13 嘘と真実
第91話 サン・ニコーラ施療院(1)
1537年の事件に関する記録は、薄い冊子と十数枚の書類からなっていた。日付が記載されていなかったり、ところどころ判読できなかったりした。文章の途中と思われる箇所で唐突に終わり、残りが空白になっているものも混じっていた。それでも、ことのあらましはだいたい分かった。
レンツォから記録簿を受け取り、ジャンニは全てに目を通した。読み終わると、炙り肉の骨をしゃぶりながら考え込んでしまった。
調書は、これといっておかしなところもなく、矛盾もない。刑事裁判の形式的な手続きを記したものに見える――もちろん、不備やまやかしがあったとしても、ジャンニに分かるはずがなかったが。しかし、どこか妙だった。普通ではない気がした。沼の底に汚泥が溜まっていれば異臭で分かる。そういう嫌な臭いのように、ジャンニの鼻は違和感を嗅ぎとった。
最初の取り調べを除き、裁判官とレオナルドの問答は全て要約だ。しかも、ヤコポら証人の言葉は喋った通りに記されているのに、レオナルドの供述書は作り物めいている。「悪辣な衝動に突き動かされ」――自分の行動を語るのにそんな言いまわしを使うだろうか?
彼の口から出た言葉か、裁判官が下書きしたかどうかは別にして、レオナルドが自分の手で書いていないのだけは明らかだ。
同じ日の記録にはこう記されている。
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レオナルドは泣いていた。真っ直ぐ歩けなかったので、2人の牢番が両側から支えて取調室に連れて来た。これまでに数回、吊し落としの拷問を受け、両腕が動かなくなり、肩が腫れ上がっていた。
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自白内容は流麗な文字で書かれているのに、署名だけは糸のように弱々しく、震えて歪んでいる。拷問で痛めつけられ、文字を書くのも困難だったはずだ。裁判官が本文を書き、彼は署名だけをしたのだろう。
それによって、彼は供述が正当であると認めたことになった。
囚人は、取り調べの後で供述に目を通し、確認することができる。内容を認めたくなければ署名しなければいい。いつでも正当性に異議を申し立てられるというわけだった。
しかし、自供を翻すのは賢明ではない。
ジャンニは八人委員会に10日しかいなかったが、それを知るには充分な長さだった。事実、そんなことをする囚人もあまりいなかった。署名を拒否すれば尋問室へ戻され、また拷問にかけられるだけなのだから。
結局、この裁判記録に何が隠れているのか、ジャンニには分からなかった。そもそも、ヤコポが偽りの証言をした可能性について知らなければ、これほど注意深くは読まなかっただろう。
サン・ニコーラ施療院は同じ名前の教会に併設された、身よりのない病人や孤児を収容する慈善施設だ。レオナルドはそんなところで何をしていたのか。
――私は彫刻職人で、親方のために仕事をしていただけですよ。
依頼された仕事というのは、この施療院に関することなのか?
*
サン・ニコーラ施療院は街はずれにあった。不格好で美観に欠ける建物だ。管理者を示す絵が戸口についている。摩耗しているが〈絹織物商組合〉の紋章だ。
ジャンニは門をくぐった。
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