第2話 滅びた世界で生きる者達①
「……かんな」
暗闇の中、声が届く。
極限まで押し殺したような、小さな声。
些細な物音で掻き消えるような音量ではあるが、目を醒ますにはそれで充分である。
「ん、んぅ。おはよう、
目前に映った黒髪ロングの女性、弥恵に挨拶を返しながら身を起こす。
ぼろぼろで小汚い毛布を退かし、立ち上がりグッと伸びをする。
全身の凝った筋肉が解されていく感覚。気持ちが良い。
「はい、おはようございます。朝食は用意できてますよ」
「うん。ありがと」
ギシギシ軋む床の上を歩き、弥恵の対面に移動する。
今にも抜けそうなほど傷んでいるため、その足取りは自然と慎重なものになる。
「さんまの蒲焼きもらうね」
「それでは、私はさばの味噌煮を貰いますね」
ゆっくり腰を下ろし、開けられた二つの缶詰めの内の一つを手に取る。
同時、弥恵も残された缶詰めを手に取った。
「いただきます」
「はい、いただきます」
二人で手を合わせ、一緒に用意されていた箸に手に持つ。
ぱくり、と。缶詰めの中身を箸で掴み、口へと運ぶ。
消費期限などとうの昔に過ぎているが、気にせず箸を進める。
そも、一々消費期限を気にしていたら餓死してしまうのだ。流石に一目見て体に害が有りそうな禍々しい物は食べないが、食べられそうなら何でも食べなければ生きていけないのだから贅沢は言えない。
「ん。美味しい。……今日は食料調達に行くってことでよかったよね?」
「はい。もうすぐ底をつきますから、そろそろ調達に行きませんと」
「そっか。はぁ。やっぱり行くしかないのか」
弥恵の言葉にかんなは露骨に肩を落とす。
自分で言い出しておいてなんだが、やはり改めて口にされ事実を突き付けられると気が滅入ってしまう。
正直、できることなら家から出たくない。軽い地震で崩壊するほど老朽化が進んでいる安全面は保証されていない場所だが、それでも化物が跳梁跋扈する野外と比べれば化物が入り込んでいない家の中は天国なのだ。
「ごちそうさまでした。はぁ」
「お粗末様でした。溜め息吐いてもなにも始まりませんよ?」
「確かにそうだけど、やっぱり吐きたくなっちゃうよ。じゃ、食べ終わったら言って。本読んでるから」
「わかりました」
いまだ優雅に食事を続ける弥恵を残し、部屋の隅に移動する。
立て掛けられている二つのリュックサック。そのうちの一つ、ぼろぼろの灰色のリュックサックから一冊の本を取り出し、開く。
ところどころ破けていたり、染みが付いたりしていて決して綺麗な物ではないが、それでも原型は保たれていて問題なく読むことができる。
「……」
「本当に本好きですね」
「うん。物語の中には夢と希望が詰まってるからね」
産まれてからこのかた、現実で夢や希望を抱いたことは一度もない。
現実世界は非情で無情で残酷で理不尽で無慈悲だ。常に死と隣り合わせ。生きて明日の朝日を拝めるかすらわからない、今生きていても数瞬後にはどうなってるか定かではない、現実はそんな救いようのない世界だ。
一方で物語の中には救いがある。希望がある。夢がある。平和がある。現実世界にはない、様々な輝かしい物がある。
だからこそかんなは本が。創作物が好きだった。物語に没頭すれば。登場人物に感情移入すれば、その瞬間だけでも現実世界では手に入れられないそれらを掴めたように錯覚するから。
「ま、要するにあれだね。現実逃避だね。現実は辛いから物語の世界に逃げてるだけだよ」
「そう自嘲しなくても。誰だって現実から目を背けたい時はありますよ。かくいう私もしょっちゅう現実逃避してロマンチックなことを考えてます。勿論、背けてなにかが変わるのかというとそんなことはないんですが」
それでもやっぱり背けたくなります、と弥恵は憂い顔を浮かべ呟く。
かんなはそんな沈鬱とした弥恵になにを言っていいのかわからず押し黙り、結果、会話が途切れる。
ぺら、と。痛ましいまでの静寂が満ちた空間に頁を捲る音がやけに煩く響いた。
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