第3話 滅びた世界で生きる者達②

「「……」」


 ギシギシと。床が軋み、耳障りかつ心臓に悪い音を響かせる。


(はぁ。どうにかなんないかな、これ)


 毎度のことながら辟易してしまう。

 極端に聴力が優れた化物は確認されていないが、それでもこの音のせいで気付かれてしまうのではと思うと気が気ではない。

 まぁどれだけ音を立てないように気を付けようと、気を揉もうとこればかりはどうにもならないので我慢するしかないのだが。


「私が確認します」


 階段を下り、玄関まで移動したところで一度立ち止まる。

 チェーンがかかったままの扉を僅かに開け、隙間から外の様子を窺う弥恵の様子をぼうっと背後から眺める。


 正直なところ、念には念を入れて一応確認するようにしてはいるが、扉の僅かな隙間から視認可能な範囲などたかが知れている。

 そのため安全確認が済んだとしても、出た瞬間死角にいた化物に強襲されるなんてことは当然有りえる。


 だが、それでも。一瞬の油断や怠慢が命取りになる世界だ。

 気休め程度の行為だとしても、やれることはやるにこしたことはない。


「とりあえず、見える範囲に確認できる化物はいません」


 そっと扉を閉じ、弥恵は振り返る。


「それでは今回も前回同様、近くのスーパーまで一気に駆け抜けるということでよろしいですか?」


「うん。そうだね。それが最善だと思うし、異論はないよ」


「そうですか。それではーー参ります!」


 チェーンを外して扉を押し開け、一気に飛び出す。


(右に赤眼鬼せきがんき。左に五眼獣ごがんじゅう。上に無翼鳥むよくちょう


 視線を巡らせると、地上に二体上空に一体の、計三体の化物を確認できた。

 即座に視認した化物の情報を記憶の中から引き上げる。


 空。遥か上空を悠々と飛翔しているのは、翼のない怪鳥。

 全身が羽毛に覆われしその怪物は、無翼鳥の名の通り翼を持たない。

 翼が無いのにどのように飛行しているのかはわからないし、それ以前に知ろうとも思わないが、兎に角。

 この無翼鳥は視力こそいいものの、一度降下を始めれば多少の修正はできるが大幅な修正は不可能な、しかもその降下速度は遅いなどただ走っているだけでも簡単に退けられる化物なので特別気にする必要はない。


 なので問題は左右の化物。


 右方向。スーパーまでの道の途中にいる、一角の巨人。

 絞られた雑巾のような捻れた巨大な二つの腕と、右手に握られた巨大な鉄塊。額に生えた凶悪な一本の角に、赤々とした邪悪な光を宿す瞳。無翼鳥とは比肩できぬほど、生物として異様な容姿を持つ化物、赤眼鬼。

 その辺に転がる鋭利な破片ですら傷つけられるほど防御力は著しく低く、普通に走って逃亡が可能なほど動きも酷く鈍重であるが、捻れた巨腕から繰り出される一撃は地面すら穿つなど、相当危険な化物である。


 左方向。凡そ50メートル離れた箇所に存在するのは、五眼の獣。

 五眼獣の名の通り、全身が衝撃を受けると瞬間的に硬化する特殊な体毛に覆われた、五つの眼を持つ狼のような姿をした圧倒的防御力と俊敏さを兼ね備えたこの場で一番厄介な化物だ。


「弥恵、構わず右! 全力で赤眼鬼の股の下を潜り抜けて!」


「はい!」


 かんなは瞬時に現状取るべき最適解を導きだし、指示を出す。

 二人が向かうは、赤眼鬼。


 舗装は剥がれ、地面は抉れ、瓦礫が散乱し、ぽっかりと穴があいていたりとお世辞にも走りやすいとは言えない地面。

 それでもかんな達は全力で疾走する。生きるために全身全霊で。


「ウォォッ」


 一方で急接近する自分達を認識したのだろう。赤眼鬼もまた動き出す。

 気合いを入れるためのものとも相手を威嚇するようなものとも違う、形容しがたい声を漏らしながら手にした巨大な棍棒を降り下ろす赤眼鬼の姿が視界に映る。


 だが、かんな達は止まらない。臆することなく足を動かす。

 轟ッ! と鋭い風切り音の後、凄まじい破砕音が背後で鳴り響いた。

 衝撃に乗った礫が叩き付けられているのだろう。背中を打つ痛みに顔をしかめながら一気にスーパーまで駆け抜ける。


「「……え?」」


 だが、無事にスーパーに辿り着くことはなかった。

 あと少し。後、ほんの十数メートルという所で。

 ただでさえ半壊していた建物ががらがらと音を立てて崩れ始める。


 どちらからと言わず、かんな達は足を止める。


 なにが起きているのか、二人にはわからなかった。

 確かにガラスは割れているわ、至るところが崩れているわ、天井はあちこち穴があいているわ、床も所々抜けているわで、老朽化は酷かった。


 しかしそれでも。こんな崩壊するまでには至っていなかったはずだ。

 ならば化物の仕業か? と身構える二人の前で、それは崩壊し瓦礫の山と化したそこから飛び出してくる。


「……女の子、ですか……?」


 弥恵がぽつりと呟く。

 瓦礫の山を吹き飛ばし、現れたのは上背凡そ120㎝程の小さな女の子。

 幼い体躯から漏れだす黒い瘴気に白髪を靡かせ、漆黒より尚黒い暗黒の瞳にとめどめない憎悪を宿し、ぎょろりと眼を剥くその幼女は明らかに普通ではなく。


「ミツケタ。ニンゲンコロス」


 幼女は二人の存在を認識するなり、歩き出す。

 その異様な気配から距離を置くように、かんな達はどちらからともなく後ずさる。


「コンドコソコンドコソコロシツクス。ミナゴロシニスル」


「な、なんでしょうこの子……?」


「わからない。わからないけど、ヤバイよ、あの娘」


 眼前の幼女が何者なのかは不明だが、それでも危険であることは理解できた。

 常に死と隣り合わせの環境で磨き上げられた本能が叫ぶ。

 さっさとこの場から離脱しろと。早急に幼女から遠ざかれと。


(……あ)


 と、そんな風に警戒心を募らせながらも、吹き荒れる憎悪の波から思わず眼を背けるように視線を空へ向けると、幼女に接近する無翼鳥の姿が瞳に映った。


「ジャマスルナ。カミノオモチャ」


 そして幼女の異常さは次の瞬間、目に見える形で露になる。

 幼女は己に向かって降下してきた無翼鳥に無造作に手をつき出す。

 突撃してくる無翼鳥にタイミングを合わせただけの、力など全く入れてなさそうな攻撃とはとても言えないそれは、しかし理不尽な一撃だった。


 幼女の手に触れると共に無翼鳥が爆ぜる。

 まるで体内の爆弾が爆発したように。


「「は?」」


 二人して思わずそんなすっとんきょうな声を漏らす。

 今鏡を見れば、口をあんぐりと開けた間抜けな顔を見ることができるだろう。

 それほどまでに目の前で起きた現象は現実味のない、あり得ない現象だった。


「ツギハオマエタチダ。ニンゲン」


 だが、いつまでも呆けてるわけにはいかない。

 ぎょろりとこちらに狙いを定める幼女を前に動かないわけにはいかない。


「弥恵! 逃げるよ!」


「了解しました!」


 かんな達は慌てて踵を返し、迫り来る幼女から距離を取ろうとする。

 しかし、二人は幼女に意識を取られるあまり気付いていなかった。

 背後から鈍重な動きで近付いてくる赤眼鬼に。

 人間では絶対に敵わない猛速度で肉薄する五眼獣に。

 接近する二体の化物に。


「ッ!」


「……え?」


 一足先に反転し、それを認識したかんなは咄嗟に弥恵を蹴り飛ばした。

 先程の超常現象を目にした時以上に呆気に取られる弥恵。

 対してかんなは弥恵が安全圏まで吹き飛んだのを見て安堵の息を吐く。






 そして。

 直後。

 かんなは飛びかかってきた五眼獣に押し倒され。

 一瞬遅れて振り下ろされた鉄塊に五眼獣諸とも叩き潰された。






「い、いやゃあぁぁあぁぁああぁぁぁぁっ!」


 刹那、絹を裂くような絶叫が世界に轟いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る