第78話 失踪の理由

 茫然自失していたマルカントニオ・ラプッチが、我に返ったようにジャンニにつかつか近づいてきた。館の主として体裁を取り繕う必要があると思ったのかもしれない。


「一体、誰の許しで私の家に来た? このようなことを伝えるのは心苦しいが、君はもう八人委員会の一員ではないのだ。今朝、決定がなされたものでね。君が裁判官でいることを公爵閣下は望んでおられず――」


「おや、そうだったのかい。ライモンドの家に押し入った賊の手掛かりを持ってきてやったのに、もう教える義務もないわけだな。側近が喉を掻き切られて、公爵は神経を尖らせてるだろう。迅速に下手人を捕らえればあんたへの評価も上がると思ったんだけど、残念だ」


 ジャンニはもう背中を向けて歩き出していた。ラプッチが慌てて追いかけてきた。

「ま……待ちたまえ、ジャンニ。手掛かりとはどういうことだ?」


 ジャンニはライモンド・ロットの家に現れた頭巾の男について話した。しかし、女主人の寝床にミケランジェロが潜り込んでいたらしいことは省略せざるを得なかった。


 役人は井戸端の女たち以上に噂好きだ。公爵の法律顧問の妻が彫金師見習いの若者を寝室に入れた、なんて洩らせば話はすぐに宮廷中に広まる。


 アレッサンドラはそれを望んでいないはずで、もし間違って夫の耳に入ろうものならあの館でまた血の雨が降る。


 ライモンド・ロットが再び剣を振り回せるようになるまで回復したとしての話だが。


「頭巾をかぶった妙な風体の男? 一体どこでそんな話を聞いた?」


「あんたがたが市民に推奨してる、匿名の垂れ込みってやつさ。そういう奴を見なかったかどうか、情報を募るべきだ」


「賛同しかねるな。第一、それが犯人だったという根拠はどこにあるんだね」


 館の中で目撃した者がいる、と言えば、小間使いの娘やミケランジェロのことまで話さないわけにはいかなくなる。


「賊はそいつだ。分かるんだよ。同じ男を大聖堂の司祭やバスティアーノたちが見てるし、おれも昨日、エネア・リナルデスキの菜園で見たんだ」


 菜園と言った途端、ラプッチの表情は険しくなった。しまった、火事の件を思い出させちまったか。


「君の話は信用ならない。君は、塔に火を放ったのはその男だと言ったそうだが、私のもとには異なる証言が届いている。回復したフェデリーコ・リナルデスキによれば、火をつけたのは君ではないか」


「煙を見れば誰かが来ると思ったんだよ。実際そうなっただろ?」


「嘘で言い逃れしようとした事実は容認できない。放火は重罪に値する。しかるべき処罰が下されるからそのつもりでいるように」


 言いながら、ラプッチは小指にはめた指輪に傷がないかどうかを眺めた。


「君のような者が裁判官の任務についたことを懸念していたんだよ。由緒ある八人委員会の権威に傷が付くのではないかとね。残念だが、どうやらその通りになってしまったようだ」


 ジャンニは思わず掴みかかろうとした。が、後ろから八人委員会の兵に押さえ込まれた。


「あんたは何とでも言えるさ、あそこにいなかったんだから。確かにちょっと派手に燃やしすぎたよ、けど、おれは奴を捕まえてやろうとしてるんだ。それにひきかえ、あんたが考えてるのは我が身のことばっかりじゃないか!」


 ジャンニは丸太か何かのように抱え上げられた。


「頼む、話を聞いてくれ! うちの若いのもやられたかもしれないんだ。新入りの徒弟が工房に姿を見せない。下宿先にもいないんだよ」


 ジャンニの剣幕にたじろいだのは一瞬だった。ラプッチは姿勢を正し、襟を撫でつけた。


「姿を消したのは、弟子として教えを受ける気がなくなったからではないかね?」



 *



 そうだろうか? 


 歩くうちに、書記官の指摘が正しいような気がしてきた。


 うん、多分そうなんだろう。


 考えれば考えるほど、そう思えた。ちょいと動転していたな。路面に血がついていたからって、ミケランジェロの身に何かがあったとは限らない。


 あの若者は工房で満足してやっているようには見えなかった。仕事をほったらかしている親方に嫌気がさしてフィエゾレへ帰ったのかもしれない。なら心配するほどのことではない。


 おれが徒弟に見限られるまで落ちぶれただけの話だ。

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