Epizodo 6 事前準備
▽
部屋の片隅で膝を抱え、シャンデリアに煌く宝石を数えていたら夜が明けていた。
「ミューヌです」と入室の許可を求める声でハッと我に返り、エスペロは慌ててベッドに戻る。
「入れ」
言葉を発した後、エスペロの脳内に病床へ就く国王の姿が描かれた。しかし、一瞬で黒く塗り潰される。病弱は似合わなかった。
『失礼します』
扉が開き、声が幾重も重なった。エスペロの前で、ゾロゾロと魔族が立ち並ぶ。
「――っ」
エスペロは、口の端を一回引き攣らせた。心に動揺を抑え込む。向こう側から大所帯で迫られる光景は、昔から苦手だった。
「エスペロ様、紹介させて頂きます。わたしの姉妹達です」
ミューヌの左手に揃い立つ女性陣。身長も特徴もバラバラ。猫の尻尾を生やした娘から、四本の腕を持つ娘まで十人十色。
しかしエスペロの感想は、たった一言に収まる。即ち、見目麗しい少女達に注目されて辛い。それだけ。
順に自己紹介の声が響く。しかしエスペロは、その半分以上も覚えられなかった。
「……ありがとう。これから、宜しく頼む」
頭の中で顔と名前をグルグルと反芻させるエスペロは、懸命に声を絞り出した。
「それで、昨日の続きなんだが」とエスペロが言い切る前に、トリアドが柔らかく言葉を差し込む。
「僭越ながら、エスペロ様。是非とも、私の発言を許して頂きたく存じます」
「あ……ああ。構わん」
強く押す性格に、ラコンの血を感じた。思わず、エスペロは影で身構える。
「寛大な御心遣い、感謝致します」
改めて見れば、芝居掛かった態度もラコンと似ていた。
「エスペロ様〝百聞は一見に如かず〟と、申します」
「ああ」
「実際に、エスペロ様御自身の目で――世界を確かめられては如何でしょうか」
「……私自身の、目で」
――確かに。その提案は目から鱗だった。
一口に〝広い〟と言っても、作られた部屋と大地では前提が違う。広い部屋は息苦しいが、広い草原は気持ち良い。
外に出られる。とても単純で、とても魅力的な提案。
エスペロが一も二もなく頷く――その前に、拒否の声が上がった。流れ作業が如く淡々と否定する声は、ミューヌの響き。
「エスペロ様は、昨日目覚められたばかり。御身を労わって頂く事こそが、最優先事項。――にも関わらず、今何と?」
ミューヌの背後に冷たい炎が見えた。
「従僕の仕事を自ら放棄し、剰えエスペロ様御自身の足で赴けと? トリアド……、バカも休み休み言いなさいッ!」
怒気を身に纏って立ち上がったミューヌが、トリアドに向かってダンッ! と足を踏み抜く。床が、小さな足型に陥没した。
「……」
エスペロは、頷く寸前の顎を素早く持ち上げた。口も閉じる。
ネコナータも、本気で怒れば正に天変地異の有様で――その当時から、エスペロが大事に抱き続けている教訓があった。
〝触らぬ神に祟りなし〟
しかし、ラコンは一切も怯えず――延々と説教を垂れ続けていた。そして、ネコナータが根負けして怒気を収める。
それが、日常の風景だった。
「落ち着いて下さい、ミューヌ。勿論、直ぐ戻って頂きます」
「当然ですっ」
「護衛も付けます」
「当然ですっ!」
「何よりも、世界を想うエスペロ様の御心を――我々の言葉で穢すべきではありません」
「当然ですっっ! エスペロ様の世界を想う御心は、従僕であるわたし達が勝手に推し測って許されるモノではありませんっ」
「ええ。――ならばこそ、エスペロ様御自身の目で確かめて頂く。それが最善かと」
「当然で……――え?」
「エスペロ様、早速準備を致しましょう」
手際良く準備を進めていたトリアドに倣い、ミューヌ以外の姉妹も動き始める。
「え……? ちょ、ちょっとミドゥ! 手を放しなさいっ!」
「姉様、ダリア様の前ではしたないですよ」
「~~……っ! だったら抱えないで! お姫様抱っこなんてしないでっ!」
「……ハァ。煩い姉様ですね。それでしたら、エスペロ様に抱いて頂きますか?」
「……えっ? そ、それは……」
ブツブツと呟き、頬を赤らめるミューヌを――姉妹で最も背の高いミドゥが抱えて部屋を出た。その背には、純白の二枚翼。
「……なるほど」
去り際、月も花も恥じらう妖艶な微笑を向けるミドゥを見――エスペロは姉妹の力関係の一端を掴んだ。
「それでは、エスペロ様。此方へ」
「ああ」
トリアドに促されてベッドを降りる。
立ったエスペロは鵺姉妹の誰より背が高い。しかし、それ以上にトリアドが高かった。
「……デカいな」
「恐れ入ります」
あのラコンさえ、エスペロより小さかった。自分より大きな存在は、少し嬉しい。
エスペロの素直な感想に、トリアドは慎み深く腰を曲げた。
「エスペロ様。一つだけ、事前に確認したい事がございます」
「何だ?」
「エスペロ様は外見を自在に変えられる、とラコンから伝え聞いております。その姿は、少々目立ちます故」
「ああ」なるほど、と後半は内心で。
ラコンに〝生物大図鑑〟と揶揄された特性。エスペロの特技。
エスペロは――翼を生やした鵺にも、二本も三本も角を生やした鬼にも姿を変えられる。スライムでもヒトでも自由自在。
個体で、他の力を借りず――魔を全て網羅する超位生命体。その〝力〟こそ、エスペロが〝魔王〟に選ばれた理由。
「……こんな感じか?」
角も尻尾も体内に収納し、エスペロの身長が瞬く間に縮む。両腕の鱗から棘も剥がれ、綺麗な柔肌がシャンデリアの光を反射する。
エスペロの知るヒトは、勇者だけ。しかし、勇者も自分で長身の部類だと言い張っていた。
故に、今回参考に思い描いた姿はミューヌ。勇者を〝背の高い大人〟と考えた場合、害意を持たない子どもとしてピッタリだろう。
『やぁ~んっ! か・わ・い・いぃ~!』
そして完成した姿は、正しく〝子ども〟と呼べる外見だった。黄色の歓声に染まった鵺姉妹に、次々と抱き着かれる。
「やっばいエスペロ様ちょー可愛いっ!」
「あぁ~んっ! うちにも早く触らしてぇな」
「やばい……やばい……やばい……っ」
「ふむ、これがあの有名な……。実に興味深いですね」
僕も私も――と柔肌に揉まれる事、数十分。トリアドは、変わらぬ微笑を浮かべていた。
「――そろそろ宜しいですか?」
トリアドが口を開けば、鵺姉妹は『はぁい』とエスペロを解放した。
「…………」
エスペロは、もう何も言葉に成らなかった。勇者と対峙する以上の恐怖を感じた。
「エスペロ様、その御姿だと小さ過ぎるかと思われます。……ええ、ええ……その程度が人間の大人でしょう」
平静を取り戻したエスペロは、徐々に身長を伸ばし――トリアドの合格を得たサイズは、鵺姉妹の平均程度。
「髪は長いままになさいますか?」
「……おかしいか?」
黒い長髪は、エスペロのアイデンティティ。思い出の母と繋がる唯一の絆。何に姿形を変えようとも、髪だけは弄った事がない。
「いえ。ですが、ある程度結った方が違和感はなくなるかと」
「ああ、それくらいなら構わない」
「ほんなら、それうちがやってもええか?」
犬耳を立てた少女――鵺姉妹三女のミトリが、ニコニコと手を挙げた。
「どうや、エスペロ様? うち、めっちゃ巧いでぇ?」
今のエスペロより頭一個分小さなミトリが、小首を傾げて見上げる。
甘い香り。
左右に揺れる尻尾。
何よりミトリの赫い光を湛える瞳と目が合い――エスペロは軽い目眩を覚えて頷いた。
「へっへぇ。やったぁ!」
「ミトリ。服を着た後に、お願いします」
「はぁい。分かっとるって」
裸一貫のエスペロに、トリアドや鵺姉妹が旅装束を着せる。設定の関係上、荒い布を使っている――らしく、何度も謝罪された。
最後にミトリが丁寧に三つ編み――ギルドの〝傭兵〟エスペロが完成した。
「一応、偽名を使いましょう」
「偽名?」
「ええ。エスペロ様の名を知る人類は少ないとは思われますが、念には念を入れて」
「……と、言われても」
エスペロは、ヒトの名前なんて知らない。二十年も血を晒し合った勇者の名前すら、知らないのだから。
「……そうですね。――〝サジューロ〟など、如何でしょうか」
「……」
その名に含まれた意味を考え――エスペロは、内心で否定的な感情を浮かべる。しかし、鵺姉妹には大を二つ三つ付けて好評だった。
『素敵です! 正に魔王様って感じで!』
その〝魔王様〟を隠す為の偽名なのでは? と言えたら、エスペロも〝魔王様〟に成っていない。
「それでは、次に言葉を覚えて頂きましょう」
「……え?」
広い部屋――この魔王の居室には、大蛇も楽々と横たわれるソファが二つ置かれていた。対面する間には、金縁で彩られた長机。
その机上に積み重ねられた、分厚い紙の束。一番上に見える題簽には『オルレ=アルク語辞書改訂版第Ⅰ巻』と書かれている。
それだけではない。同じ装丁の鈍器――に見える本が、軽く数えても十冊超。
「……」
言葉を失うエスペロに、いつの間にか眼鏡を掛けたトリアドが着席を促した。
「どうぞ。早速始めましょう」
「……今から?」
「はい」
「折角、服を着たのに?」
「形から入った方が宜しいかと思いまして」
眼鏡の位置を微調整するトリアドの表情は真剣で、冗談には見えない。どうやら本気で〝形から〟と考えたらしい。
「……宜しく、頼む」
「此方こそ、お願い致します」
エスペロも、勉強は嫌いではない。しかし今から外出だと思っていたところに、不意打ちで本を積まれては気が滅入る。
その上、トリアドの瞳が心無しキラキラと光輝を放っている――ようにも見える。その様がラコンと被り、より一層気が重くなった。
――結局、トリアドと二人切りの勉強会は一週間続いた。
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