Epizodo 11

  ▽


「ドウシタ、怖気付イタカ?」


 赤山の暴鬼と成り果てた収税吏――ボリスがエスペロを嘲笑う。


「……初めて見る。――ミセス」


「……、はい。御武運を」


 退避するミセスを庇う位置で、ボリスは初めて目に見る〝鬼〟と対峙した。


「来ナイナラ、コッチカラ往クゾッ!」


 グッと腰を落としたボリスがダンッ――と地面を蹴る。音が漸く追える速度。エスペロの頬を撫でる風が同時に大地の悲鳴を届けた。


「死ネェッ!」


 巻き上げた土煙を背景に、大人の頭と同等の拳が迫る。必殺の一撃。エスペロは躰を右に流して避けた。


「ッダラァァ!」


 拳撃を躱されたボリスは必殺の気勢を軸足に込め、素早く身を翻す。そして、回転の勢い一閃――鋭い足刀を繰り出した。


 しかし、その蹴撃も片手で往なされる。


「チッ。ウラァッ! ッラアァ!」


 腰溜めの正拳。踵落とし。エスペロの長い黒髪に伸ばした右手が躱され、左手の囮にも惑わされず――。


「……クソガッ! ウアアラァァッ!」


「……」


 正に鬼気迫るボリスの攻撃を、エスペロは冷静に躱して往なした。


「ッンデ当タラネエンダッッ!」


「勇者の剣は、振りが少ないんだ」


「……ンダァ? コノッ、相変ワラズ訳ガ分カラネエ事言イヤガッテ!」


「予備動作が少ない。此方が息を呑んだ瞬間を見極めて剣先を刺す。そもそも、攻撃の度に視点を揺らさない」


 ボリスの右拳を躱し、続いて突き出された左拳に右手で円を描いて往なす。


「ほら、また動いた。右・左・左・右。視点を動かせば攻撃も点になる。相手の目を見て動き、視線の中に攻撃の線を隠す」


「……クソッ! ラッ、アァッ!」


「そうすれば」


「ダラッ! ウオラ――ナッ……!」


「相手は攻撃を読み辛くなる」


 ボリスの何十発と打ち込まれた拳を全て躱し――エスペロは一瞬の隙を突き、彼の背後に背中合わせで回り込んだ。


 そのまま大地を踏み抜いた衝撃で、小山の如き巨躯を飛ばす。


「バカナ……ッ」


 対してボリスも兵。地面を右手で弾き、宙で態勢を立て直して着地。それでも、二の足を踏み込めなかった。


「……貴様、何者ダ……」


「かつて、人類最強だと豪語する人間に十九回負けた――ただの傭兵だよ」


「……タダノ、傭兵……ダト……? フザケ――「ふざけんな、と言いたいのは私の方だ」


「――ッ」


 言葉を遮られたボリスの動揺した視線が、エスペロの背後に流れる。


「そう。その動き。……で、誰?」


 汗一つ滲まない頭で振り返り、エスペロは首を傾げた。


 先ず、目に入った金髪。眩しいほど日の光を反射している。次いで、小奇麗な外套が映える長身。整った顔立ち。


 その背後には、数人の部下達を連れている。


「……収税吏の服」


 袖や裾を金糸で彩られた服装は、嫌でも脳に焼き付いていた。


「何をしている、ボリス。今回は、様子を見るだけで良いと言われた筈だな?」


 怒気を孕ませて男は言う。


 しかし、ボリスは悪怯れる様子もなく胡坐をかいた。


「オ前ハ甘インダヨ、トリスタン」


「加減を覚えろ、と言っているんだ。ボリス」


「……」


 エスペロより背の高い二人が、彼の頭上を飛び越えて視線を激しく交わす。物凄く、気まずかった。


「……いいから、先ず〝石〟を取り出せ。取り込まれるぞ」


「オ前ニ言ワレナクテモ分カッテルヨ」


 左手の爪を立てたボリスは、自身の右胸に突き刺した。そのまま胸の肉を抉り、開けた穴に右手を突っ込む。


「……グ……、ク……ッ」


 グリグリと手首まで捩じ込んだ右手を――やがて取り出し、その拳には呑み込んだ筈の赤い石が握られていた。


 石を取り出したボリスの躰は徐々に縮まり、元の大柄な肉体が日に焼けた肌色と共に顔を見せる。


 その躰は、どこにも異常が見られなかった。黒い精霊術の光も、今は石から数粒が零れる程度に収まっている。


「……」


 その様をジッと観察していたエスペロに、新たな収税吏――トリスタンが声を掛けた。


「君は、傭兵か?」


「ああ」


「そちらも?」


 エスペロに駆け寄ったミセスを目で指す。


「そうだ」


「……ふむ」


 トリスタンが考え込む横で、立ち上がったボリスが彼の部下から外套を剥ぎ取る姿が見えた。


 そのまま何事か命令し、部下達は駆け足で村を出る。


「……ん? 何だ、どうした」


「オレ様の部下を回収させに行かせたんだよ」


「回収?」


「ああ。アイツの」と、エスペロを顎で指し「錬金術でな。どっかに飛ばされた」


「〝どっか〟って、お前」


「アイツは河原とか言ってたからな。河原に行かせた」


「……ハァ。まぁ、それはいいだろう」


 いいんだ、とエスペロは口の中で呟いた。


「しかし、錬金術まで使えるとは……」


 トリスタンの双眸に、確かな興味の光が宿る。


「外見良し。才能良し。――これは、望外の幸いかもしれん」


「おい、オレ様の手柄だぞ」


「負けた口で何を」


「なッ……! まだ負けてねえ!」


「〝石〟を使っても圧倒出来ない相手だぞ。脳まで筋肉が詰まっている訳でもないだろう」


「……チッ」


「ああ、あと――袋詰めの娘達も置いていけ」


「ンだと?」


「言っただろう。お前は加減を知れ。男は働き手。女は産み手だ。何でも彼でも、ヤって殺せば良いってモンじゃないんだ」


「……ったく、どうせ運ぶヤツがいねぇんだ。置いてくさ」


「賢い選択だな」


「チッ」


 忌々しく舌打ったボリスは、さっさと村を出ていってしまった。


「――さて」


 そして、トリスタンの声がエスペロ達に向けられる。


「君達、何故傭兵に?」


「……」


 何と答えるべき――か。エスペロが真偽の間で揺れている所へ、ミセスが前に歩み出た。


「お金の為です」


「無難な回答だ。それだけか?」


「それ以外に何が?」


「その美貌だ。稼ぐ手段は幾らでもあると思うが?」


「ええ、そうでしょう。ですが、これも仕方ない事なんです」


「仕方ない?」


「ええ。だって、そうでしょう? この私を買える人間がいるとでも?」


「……ふ――っはっはっはっは! そうか、そうか!」


 トリスタンが愉快な笑い声を上げる一方で、エスペロは目を白黒させていた。


 ……めっちゃ饒舌やん。


「しかし、そうか。金さえ積めば良いのか?」


「それは、私の決める事ではありません」


「そうか。――では、……あー。申し訳ない。私の名はトリスタン。ヴァレリアンの家名を戴く者だ」


「僕はサジューロ。此方が……――「……、メスィと申します」


 ミセスの偽名を知らず口籠ったエスペロに、彼女の助け舟が入る。


「サジューロ……。古風な名前だ。だが、良い名だな。体を表している。メスィ――彼女は、同郷の者かな?」


「……」


「いや、失礼。傭兵に身元を尋ねるのは無粋だったな。――所で、御二方。今から時間を頂戴出来るだろうか?」


「理由を聞きたい」


「素直な人だ。いいだろう。――と言っても、大した事じゃない。私達のパトロンに会って欲しいのさ」


「パトロン……」


 つまり、ボリスやトリスタンを従える者。


「会えるなら、是非」


 少なくとも、街一つ統べる者。この村を治める者。


 統治者ならば、その胸に抱く理想を追い求めている筈――。


 世界を見極める――その第一歩としては、申し分ない。

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