第ニ部 四 二〇〇三年四月五日 午後十二時三十分


 ビルから飛び降りた直後、テラスに砲撃が加えられた。風を背中に受けた六人は勢いで前方の建物の屋上に転がり込む。何度も転がった末、カーティスは近くのフェンスに激突し、ようやく止まった。頭を振りながら辺りを見回す。みなうつ伏せか仰向けで倒れている。全員無事に跳べたようだ。

 ついさきほどまで六人がいたビルは、ダイナマイトを使った爆破解体のように粉塵を巻き上げつつ、地面へと吸い込まれていった。

 ビルの倒壊で少しでも敵を足止めできればいいが。


「非常用階段を使っていたら、いまごろ全滅でしたね」


 近くで伏せていたアレンが言った。


「気を抜くな。まだ敵はいる」


 カーティスは改めて部下の無事を確認した。ハワードが足首を捻ってしまったため、ノーマンが肩を貸した。

 分隊は即応部隊の到着まで敵部隊を引き付けるべく、建物の屋上を移動した。周囲の家屋は密集していて、建物同士の幅は一メートルもなかった。着地点にはアレンが、二軒さきの建物にはハワードとノーマンが陣取り、エルマーとジョナサンは地上へ降りた。ふたりは粉塵が舞い散るなか、通りを走っていき、数十メートルさきの路地にプラスチック爆弾C4を設置して戻って来た。比較的原型をとどめている車をどうにか引っ張ってくると、横にしてバリケードの代わりにした。黒こげの車内に土やレンガを放り投げている。エルマーは後方へ向かい、いくつかの路地に対人用地雷クレイモアを設置した。

 ビルの西側から敵の声が訊こえる。

 正面の通りに対してなるべく直線になるよう、カーティスは建物の屋上を東に十メートルほど移動した。L96A1の発射準備を整えた彼は無線に口を近づけた。


 <俺たちが大部隊だと勘違いさせれば敵の前進を止められるはずだ。グレネードは出し惜しみするな。なるべく派手に戦うんだ。あと三分もすれば味方が来てくれる>


<長い三分だ>


 エルマーが悪態をついた瞬間、イラク兵数名が路地から顔を出した。同時に彼がC4を起爆させる。大きな爆発が周囲を揺らした。それが合図かのように、大量の民兵が通りに出てきた。マズルフラッシュの煌きとともに、銃弾が降り注ぐ。

 カーティスは突っ込んでくる民兵のひとりの腹を撃った。弾は相手の腹を貫通すると、背後にいた敵をも撃ち抜いた。エルマーとジョナサンによる銃撃で、迫り来る敵を片付けていく。

 ハワードとノーマンは、屋上からエルマーとジョナサンが対応できない場所にいる敵を撃つ。

 男たちは後方にいる友軍を守るため必死で戦い続けた。中東の焼けるような熱さなど、気にする余裕もなかった。

 狙撃銃のマガジンを交換していると、エルマーが設置したクレイモアが起動した。敵が回り込んできたのだ。両脚が吹き飛んだ男の死体をまたぐように、新たな敵が現れた。エルマーが体を反転させて反撃するより早く、相手の両腕に構えたAK-47が火を吹き、銃弾がエルマーの腹部に当たった。とっさにM4に切り替えたカーティスは、敵の胸を撃ち抜いた。


 <無事か、エルマー!>


 エルマーは横たわりながら無線に手を伸ばした。


 <ええ。防弾チョッキが防いでくれました……でも死ぬほど痛てぇ> 


 通りのさきの建物が音を立て崩れ落ちた。カーティスが目を向けると、瓦礫を蹴散らしながらT-72が姿を現した。平べったい砲塔から突き出た主砲は、ほかでもないカーティスを見ている。戦車が通り抜ける空間がなかったから、爆破して無理やり確保したのだろう。

 ハワードが予備のAT4を撃った。成形炸薬弾は車体に当たったものの、貫通はしていないようだった。カーティスは付近の屋上から飛び降りると、側に生えていた木をつかんだ。飛び降りると同時に、建物の二階に砲弾が直撃した。カーティスは衝撃で地面に叩きつけられた。モスキート音が頭にこだまし、視界が揺らぐ。側まで走ってきたジョナサンに顔をはたかれ、ようやく正気を取り戻した。


「大丈夫ですか」


「助かった。全員、撤退するぞ!」


 カーティスはホルスターからコルトガバメントを抜くと、ジョナサンの援護を受けつつ、エルマーに肩を貸して撤退を始めた。路地を抜けて出てきた民兵のひとりを撃つ。


 <路地を通って第二旅団に合流しろ!>


 轟音が響き、カーティスたちはとっさに地面に伏せた。T-72の砲撃かと思ったが、瓦礫が振りかかることも、自分が肉片になることもなかった。後ろを見ると、T-72から火の手が上がっていた。砲塔がきれいに吹き飛んでいる。

 空気を切り裂くブレードの音が胸に響いたかと思うと、漆黒の機体が上空を通過した。


天使・・がきた!」


 ジョナサンが叫んだ。

 一機のAH-64の登場を皮切りに、T-72の影からアメリカ軍の部隊が到着した。エイブラムス戦車も見える。残っていた敵兵を片付けながら、彼らはこちらに歩いてきた。カーティスは仰向けになると、大きく息を吐いた。

 どうにか生き残れた。


「少尉、立てますか?」


 サングラスをつけたアメリカ兵のひとりがそう言いながら手を差し伸べた。右腕を伸ばし、その手を力強くつかむ。三人は起き上がり、ハワード、ノーマン、アレンと合流すると、傷の確認と治療のため前線基地へと運ばれていくエルマーを見送り、第二旅団のもとへ向かった。弾薬の補給を済ませて戻る途中、胸につけていた無線が鳴った。


 <スパルタンチーム、無事か?>


 中隊長の声だった。


 <一名が銃撃を受け基地へ運ばれた。スパルタンチームは、これより第二旅団に合流する>


 <了解、こちらも敵の機甲部隊を壊滅させた。君たちのおかげで、こちらは全滅を免れた。ありがとう>


 第二旅団のもとへ戻ったカーティスたちは、戦闘の跡を目にした。十二輌いたT-55はみな砲身を下げ、黒い残骸になり果てている。いくつかはまだ燃えていて、エイブラムス戦車の強さを物語っていた。

 撃破されたエイブラムス戦車の機関部には、砲撃の跡と思しき穴が開いていた。車体が徹底的に破壊されていたことにカーティスは疑問に思った。弾薬に引火したのかと味方に訊いた。爆破処理を施したらしい。敵に利用されてしまうのを防ぐためだ。

 激しい戦闘で、エイブラムス戦車だけでなく歩兵にも被害が出ていた。アメリカ兵が五名死亡したらしい。彼らのことは訊かなかった。西側で起こった戦闘の話を訊いた兵士たちは、笑いながらカーティスたちに感謝の言葉を述べたが、澄んだ青色の瞳は、一様に寂しげだった。

 カーティスたちはアメリカ兵たちとともに、死体袋に戦死者を運んだ。遺体を持ったのは初めてだった。ファスナーを上げようとしたとき、アメリカ兵のひとりが祈りたいと言ったので、カーティスは頷いた。ともに目を閉じ、死者の冥福を祈った。

 遺体が運ばれていくのを見届けたカーティスは、通りの北を見た。フセイン大統領によって建設された大統領宮殿の一角が見える。贅を尽くして建てられた、独裁者の楽園。一刻も早くこの戦争を終わらせ、イラクに平和を取り戻す。M4のグリップを握っていた左手をさらに強く握り、仲間たちとともに進軍を再開した。


 ◆◆


「ありがとう、アマンダ」


 ローレンスは、壁に立てかけていた折り畳み式のテーブルを開き、アマンダが運んできたティーセットを置いた。ふたつのカップに紅茶を注いでいく。カップを手に取ったクライヴはひと口飲むと、口を開いた。


「崩れるビルから飛び降りてほかの建物に乗り移るなんて、まるで映画ですね」


「彼は内心怖くてしょうがなかったと言っていましたよ」


 機甲部隊を足止めしたという話も、クライヴにとっては信じられない話だった。戦争映画ならそれなりに見たことはある。歩兵のみの部隊が、戦車を擁する部隊と戦えば、悲惨な結果に終わるのは当たり前だ。それでも、カーティスと彼が率いる分隊は、第二旅団に振りかかる危険を振り払った。

 どれもこれも、クライヴにとって初耳だった。ここまでの話を訊く限りでは、カーティスが口をつぐむ理由はわからない。英雄的な行動をしたのなら、少しは誇ってもいいだろうに。


「このときの功績が称えられ、第二十二歩兵分隊はみな階級が上がりました。カーティスは中尉ですね」


「何気なく訊いていましたが、カーティスは狙撃の才能があったのですか」


「訓練時代から射撃の成績がよかったそうです。イラクで機甲部隊と戦った時点で、倒した相手は三十人を越えていたとか」


「つまり殺した敵兵の数ですか」とは訊かなかった。

 荒れ果てた中東やアフリカの姿を毎日ニュース番組で目にしているというのに、どこかで別世界の出来事だろうと高をくくっている自分がいた。そこに血まみれの少年がいようが、そこに必死で戦地から逃げる親子が映っていようが、それは画面を通して見た世界だった。画面越しに銃撃されても、イギリスにいる自分には当たらない。

 カーティスは観光でイラクに行ったのではない。フセインとその手下と戦いに、言うなれば殺しに行ったのだ。彼は狙撃銃のスコープで、ときにアサルトライフルのサイトで、敵が自分の放った弾丸によって死ぬ様子を見ている。

 クライヴはほんの数秒前までの自分の言動を恥じた。少しばかり顔を俯かせると、再びローレンスを見た。相変わらずの穏やかな笑みのまま、紅茶の入ったカップを口に運んでいる。

 

「続きを訊かせていただけますか」


 ローレンスはカップをテーブルに置くと、言葉を紡ぎ始めた。

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