第96話 真贋
ジャンニは書記官と警察長官を相手に1時間も喋っていた。
罷免を撤回してほしい、というジャンニの要求を、ラプッチは言下に退けようとした。押し問答しているところへリドルフィが通りかかり、まずは落ち着いて話し合ってみてはどうかと言ったのだ。
*
ジャンニはこれまでに分かったことを全て話した。話しながら、2人の高級官僚を観察した。警察長官は口を差し挟まずに耳を傾けている。ラプッチは顔に不快感を浮かべている。しわくちゃになった書類と記録簿をジャンニが出すと、その表情はさらに険しくなった。
「まさか無断で持ち出したのではないだろうな?」
「人聞きが悪いな。ちょっと拝借しただけだよ」
ヤコポの覚書については。今の段階では黙っておくことにした。この2人に見せるのはまだ早いという気がしたのだ。
「裁判記録を読んで、おれの頭には宝石の鑑定のことが思い浮かんだ。宝石が本物かどうかを確かめるのに、横から見る方法がある。そうすると、正面からじゃ見えなかったものが現れる。あんた方もこの事件を別の方向から見るんだ。そこに真実が隠されてる」
警察長官が、部屋に入ってから初めて口を開いた。
「ヤコポの口に銅貨が入っていたのは、裁判で不正があった事実を暗に示していると言うが、エネアの場合はどうなんだ。口の中から銅貨は見つかっていないだろう」
「ああ。だけど、はめていた指輪が銅貨と同じように薬品で腐食していた。だから彼を殺したのも同じ犯人だとおれは思う」
ラプッチは、前任者が重大な裁判における偽証行為に関わったという話に同意しない構えを見せていた。ライモンド・ロットがまだ生きているからだろう。ここで安易に同意すると、万が一、ライモンドが回復した場合、まずい立場に立たされる。
「私は事実の捏造があったとは思わないね。ピエトロを殺した、とレオナルド・ラウジははっきり述べているではないか。この男が有罪なのは明らかじゃないのかね」
「痛めつければ真実を告白すると本当に思ってるのかい? あんなふうに苛められたら、やってもいないことをやった、とあんただって白状しちまうだろうよ。彼は無関係だ。メディチ家の別荘に忍び込んだどっかの阿呆の代わりに罪を押しつけられたんだ」
しかし、八人委員会がなぜ、そこまでしてレオナルドに罪を被せたのかの理由についてはまだ確信がもてない。
もう1つ腑に落ちないのは覚書だ。
大きな事件が起きると、ヤコポは必ず日記に記している。なのに、トレッビオでの出来事には一言も触れていない。知人が殺される場に居合わせたというのにだ。
彼は何も見なかった、とヴィート老人は言ったが、やはりヤコポは降りしきる雪の中に何かを見ていたのではないか。
「ジャンニ、ヤコポとエネアを殺害し、ライモンドに重傷を負わせたのはそのレオナルドだと君は考えているのかね」
「いいや。レオナルドはヴォルテッラの牢獄にいる。彼のために復讐しようとしてる奴がいるのかもしれない。その線で犯人捜しをするべきだ。石工を取り調べてもこの事件は片づかないぜ」
「エネア・リナルデスキを殺した下手人は、じきに自白する」
と、ラプッチが言った。彼はまだ、大聖堂に出入りしていた石工の中に犯人がいると考えているようだった。
イタリア語を話せない若い石工が下手人の候補に挙がり、拷問を伴う尋問を受けているのは知っていた。この分だと、ろくに弁明もできずに有罪となるレオナルドのような罪人がもう1人出来上がることになりそうだ。
「まだ分からないのかい? おれを裁判官に戻して、そのハンガリーの若い男に会わせてくれ。拷問にかけずにちゃんと話をして、無関係だってことを明らかにしてみせる。あんた方は彼を脅えさせてるだけだよ」
書記官にこの話をしたのは失敗だった、とジャンニは思った。
そのハンガリー人を下手人とみていることは公爵に報告済みだろう。おいそれと釈放すれば、重要な事件での不手際を認めたことになる。処世術を心得ているマルカントニオ・ラプッチが、わずかでも付け入る隙を宮廷のライバルに与えるような行為に出るとは思えない。
「せめて、ヴォルテッラに人をやってレオナルドがどうなったかを確認してくれ。生きてるなら釈放してやるべきだ。誰も殺してないんだから」
「偽証までさせて下手人を仕立て上げる理由は、ライモンドにはなかったはずだ。従って、レオナルドは明らかに有罪だ。自白もそれを証明している」
「彼が1月26日にトレッビオにいなかったのは間違いないんだよ。ライモンドは、あんたみたいに公爵にいいとこを見せようとやっきになって、真実なんか歯車にかけて押し潰しちまった。それを何とも思わない男だった。そうじゃないかい?」
「我々の議論はここまでのようだな。これ以上、君と話すのは時間の浪費にほかならない」
ああ、そうみたいだよ、このキンタマ野郎。もしレオナルドが無罪だと分かる記録でも見つかったら、丸めてあんたの尻に詰めてやるからな。
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