Epizodo 20

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「おお、似合う似合う」


「……あ、ありがとう……ございます……」


 部屋に案内した同じ女の人に着せられた服は、ネィジョが今まで経験した事のない肌触り。


 長い裾は何段も布の波を作り、長い袖は躰の芯から温まる。


 見た事もない純白。聞いた事もない可憐な衣装。大きな鏡を見た時、ネィジョは誰が映っているのか分からなかった。


「ふふ、良かったわね」


 着せてくれた女の人が、耳許で囁く。


 白い翼。背が高く、髪も長い。伸びた手足。何より、美しい顔立ち。


 この人の隣に立っている事が、恥ずかしくなるくらい。


 綺麗な声音に、どう反応していいのか――分からない。


「……はい」


 思い返せば、この家に帰ってきた時も――沢山の女の人が出迎えた。


 確かに、皆が人間ではなかった。しかし、そんな事は些細な問題だと思えるほど――誰もが美しかった。


 家が美しければ、住む人も美しい。だから、ネィジョは買われた。美しい人が、美しい手を汚さない為に。汚い奴隷が買われた。


「……」


 エスペロが優しいから、勘違いしていた。それこそ、恥ずかしいくらい。


「ご苦労、ミドゥ。下がっていいぞ」


「はい、エスペロ様」


 威厳の籠った口調。恭しく頭を下げる女。ネィジョの手の届かない絵物語の世界。


 胸が痛くなった。理由も分からないのに。


 女の人が部屋を出る――と、突然ネィジョの視界が高く広がった。


「ふぇ……っ」


「やっぱり似合うね! 美しいだけじゃなく可愛い! 流石僕の友人だ。我が事のように誇らしい!」


 ネィジョの脇に手を入れたエスペロが、持ち上げたまま躰を回す。


 ぐるぐる。


 グルグル。


「あ、あの……っ」


 目が回るとか。本当に人が変わるとか。先まで胸に押し寄せた寂寥感とか。そんなの、どうでもよくなるくらい振り回された。


「あ、ごめん。つい」


 寝台の縁に下ろされ、飛び散らかった焦点を何とか瞳の中心に引き戻す。


「大丈夫?」


「……はい」


 吐き気を抑えて頷く。


「そう。よかった」


 そう言って、隣に坐ったエスペロが笑う。


「……」


 思わず見惚れる視線を、私は奴隷と何度も唱えて引き摺り戻す。


「あの……。それで、わたしは何をすれば」


「〝何を〟って?」


「仕事です。奴隷の仕事」


「奴隷の仕事かぁ」


「はい」


「ないな」


「え――っ」


「奴隷の仕事はない。でも、友人として是非頼みたい事がある」


「……頼みたい事、ですか?」


「ああ。話を聞かせてほしい」


「話? でも、わたしは話して聞かせられるほどのものは何も……」


 寒村の畑仕事を聞きたがる人なんて、存在しないだろう。


「何でもいい」


「何でも……」


「何でも、と言われても困るか」


「はい……」


「じゃあ、どこで育った?」


「名も無い村です。小さな村。わたしも、畑仕事をして育ちました」


「ほう、畑仕事。興味深い」


「……え?」


「実は、初めて畑を見た時から作りたいと思っていたんだ。経験者がいれば心強い」


「そう、なんですか」


 改めて、変な人だと思った。


「ああ。その時は頼む。しかし、どうして村を出て奴隷に?」


「……税が上がって。食うにもお金にも、困って……。わたしが、一番高く売れるって」


「そうなのか。村は救われたのか?」


「分かりません……」


「……ヒトは田を耕し、肉を狩って生きると聞いた。勇者も、肉の味を知らない人生に生きる価値はないと言っていたほどだ」


「……ゆうしゃ?」


 余りにも場違いな単語に思えて首を傾げる。


「ああ、うん。僕の友人だ。狩りは楽しいし肉は旨いと大絶賛だった。そうなのか?」


「どう、でしょう? わたしは狩りをした事がないので」


「その細腕じゃ無理だな」


「はい。お肉の味は、香辛料を使えば格段に美味しくなると聞いた事があります」


「ほう、コウシンリョウ。……そうか、うん。こうしんりょう……」


「……あの、エスペロ様?」


「なぁ、ネィジョ」


「はい」


「〝コウシンリョウ〟とは何だ?」


「お肉に香りと味を付ける物らしいです」


「……ん? だったら、肉の味はどうなる?」


「……分かりません。ごめんなさい」


「いや、謝らなくていい。だが覚えておこう。コウシンリョウだな」


 楽しそうに頷くエスペロは、子どものようで――ネィジョは、自分でも知らない内に笑みを浮かべていた。


「他にも、ネィジョには色々と頼みたい事が沢山あるんだ」


「はい。わたしはエスペロ様の奴隷ですから、何でもします」


「いや、そういう言い方も止めて……何か、嬉しそうな顔で言うな」


「……え、――え? そ、そんな顔……してますか……?」


「ああ。奴隷って、ヒトの基準で言えば〝嬉しい〟事なのか?」


「そ、そんな事は……ない、かと……」


「そうなのか。だったら、そういう言い方は今後一切止めてくれ。正直不快だ」


「……はい」


「僕は、ネィジョを友人として扱っている。そのつもりだ。食い違っていたら申し訳ないが、そう思っている事だけは忘れないでくれ」


「……はい」


「うん、よし。――あ、そうそう。ネィジョには僕の部屋で寝てもらうから」


「……はい。……――……え?」


 たっぷり十数秒――ネィジョの思考は停止した。


「え、な……え……? ど、どうして……」


「一言で言えば、それが一番安全らしい」


「あん、ぜん……ですか?」


「ああ……。それだけ、私は長く眠っていた――という事だ」


 エスペロが〝私〟と言う時は、哀しそうな顔が多い。出逢って一日も経っていないのに、どれだけ顔を見……て――


「……~~っ」


「ん? え、どうした?」


 目にも留まらぬ速さで、両手で顔を覆ったネィジョが俯く。朱い耳は見慣れたもの。


「な、なんでも……ないです……」


 勢い良く横に振られる頭は、明らかに〝何でもない〟ものではなかった。――が、本人が言うならエスペロも追及はしない。


「ものは序でだ。寝床も一つだけだし、他の話も聞かせてくれ」


「あ、あの……わたしは、別にどこでも……」


 顔を上げたネィジョは、それでも視線を逸らしながら小さな抗議を試みる。


 しかし、


「僕と一緒は嫌か?」


「……あ、ぅ……そういう、わけ……じゃ、いや……はい……。お願い、します……」


 大人なのに子どもらしい表情は卑怯だ、とネィジョは思わずにはいられなかった。


「よかった! それじゃあ、次は畑について詳しく……――」


 しかし、その先が――本当の予想外だった。まさか、朝まで根掘り葉掘り畑話を聞かせる破目になるとは……。


「なるほどなるほど。じゃあ――」


 もう寝かせて! 一緒の寝台で寝るのが恥ずかしいと思っていたネィジョは、既に過去のものとなっていた。

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