第6話
時間の流れに身を任せるだけの一日だった。動かしたいように唇を動かしてものを言い、求めるものに歯止めをかけないように腕を伸ばし食卓の料理を引っ手繰った。アルコールが理性の蓋を軽くして、呑気気ままな本能の言葉を引き出す。あまり酔うと一平がうるさく言うので、二人は時折、水を挟みながら、潮風と一緒にその時間を味わった。
朝が昼間になり、昼が赤く染まり夕方、そして月が浮かぶ夜へと様変わりしていく。親子は友達のような距離感で、一ヶ月の報告をしていき、その感想を述べ合った。
帰りの時間が迫ってくると、少しの名残り惜しさがお互いの間に芽生えるが、もう慣れた感情である。離婚してから十七年間ずっとこの感情に付き合ってきた。
アルコールを摂取しているのでやって来たときのように車を運転することは出来ない。
「歩こうか」
「うん」
いつもの事だった。親子は連れ立って夜の街を歩いて、駅へと向う。五センチくらい浮遊しているような酩酊感が、足取りを軽やかにした。来る前はもっと色々訊きたいことがあったような気がしたが、一体それが何だったのかもう思い出せないし、それで良いとも思う。
「彼は喫茶店で何してたんだろうね」
「さあ」
母の質問に娘はそう答えた。「今度聞いて見るよ」
一人でボードゲームをノート片手に研究していたなんて言えなかった。きっとそんなことを言ったら母は彼を子供っぽく思うだろう。そしてこう言うのだ。「男っていつまでも子供だから」と。
なんだかそんな風に扱われるのが嫌だった。仮にそう扱われたとしても、違った魅力を伝えた後が良かった。
「で、いつだっけ? デートは」
「来週の金曜日」
食事をする約束をしていた。どちらともなくやり取りをしているうちに自然とそうなった。
「いいなあ、なんだか」
佐奈の頬は少し赤く染まっている。もう駅はすぐそこだった。二人の時間はあと僅かで終わってしまう。
駅が近づくにつれて、軽やかだった足並みが遅くなるのはいつものことだった。離婚して佐奈が出て行ったときは、自分が捨てられたのだと思ったが、彼女の生き様を見て行く事でそこにあった恨みのような感情は、別のある種の尊敬のような感情へ置き換わっていた。
「自分だって独りじゃん。自由じゃん」
「まあそうだけどさ、若いときとはやっぱり違うよ。歳を取るって嫌だね」
佐奈は自虐的に笑う。「楽しめるのは今だけだよ」
「みんなそう言う。お父さんもそう。今のうちだぞって」
「そりゃそう言うわよ」
「本当にそうなの?」
「そうだよ。大人になると面倒なことも多い」
「あたし成人してるんですけど」
「学生でしょ? 子供だよ」
もう駅だった。モノレールがホームに入るのが見える。その便はやり過ごして、次の便に乗ることになるだろう。
「じゃまた」
「うん。またね」
改札の前で、いつも通りの別れをした。改札を抜けてから一度、怜奈は振り返る。笑顔の佐奈がいた。幾分歳を取っているが、その顔はやはり怜奈に良く似ている。
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