第47話 宮殿での再会(2)
「母の宝飾品のこと、ジャンニ様によく頼んでおいてくださいね」
深みのある声で現実に引き戻された。アレッサンドラが話したい相手は、あくまでもジャンニ親方なのだ。
「はい、必ず」
話が終わっても、アレッサンドラは立ち去らなかった。まだそこにいた。なめらかな顎に人差し指をあてて。
「あれから考えたのですが、私の宝飾品をあなたに見ていただいたほうがいいと思うのです」
「えっ?」
「母の首飾りは古めかしい作りなの。私の好みとはちょっと違っていて……でも、石はそのまま使いたくて……分かるかしら」
「もちろんです。流行は時代とともに変わりますが、宝石は受け継がれるべきものですから」
「私の好みを知っていただければ、ジャンニ様も新しい宝飾品を考案しやすいのではないかしら。よろしければ徒弟でいらっしゃるあなたに、手持ちの宝飾品をお見せしたいのです。近いうちにいらして下さいな。今晩でもよろしいのよ」
「えっ?」
女は窓枠に軽く手を乗せ、赤い屋根瓦の街並みを見下ろしている。
「今晩は、館には私だけです。おいでになるなら宝飾品をご覧に入れますわ。どれも価値あるものです。きっと、今後の修行の役にもたちますよ」
彼女の夫は広間から姿を消していた。ミケランジェロはうわずった声で、では必ずうかがいます、と呟いた。
「お待ち申しあげておりますわ」
艶やかな笑み。
遠ざかる女の後ろ姿を見つめていると、争うような声が聞こえてきた。
ジャンニ親方の声だった。
*
駆けつけると、そこにジャンニ親方がいた。窓辺にいる長身の若い男につかつか近づいていく。
「話があるんだけどね、公爵閣下」
フィレンツェ公爵コジモ・デ・メディチについて、ミケランジェロは多くを知らない。
武勇で名声を馳せた傭兵隊長の一人息子だが、先代の公爵が死ぬまでは狩猟に明け暮れる毎日を過ごし、政治の表舞台に立つことがほとんどなかった人物だ。
振り向いてジャンニを見下ろした。26歳になるはずだが、薄い髭を生やした顎には少年っぽさが残っている。機嫌が悪そうだ。
「こちらもお前を捜していた。のこのこ出てきてくれたおかげで手間が省けた」
「捜してた、だと? 笑わせるな! うるさい家老を毎日のようによこしやがって、こっちは迷惑千万だ。ぴいぴい喚くかと思えば今度は兵をよこしたそうじゃないか。お前さん、どこの公爵だか知らないが、ふざけるのもたいがいにしたほうがいいぜ」
職人たちはジャンニの暴言に肝を潰して立ちすくんでいる。
ピエルフランチェスコ・リッチョ氏が駆け込んできた。ジャンニは、今度は彼の胸ぐらをつかんだ。
「きさま、うちの徒弟になにしやがる! ミケランジェロをどこへやった?」
金箔師とその助手がジャンニを背後から抱え込むまで、宮廷執事は揺さぶられて顎をがくがくさせていた。
解放されると、リッチョは顔を真っ赤にして叫んだ。
「このたわけが! 恩を忘れたのか?」
「へえ、なんの恩だい?」
「コジモ様の前に出られるようにしてやっただろうが! 身の程をわきまえろ、無礼なやつ、薄汚い職人風情のクソ野郎めが」
「フィレンツェ公爵の教育係ともあろうお方がクソなんて言葉を使うもんじゃないぜ。無礼なのはどっちだい、リッチョさん。あんたはなんにも知らない徒弟をおれの代わりに連れて行かせた。ミケランジェロを返さないなら幾らでも薄汚いクソ野郎の真似をするからな」
「兵をやったのはお前が盗人だからだと言えば満足か?」
と、公爵が言った。あきれたような顔だ。
「ジャンニ・モレッリは私の宝石を持って逃げたという噂が届いている。少しは申し開きしたらどうなのだ」
「おれがとんずらしないでフィレンツェにいるのが潔白の証だとは考えなかったのかい。あんたのルビーはちゃんとある」
どういうわけか、ミケランジェロには親方の顔が少し自信なさげに変わったように見えた。
「一番頑丈な戸棚に入れて鍵をかけてある。泥棒が入らないよう、夜も明かりをつけて見張りに立ってる」
「なら明日、それをここへ持ってこい。ピエルフランチェスコはお前を絞首台に送るべきだと言ってるが、もしルビーがなかったらその通りになるぞ」
「おれは裁判官なんだよ、公爵閣下。工房にいると八人委員会の役人が呼びにくる。いつ仕事に手をつけろってんだ?」
「必要なことは取り計らうと言ってるではないか。八人委員会の件は、差し障りがあるならそう言えばよかったのだ。お前がもう煩わされないようにしてやろう。それで異存はないな?」
ジャンニ親方は少し考えていた。
「解任するっていうなら待ってくれ。大聖堂の件はラプッチから聞いてるだろ? やつは修繕に関わる石工が下手人だと考えてるらしいけど、見当違いもいいとこだ。エネアの息子まで殺されそうになったんだよ」
リッチョ氏が失笑をもらした。
「それ見たことか、この邪な彫金師め。閣下、ご覧になりましたか? 仕事ができないのは八人委員会のせいだと言い、任を解いてやろうとすればそれを断る。この男は嘘と言い逃れの王なのですぞ」
「あんたと並んだら見劣りがするけどね」
臣下の言い争いにうんざりしたのか、公爵は踵を返してしまった。
「うちの徒弟はどこにいる?」
公爵はミケランジェロには話しかけようともしなかった。酷薄そうな目で鋭く睨んだだけだった。
「お前の徒弟なら、ここにいるじゃないか」
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