Epizodo 4 逃げた先
▽
ミューヌ。
トリアドミニストラント。
部屋へ戻ったエスペロは、二人の名前を胸に刻んだ。
「先ほどは失礼致しました」
ミューヌが、相変わらず機械的な所作で頭を下げる。サラサラと零れ落ちる髪を耳に掛ける動作も美しく、隙がない。
「……いや、構わない」
ミューヌの淑女然とした態度は、エスペロが知るネコナータとは似ても似つかない。
「いやはや、驚きました。ミューヌ様が酷く慌てて部屋に飛び込んでくるものですから」
「トリアド。エスペロ様の前です。御身以外の者へ敬称を付けるべきではありません」
「これは失礼致しました。エスペロ様、配慮が足りず申し訳ございません」
「……いや、構わない」
トリアドミニストラント――トリアドも、やはりラコンの血を感じさせない柔和な態度。
二人ではない。理解していた筈なのに、胸に寂寥感が押し寄せる。――と同時に、あの二人が子を成した事に改めて驚嘆を覚えた。
「あー……。その、二人に訊きたい事がある」
『何なりと』
二人が更に深く頭を下げる。
「じゃあ、ミューヌ。君は、ネコナータから数えて何代目?」
「はい。五代目です。ネコナータは、わたしの高祖母と成ります」
「トリアドは? ――ああ、私もトリアドと呼んでいいかな?」
トリアドミニストラント――と毎回呼んでいては、次に話す内容を忘れてしまうだろう。
「エスペロ様に呼んで頂けるのであれば、名は関係ありません。ラコンは曾祖父です。私は四代目と成ります」
「そうか……」
魔族の寿命は、一概に纏める事は出来ない。
スライムは数日で世代交代を繰り返す種が存在する。逆に魔族の中でも長命なドラゴンは、千年種から万年種まで幅が広い。
ネコナータは鵺族だった。獣から鳥まで、その姿は千差万別。他者から見ても、例え同じ魔族でも鵺族は同種しか見極められない。
見たところ、ミューヌはネコナータと同じ鳥系統の鵺族。
トリアドも、ラコンと同じ鬼族。一本角も同様だった。
鵺も鬼も、数百年のサイクルで世代交代を迎える。
「――確認したい。……私は、勇者に負けた。そうだな?」
「……」
「はい」
今まで打てば響いたミューヌが、今回は押し黙った。代わってトリアドが頷く。
「私は一度死んで、蘇った……。これも、母なる大地の導き――か」
例え魔族でも――ヒトと同様、死んだ者は決して蘇らない。
しかし、生命の生死は――結局は〝母なる大地〟が決める。現世で幾ら抗っても、その輪廻を乱す事は叶わない。
「それじゃあ、訊かせてくれ。私が死んで、どれだけの時間が経ったのか」
「はい。一万と三千年。飛んで、二月と七日です」
今度はミューヌが透かさず答えた。
しかし、その解答は――エスペロの予想を遙かに超えていた。
「……え――」
鵺も鬼も、長寿でも千年を超える程度。
ミューヌは、ネコナータから数えて五代目。
トリアドは、ラコンから数えて四代目。
多く見積もっても、四千から五千年だろう――とエスペロは予想していた。
「……恐れながら、エスペロ様の驚愕も当然と考えます」
チラッとエスペロの顔を覗き見たミューヌが、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ネコナータとラコンティストの家系は、彼の代から長寿が続きました。代を重ねる毎に、千年以上の単位で寿命が延びています」
「……千年?」
「はい」
「……それは、凄いね」
「……はい」
エスペロが思わず零した感想に、ミューヌは遅れて同意を返す。隣でトリアドが微笑を浮かべ、彼女はキッと睨み付けた。
――が、エスペロは気付かず二人の朋を思い出していた。あの二人、ボクに隠れて長寿の桃でも食べてたのか? と。
「かつてラコンティストは、これもエスペロ様の影響だと考えていたようです」
「……私の?」
「はい」
勿論、エスペロに思い当たる節はない。桃の育て方も知らない。
ミューヌの言葉から推察すれば、ラコンも原因の究明に至っていない。あの智謀の塊が、追加の千年を賭しても分からなかった。
――だったら、エスペロに分かる筈もない。考えるだけ時間の無駄だろう。
「……――あ、もう一つ」
「はい」
「この世界に、平和は訪れたか?」
かつて、人類と魔族は争った。
戦争。
その火種は、大陸の平原から溢れた人々。彼等は魔族の住処を荒らし、次々に同胞の命を奪った。
当然、魔族は怒った。人類へ叛旗を翻した。その旗印が〝魔王〟エスペロ。
魔族は、常に自然と共に生きてきた。
ヒトは動物を狩り、田畑を耕して生きる。しかし魔族は、風と水を糧に生きる。呼吸し、僅かな水を飲んで生き永らえてきた。
故に小さなツォンムゥニス――里社会を作り、相互過干渉を避けてきた。
魔族は、戦とは無縁だった。
戦争が始まって一年。たった一年で、魔族の半数以上が滅んだ。
エスペロが魔王として立った時、魔族の数は既に人類の一国にも満たなかった。
人類と魔族の戦争――その実状は、人類と〝魔王〟エスペロの戦争だった。
魔族は闘争を好まず、戦争を知らない。身を守る事さえ、満足に出来なかった。
だから、エスペロが矢面に立った。
ネコナータやラコンが、裏で同胞を護れるように――。
ヒトの生き血を啜り、精霊を喰らい――望まぬ力を蓄えてエスペロは戦った。
その事実を、魔族は知っている。だから、魔族は皆エスペロに敬意を示す。その根拠を知らない者は、他でもない当人だけ。
そして、エスペロが戦った理由――それは、世界の平和に他ならない。
エスペロは、ヒトも魔族も変わらない――と考えている。
共に〝母なる大地〟から生まれた生命。何も差はなく、等しく祝福されるべき存在。
――にも関わらず、何故ヒトは魔族を襲うのか。何故、共に大陸で生きる同胞へ牙を向けるのか。
エスペロには分からなかった。分かった事は、ヒトと魔族――種の違いだけ。しかし、その相違が火種と成り続けるのなら……。
『どちらか一方が滅びれば、平和が成る』
どちらか一方が表舞台を去る。そうする事で大陸に平穏が訪れるなら――と、エスペロは考えた。
勿論、選択肢は一つ。数を減らした魔族が表舞台から去る。その為の時間稼ぎ。その為の二十年だった。
人類は平和を手に入れる。そして、大陸は平穏を享受する。
全て丸く収まった――筈だった。その成果を、エスペロは聞きたかった。
しかし、
「……分かりません」
ミューヌの返答は、濁って響いた。
「……分かりませんって、どういうこと?」
「……」
「エスペロ様。本日は、目覚めたばかりでお疲れでしょう。この話は、これからの話も含めて――続きは、また明日に致しましょう」
「……分かった」
一礼して部屋を出るまで、ミューヌは一度もエスペロの目を見なかった。
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