第85話 斧と銃
「工房」は他の家から孤立していた。どことなく陰気さの漂う建物だ。
「鍵がかかってる。おい、この扉を開けろ」
「断る」
グリフォーネの顔がまた怒りで真っ赤になった。
「おれに向かってそういう口をきくな!」
「あんた、さっさと兄貴に鍵を渡せよ」
兵の1人がどこかから斧を持ってきた。
「扉を破れ」
レンツォは斧を受け取り、扉の前に立った。腕を振り下ろすと、頑丈な鉄の刃が戸板にめり込んだ。引き抜いてまた一撃を食らわせた。木片が飛び散った。リッポが笑った。
「ほら、見ろ。おとなしく鍵を寄越してりゃいいものを」
小屋の主は止めに入ろうともしなかった。声は落ち着いている。
「何をしようと勝手だが、後悔することになると思う」
錠の部分が壊れ、扉はゆっくり内側に開いた。光の中で埃が舞った。グリフォーネが前に進み出た。
暗がりから唸り声が聞こえた。
一拍おいて、大きな黄色いものが飛び出してきた。
明るい毛並みをした大きな犬だった。犬は後ろ脚で地面を蹴って警邏隊長の喉元に食らいつき、大柄な体ごと押し倒した。弟が駆けつけ、転がった銃を拾った。しかし、兄の体が邪魔で狙いをつけられないでいる。
ラーポが口笛を吹いた。黄色い犬は警邏隊長から離れて彼の方へ走って行った。
グリフォーネは肘をついて体を起こした。どこも怪我をしていなかった。顔は怒りと屈辱で強ばっている。
「犬なんかけしかけやがって、この野郎」
ラーポの言葉に嘘はなかったようだ。ただの作業場だった。床に木箱が積み重なり、机の上は古い本や紙、桶、散らばった小銭などで隙間もない。戸棚に並んでいる小瓶は、外科医の診療室で見かける薬品類を思わせる。
床に、聖母子の像が描かれた紙が落ちている。折り目が破れ、角はぼろぼろだ。
グリフォーネは弟から銃を取り返した。
「追い剥ぎどもを見つけたらすぐに教えろ。今、知ってることがあるなら言ったほうが身のためだぜ」
「私に言えるのは、あんた方が地獄に堕ちればいいと思ってるってことだけですよ」
グリフォーネは何も言わずに長銃をラーポに向けた。しかし思い直して銃口を下げ、それからレンツォに顎をしゃくった。
「思い知らせてやれ。フィレンツェの警邏隊長に楯突いたらどういうことになるか教えてやるんだ」
「あんた、謝ったほうがいいぜ」
ラーポは地面に膝をついて犬を撫でている。薄気味悪いが、態度には好感がもてる男だ。自分が、いきなり舞台の上に立たされた間抜けのような気がしてきた。謝れって言ったんだよ、このうすのろ。何とか言えよ、ちくしょう。まわりを見た。田舎の兵士どもに値踏みされているのが分かった。顔が熱くなり、吐き気がこみ上げてきた。
「おい、聞いてるのか?」
「くたばれ、木っ端役人」
手はふにゃふにゃで力が入らなかったが、右手を横ざまに振り下ろして思い切り殴りつけた。こめかみに一撃を受け、よろめいたが、ラーポは倒れなかった。兵がどっと笑い声を上げた。
レンツォは建物の裏手まで歩いていき、胃の中のものを吐いた。
「よう、あんたは終わりだぜ」
振り向くと、リッポが笑みを浮かべていた。
「ベルリンゴッツォは故買をやってたことを白状した。あんたが仲良くしてた、あの骨董屋だよ。妙なことに、奴の店からは庁舎の押収品保管庫からなくなったものがずいぶん出てきたそうだ。八人委員会は今、それを持ち込んだのが誰かを追及してるとこだろう。奴が名前を出すのをためらうかもしれないから、どんなボンクラでも分かるように、ベルリンゴッツォとあんたの名前を並べて書いた紙を書記官が見つけやすい場所に置いといた」
リッポは楽しそうに喋り続けている。
「つい最近、八人委員会は盗品の反物を売った男を有罪にして、片腕を切り落とす判決を出したよな。連中があんたにどんな罰を下すか楽しみだ」
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