Epizodo 19

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「……なに、この家……」


 白い翼が生えた女の人……? に案内され、ネィジョは大きな部屋に足を踏み入れた。


 目の前に広がる物全て眩しく、寒村育ちの語彙では言い表せないほど綺麗な世界。人の住む場所とは思えない。


「……まぁ、人じゃなかったんだけど……」


 帰る。そう言われ、ネィジョは街の屋敷か何かに帰るのだと思った。しかし、エスペロは街を出て――その背に翼を生やした。


 そして、そのままミセスとネィジョを抱え――空を飛んだ。


 その後も湖を割ったり穴に落ちたり――今までの常識が覆される事態に遭遇した。


「……わたし、これからどうなるんだろう」


 若く美しい女の奴隷は、その末路は総じて男の〝玩具〟。どのように扱われるか、どのような男に買われるか。ずっと傍で見てきた。


 しかし、それは〝人間〟の場合。人間ではない何かに買われた奴隷を、ネィジョは見た事も聞いた事もない。


「……食べられるのかな」


 第一印象から、エスペロは変を通り越して変だった。それでも、見た目は普通だった。


「……普通より、ちょっとかっこいいのかな……」


 言っても、その程度。まさか、翼が生えるなんて夢にも思わなかった。


 そして、今も尚――夢は続いているような気がする。


「……どうしよう。どこにいたらいいのかな……」


 白くて金色が眩しい、とっても広い部屋。村人が全員住んでも問題ないだろう。


 高い天井には透明な石が山のように繋がり、そこから光が溢れている。


 見た事もないほど長い椅子は、目に分かるほど柔らかそうで――同じく大きな寝床も、躰が沈んでしまうのではないだろうか。


 他にも、母が使っていた物より大きく綺麗な鏡。花が描かれた入れ物。大量の書物が収められた棚。


 ネィジョが指一本触れただけで汚れそうな物ばかり。白い石の床も汚さないように、足の先で爪先立ち。


 扉の傍から、一歩も動けない。


 それから、時計の短針が一周した頃に――エスペロが部屋に入ってきた。


「あぁー……もう、トリアドの話なっが――うわっ……! な、なにしてるの?」


 入口傍で、爪先を赤くしてプルプル震えるネィジョを見――驚いたエスペロは足を半歩引いた。


「……あ。……お帰り、なさいま――きゃっ」


「おっと」


 下げた頭を、そのまま床まで落としそうになったネィジョを慌てて抱き支える。


「大丈夫?」


「は……はい……」


 ネィジョはエスペロから離れようと腕に力を込めるも、肘は震えるばかりで伸ばされる事はなかった。


 そのまま、寄り添う形で小さな躰を預けてしまう。


「で、何してるの? こんな所で。まさか、ずっと此処で待ってた……とか?」


「……はい」


「椅子にでも座ってればよかったのに」


「……あ、う……それは……」


「それは?」


 俯いたネィジョが、耳まで朱く染め上げて言葉を紡いだ。


「よ、汚して……しまいそうで……」


「……はぁ?」


 その恥じらい――エスペロには、微塵も伝わらなかった。チラリと見上げた表情から、ネィジョは悟る。


「……ああ。広くて落ち着かないって事か」


「……それも、あります」


「分かる分かる。広いと落ち着かないよね」


 うんうん、と頷くエスペロは――そのままネィジョを抱き上げた。


「きゃっ……」


 驚いたネィジョはエスペロの首に強く腕を巻き、次の瞬間に慌てて解いた。


「ごっ、ごめんなさい……っ」


 再び俯くネィジョの顔は、先ほどから紅潮が引かない。


「ん? 別にいいよ」


「……あの」


 そういえば、とネィジョは恐る恐る言葉を続ける。


「何か、雰囲気……変わりましたか……?」


「ああ、うん。ネィジョの前なら、気を張る必要もないしね」


「え?」


 言葉の意味が分からず、小首を傾げた。


「求められれば、魔王でも何でもやる。でも、疲れるものは疲れる!」


「……はぁ」


「だから、ネィジョが来てくれて――実際、本当に嬉しいんだ」


 膝裏と肩を抱き抱えられ、硬い男の人の胸に身を寄せ――見上げる笑顔は、ネィジョの心を強く縛り付けた。


 その鎖を解こうと、心臓が強く鼓動する。そのどきどきが伝わらないか、ネィジョの心は更にドキドキと脈打った。


「大体、物は汚れるものだ。気にしてたら、何もできなくなるぞ」


 エスペロはネィジョを寝台の縁に坐らせた。離れる温もり。思わず、目で追ってしまう。


「ん? どうした?」


「……え、あ……っ。な、なんでもない……です……!」


「そう? にしても、足先で立って待つのがヒトの流儀なのか? 真っ赤じゃないか」


 ネィジョの両足を両手で包み、エスペロが呆れた声を出す。


「あ、あの……汚れます、から……」


 もはや赤く熟れた林檎のネィジョが、膝を閉じながら訴えた。


 実際、ネィジョは街から裸足のまま歩いてきた。人々が行き交う石畳の上。馬も歩く土の上。小石を踏んで、血が出ているかも。


 汚い足。触られるのは恥ずかしい。特に、エスペロに触れるのは怖いとも感じる。


「確かに、汚いままは嫌だよな。空の風は寒かっただろうし、湯浴みでもするか」


「……え?」


「僕も今まで水浴びしか知らなかったけど、水を温めるだけで全然違うんだ。知ってる?」


「いえ、あの……」


「これが気持ち良いんだ」と言い、エスペロは再びネィジョを抱き上げた。


「あ、あの……っ」


「ん?」


「……一緒に、その……するんですか……?」


「ああ、大丈夫だよ。無駄に広く作ってあるから、あの浴室。ホント、何もかも広くてね……。だから、一人だと寂しいんだよ」


「さ、さみしい……。……あ、いや……問題は、そういうことじゃ……っ」


「問題? 何かあったかな」


 とぼける様子のない思案顔を見、ネィジョは一度の深呼吸の後に――ゆっくりと口を開いた。


「その……は、恥ずかしい……ので……」


「恥ずかしい? 何が?」


「うっ……。う、あ……その……エスペロ様に、は……は、裸っ……を、見られるの……が、です……」


「うん? だから、何で?」


「……だって、わたし……なんか……」


「何を気にしてるのか分かんないけど、前も言ったじゃない? ネィジョは美しい。何も恥じる事はないよ」


「ぅ、あ……そ、そういうことじゃ……」


「何も気にする事ないさ。さ、行こう。実は、結構好きになったんだよね」


「……~~っっ」


 エスペロの発言は全て、自分の心臓を壊す為のものなのではないだろうか――と疑ってしまう。それほど、ネィジョの心は悲鳴を上げていた。


 奴隷として最低限の食事しか与えられず、空の旅で体温を奪われ――更に自ら爪先立ちで体力を減らしたネィジョは、疲労困憊。


 浴室ではエスペロに服を脱がされ、全身を隈なく洗われ――浴槽に入る前から、躰が熱で火照ってしまっていた。


 それらの記憶は、浴室から出た後――心の奥底へ厳重に封じられた。

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