために戦いたいと思うようになった」


 カーティスは右脚の太もものホルスターに収まっていたコルトガバメントを取り出した。第一世界大戦より前に設計された拳銃の傑作は、生まれてから百年近く経ちつつある。日々進化する技術に後れを取らず、いまでも戦場に生きる者たちの心強い相棒になっている。黒く磨き上げられたスライドが月光を受けて光った。


「当時はアメリカで武器貸与法が成立していましたから、M1911A1コルトガバメントを当時のイギリス政府が借りたんでしょうね」


 カーティスの手元を見つめながらアレンが言った。


「爺さんの話では、数丁しかなかったらしい。友だちと協力してくすねたんだと」


「そりゃすごい。大した人だ!」


 ハワードが声を大にして言った。


「改良モデルならともかく、初期型を改造し続けて使っている人は、世界中どこを探しても隊長くらいですよ」


「だろうな」


 カーティスは笑った。分隊メンバーは全員、アメリカ軍でも正式採用されているM9を装備している。正直、そちらのほうが使い勝手はいい。


「少しお借りしても?」


 ジョナサンが訊ねると、カーティスは快諾した。マガジンが入っていないことを確認してから拳銃を渡すと、ジョナサンは、M1911A1の銃身やグリップ、トリガーなどをまじまじと見始めた。まるでオークションに出品された品の真贋を確かめる鑑定士のようだ。鑑定士の目は、やがてグリップの部分で止まった。グリップ中央に埋め込まれたメダリオンがたき火を反射している。


「このメダリオンは改造でつけたものですか?」


「ああ。出兵前に、爺さんが持っていた勲章を削って、メダリオンとしてはめ込んだんだ。最初は反対したんだが、お守りにどうしてもってな」


「それはまた……お爺様はいまもご存命で?」


「いや、亡くなったよ。銃を俺に託してから一年後に」


 周囲に重い空気が流れた。明るく振る舞っていた男たちの表情が陰る。ジョナサンは一言「すいません」と言って拳銃をカーティスに返した。マガジンを装填すると、ホルスターにしまった。

 たき火の鑑賞会となった空気を破ったのは、ノーマンだった。


「お爺様はきっと隊長のことを見守っていますよ。その拳銃を通して」


「本当にそうかもな。一ヵ月以上戦地のど真ん中に身を置いて、傷ひとつ負ってない」


「隊長も一度、銃弾の衝撃を味わってみるといいですよ」


 にやけ顔のエルマーが言った。


「いや、遠慮しておく。お前の体験談で痛みは十分伝わってるからな」


「そりゃ残念」


 エルマーが言い終えると、ノーマンは続ける。


「第二次世界大戦を生き抜いたお爺様にとっても、きっとお守りだったのだと思います。北アフリカ戦線で過ごした時間がその銃には息づいている。国のために立ち上がった隊長を見て、お爺様と神様が銃に加護を与えているのですよ」


「爺さんはわからなくもないが、神も銃に宿るのか」


「ナイフや杖では時代に合っていないと思ったのかも」


 ジョナサンの返しにみな笑った。

 興がのってきたところで、一行は糧食をバックパックから取り出す。ソーセージ、ミートボール、チキン、ラザニア、ラタトゥイユ。さまざまな糧食が地面に並ぶ。中身を広げると、みなフォークとスプーンを使いながら思い思いに食べ始めた。家の料理よりはまずかったが、仲間たちとともに食べれば気にならない。くだらない話に花を咲かせるカーティスたちの顔は、バグダッドの星よりも活き活きとしていて、そして輝いていた。


戦闘糧食レーションも、戦地ではメインディッシュですね」


 アレンの言葉に、カーティスはうなづいた。


「訓練時代に食ったときは、もう二度と食いたくないと思ったけどな」


 騒ぎを耳にしてやってきた数人のアメリカ兵たちも巻き込み、戦士たちの宴は就寝時間ギリギリまで続いた。上官から注意を受けたが、気にならなかった。

 何気なく過ごしていた毎日が、いまは光り輝いていた。

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