Epizodo 8
▽
「それでは――『いってらっしゃいませ』
ミューヌ達に見送られ、エスペロは地下の大鍾乳洞から地上に出た。
地上への出入り口は〝父なる大樹〟の根元。丘が如く盛り上がった根山の影に広がる湖。
周囲は深い森に囲まれ、馬で二十日の距離に漸く人里が点在する。
「……ああ」
エスペロは、若干の放心状態で言葉と踵を返した。
その理由は、先に出た地下の大鍾乳洞――その光景が原因。基本が根暗なエスペロには、眩し過ぎる世界だった。
正に〝理想郷〟ユートピア。そんな場所で暮らす姿を想像し、道中吐き気を催したほど。――それほど、昔のマイルームとは違った。
「……大陸の片隅で暮らしたい」
勉強で疲弊した心から、エスペロの本音が零れ落ちる。
しかし、折角勉強した言葉。折角だから使いたい。エスペロの貧乏性が、外の世界に足を向けた。
「ミセス、今日は宜しく頼む」
今回、エスペロに付けられた護衛は鵺姉妹の六女ミセス。
「……、はい」
ミセスの第一印象は、その言葉を聞いて分かる通り〝寡黙〟だった。
身長は姉妹で二番目に低く、ミューヌより少し高い程度。明るい緑髪は前髪を切り揃え、白い肌に黄彩の瞳が煌く。
エスペロと同じく旅装束に身を包めば――一見して魔族には見えない少女。だからこそ、今回の護衛に選ばれた。
「じゃあ、ちょっと飛ぶけど」
最も近い村まで、馬を走らせても三週間の距離。魔族と言えども、踏破出来る距離ではない。加えて半分以上は森の険しい獣道。
飛ぶ。それが最も効率的で楽な移動手段。しかしミセスに翼はない。事前の話し合いで、エスペロが抱えて飛ぶ事が決まっている。
「…………」
「……ミセス?」
布地を切り取った背に大鷲を超える黒翼を生やし、エスペロが準備万端とミセスを振り返った。
「…………」
しかし、先からミセスの反応がない。顔はエスペロを向いているようだが、その視線は彼を貫通しているように思える。
「……ミセス、さん?」
無表情。無反応。見目が美しければ美しいほど、無の恐怖感が増す。エスペロは思わず素で敬称を付けてしまった。
「……すぅ、……はぁ。……、エスペロ様」
「あ――、はい」じゃない、と小声で呟いて「何だ」と慌てて言い直す。
「……、宜しく……お願い致します」
カラクリ人形を思わせる様子で、ミセスが華奢な両腕を持ち上げた。
「……ああ」
もしかしたら、本当に人形かもしれない。魔族の多様性を思い描き、エスペロはミセスを抱え上げた。
お姫様抱っこ。ミセスは、やはり直角的な動作で首に腕を回す。
「落としても拾うけど、しっかり掴まってて」
「…………」
「……ミセス?」
「……、はい」
ワンテンポどころかツーテンポ以上遅れる反応に心配しつつも、エスペロは遠慮なく土を蹴り抉って飛翔した。
眼下を流れる森の色は、見慣れた光景と何も変わらない。臭いくらい鬱蒼と広がる緑は、エスペロに安心感を与えてくれる。
世界の平和。大陸の平穏。思い描いた夢が広がる大地――この森の先に、希望の光まで見えるようだった。
「……綺麗だ」
ポツリと漏れた言葉に、ミセスから反応はない。しかし、その表情に一片の影が落ちる。エスペロは気付かなかった。
久しく忘れていた空気の味を胸一杯に溜め、気付けば視界の端に人里が浮かび上がる。
「あれか?」
「……、はい」
「よし」
ミセスに確認を取ったエスペロは、人目に気付かれないよう傍の森へ降りた。
黒翼を背に収め、エスペロの乱れたマントをミセスが正す。
「ありがとう」
「……、いえ。職務ですから」
漸く聞けた二の句は、ミューヌと似た事務の響き。似通った性質は、身長だけではないらしい――とエスペロは苦笑を浮かべた。
「……それじゃあ、行こう」
若干の緊張を孕み、両脚を叩いて鼓舞したエスペロが歩き出す。ミセスも、音もなく後に続いた。
村に近付けば、耕された田畑の濃い茶色が目に映る。初めて見る人間の営み。エスペロは足を止め、しゃがみ込んだ。
「これが畑か……」
「……、はい。収穫を終えた後の畑です」
「……つまり、畑のモノを取った後?」
「……、はい」
「そうか。是非とも、取る前も見てみたいな」
「……、雪風の時季を越えたら見られます」
「おお、それは楽しみだ」
エスペロが笑顔を浮かべる。本来は道端の草花を愛で、気付いたら一日を終えるような性格。農耕生活は、昔から興味の種だった。
「――おい」
エスペロが土を掌に載せて弄っている所に、高圧的な声が降ってきた。
見上げれば、薄汚れた鎧姿。所々が凹み、手に持った槍の穂先も刃毀れが目立つ。
大柄だが全体的に貧相な男。釣り上がった太い眉根が、エスペロ達を訝しむ表情を形作っていた。
「あんた達、傭兵か?」
「……ああ、そうだ」
大陸の端から端まで拠点を置く便利屋連合〝ギルド〟――その登録派遣業者〝傭兵〟がエスペロ達の仮身分。
その仕事内容は、魔族の数より多種多様。言ってしまえば、依頼されれば何でもやる。
「チッ。何で傭兵がこんなところに。この辺に魔物はいねえぞ」
その大半が〝魔物退治〟らしい。
「いや。活動拠点を移そうかと思って、最近移動してきたんだ」
「あン? じゃあ帝国の傭兵じゃねえのか?」
「まあ、今のところは……一応?」
分からないので、正直に疑問符を付けた。しかし、エスペロの心配は無用だった。
「何だ、そうかそうか!」
途端に豪快な笑顔を浮かべ、男はエスペロの肩をバシバシ叩いた。
「だが、あんま帝国の傭兵はおすすめしねえ。大人しく王国か共和国に帰んな」
表情豊かに話す男は、人が好さそうだった。好機かもしれない、とエスペロも話に乗る。
「そんなに違うのか?」
「まあ、仕事の内容は変わんねえだろうがな。それ以上に印象が段違いよ」
「印象?」
「極端に言っちまえば、帝国民は傭兵が嫌いだな。まあ都民は分からんが、おれ達村民は嫌ってる」
「何故?」
「足許を見てくるからさ。帝国は兵士が巡回しないからな。魔物を退治するにゃあ、傭兵の手を借りなきゃなんねえ」
男は歯を食いしばる。
「だから、あいつ等は足許を見て値を釣り上げるのさ。おまけに最近は税率も上がって、おれ達村民は飢え死に一歩手前ってわけさ」
最後は自虐的に締めた男だったが、その顔には隠し切れない苦渋が浮かんでいた。
「……そうなのか」
エスペロは〝魔物〟という生物を詳しく知らない。トリアドやミューヌ達の話を聞く限りでは〝凶暴な獣〟といった印象。
弱肉強食の生態系で生きる以上、その被害は仕方ないものなのかもしれない。
しかし、看過出来ない言葉も聞こえた。
「税率が上がった、と言っていたが……――今、この国は戦争しているのか?」
昔、エスペロが人類と戦争を起こしていた頃の話――。
その頃、エスペロはヒトを知る為に様々な本を読んだ。知識を蓄えた。その中には、国と税の仕組も記されていた。
国とは、人々の集合体。
税とは、国を動かす血。
戦争を行えば、大量の血が流れる。戦争を続ける為には、大量の血が要る。――だから、戦時下の国は税率を上げる。
エスペロは、そう学んだ。
そして、男は『最近は税率も上がって』と言っていた。
――つまり、オルレ=アルク帝国は戦争を行っている。
エスペロの背筋を冷汗が伝った。
しかし、
「はぁ? 何言ってんだ兄ちゃん。別に今は戦争なんかやってねえはずだぞ」
男は、のんびりと言葉を返した。危機感は微塵も感じられない。
「……え? じゃあ、何で税を上げたんだ?」
「ンなもん知るかってんだ。どうせ、市長が中央に賄賂送る為だろ」
「……わいろ?」
聞き慣れない単語だった。
「……、サジューロ様」
ミセスに呼ばれ――というか、一瞬誰を呼んだ名前なのか分からなかった。エスペロの偽名。もう忘れかけていた。
ミセスに呼ばれ、エスペロは身を屈める。
「……、不義の金です」
〝不義〟悪逆。
〝金〟物々交換の代替品(主に金属)。
「つまり、悪い事か」
「……、……そうです」
ミセスは、更に一拍の間を開けて肯定する。その一拍の意味を、エスペロは考えない事に決めた。
「でも、何でそんな事を……」
エスペロが首を傾げた時――村の中央から喧騒が伝わってきた。
「チッ、来やがったか」
男が忌々しく吐き捨てる。
「来たって、誰が?」
「収税吏だよ」
男の背を追い、エスペロ達も村に入った。
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