第39話 縄(2)

 刑吏はレンツォとルカを交互に眺めて言った。

「こんな権限はあんたにはないでしょう」


「権限ならある。こいつを捕まえたのはおれだ」

「でも、こういうことは市民裁判官の命令がなけりゃできないんです」

「市民裁判官の命令だ」

「どなたの?」

「ジャンニ・モレッリさ」


 あの金細工師はどう見てもボンクラだから名前を使われたことなんか気づかないだろう。


「なんだよ、書類が必要か? ジャンニは今、手が離せないんだよ。あんたに話せば分かると聞いたのに」


 刑吏は渋々うなずいた。

「で?」


 レンツォはまごつき、合図か儀式でも必要なのかと思った。

「やってくれ」


「普通は、縄をかける前に被疑者に自白を勧めるもんですが」


 ルカが暴れるのをやめた。

「おい、なんの話だ?」


「ここに連れてこられるのは喋る気がないやつだけだろ? なんでそんなことをする?」

「そういう決まりなんで」

「この囚人に自白の意志がないのは明らかだ。だからすぐ拷問にかけてくれていい」

「やめてくれ!」


 執行人がルカに服を脱ぐよう命じた。


「服なんかいい。さっさとやってくれ」

「まったく、ぜんぶ決まりからはずれてる」


 執行人が横の把手を回した。滑車が音をたて、荒縄がぴんと張った。後ろ手に縛られたルカの両手が背中のほうに上がった。


「あれの出所だ」

「言うかよ、バカ」


 何かを感じはじめたか、声は震えていた。執行人の腕に力こぶが盛りあがった。両腕をさらにねじあげられ、ルカは前傾姿勢になった。さらに把手が引き降ろされた。


「言えよ、おい」


 ルカの足が床から離れた。顔は真っ赤になった。額に汗の玉が浮いている。


「どの高さにしますかね?」


 レンツォが答えられないでいると、刑吏はフンと笑った。


「落とす高さのことですよ。普通はもっと高く吊り上げます。そのほうが効果てきめんだから。手首だけで吊して縄を緩め、床ぎりぎりまで落下させるんです」


「よ、よし、そうしろ」


 刑吏が把手の別の箇所を掴んで引き下ろした。見る者をぞっとさせる光景だった。


 本当はここまでやるつもりはなかった。


 ちょっと脅せば簡単に口を割ると思っていた。そもそも、あの紋章が重要かどうかはまだ分からない。マウリツィオの居所の手がかりになればと期待しているだけだ。


「どうします、旦那」

 と刑吏が聞いた。


 この段階まできたのはルカの責任だ、とレンツォは自分に言い聞かせた。ここまでこさせたのは、こいつだ。素直に白状すればよかったものを。もう引きさがることはできない。中止を命じれば、怖じ気づいているのを刑吏に知られてしまうだろう。ルカが片腕、あるいは両腕を失っても、それはルカの愚かさのためであっておれのせいじゃない。


 おれは警告したんだからな。


「どうします? 落としますか?」

「降ろせ」

「何とおっしゃいました?」

「降ろせと言ったんだ! 尋問はやめだ、バカ野郎」


 滑車が軋んだ。足から徐々に降ろされると、ルカはでこぼこの床にくずおれた。


 盗みを白状したくないのは盗人なら当然だが、それでもルカの態度は不可解だった。

 袋の中身が盗品なのはお互い分かっているのに、何を今さら隠す必要があるのか。


 なぜこうも頑ななのか。


「あれはマウリツィオのものだ。そうだろ?」


 小男は丸くなって震えている。


「居場所を知ってるのか? 何か言われたのか? 脅されたのか?」


 ルカは嗚咽を漏らした。

「あのあばずれ女……」


「女?」

「手を出すんじゃなかった。こんなことになるってわかってりゃ、近づかなかった」

「何を言ってるんだ?」

「あの女がおれをそそのかしたんです、ああ、主よ」


 小男は一心に祈りながら、もう亭主持ちの女には求愛しませんと呟いている。


「あいつに殺される」

「誰に?」

「あの女の亭主だ」

「誰のことを言ってるんだ?」


 ルカは目をつむって頭を振った。


「ルカ、誰もお前を殺したりしない」

「嘘だ! 現にあんたがきたじゃないか。おれがやつの女房と寝たのを知ってるんだ。おれをはめようとしてるんだ。そうだろう、え?」


 レンツォは腰掛けを持ってきてルカを座らせた。それから刑吏に言った。


「尋問は終わりだ。出てってくれ」


 刑吏は肩をすくめ、何も言わずに退室した。


「その女の家で盗みをやったのか? それで今まで黙ってたなら、お前はバカだ。おれが知りたいのはマウリツィオがどこにいるかだぞ」


 言いながら、レンツォは入り口が気になって仕方がなかった。書記官や裁判官がいつ入ってくるか分からない。あの刑吏が、不審に思ってもう誰かに報告したかもしれない。


「ここから出してくれ」

「だめだ」

「逃がしてくれりゃ、さっさと姿を消すから。おれは盗みに入ったりしてない。あれを見つけたのだって偶然なんだから」

「どこで見つけた?」


「マッジョ通りにある郵便脚夫の家。そいつの女房といい感じになってさ。亭主の野郎が留守の昼、呼ばれて家に行ったんだ。そこであれを見つけた。袋に入ってた。届けるよう、亭主が誰かに頼まれたものだって言ってた」


「誰に届けるはずだったんだ?」

「てめえが頂こうってのに、そんなこといちいち覚えておくかよ」

「思い出せ。ランフレディの家の誰かだったか?」

「そんな大層な名前じゃなかったぜ」

「男か、女か?」


 ルカは考え込み、ふと笑いをもらした。

「思い出した。モンナ・オネスタって女に届けることになってるって言ってた。夫に対して誠実オネスタじゃない女の家でこんなものを見つけるとは、皮肉なもんだと思ったんだよ」


 モンナ・オネスタ。


 ドッソはランフレディ家の人々に食べ物をもらっている。めったにいないがモンナ・オネスタも時々施しをくれる、と言っていたのではなかったか。


 ランフレディ家の紋章が縫い取られた男物の衣類が、その女に届くことになっていた?

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