Epizodo 3 子々孫々

  ▽


 目覚めた時、頭は鉛だった。重く、何も考えられず――。次に気付いた時には、ベッドに深く沈んでいた。


「……ここは」


 上半身だけ持ち上げ、周囲に目を配る。


 広い部屋。赤の絨毯。金糸で花を咲かせたカーテン。白地のソファも眩しく縁取られ、天井に吊られたシャンデリアは遠く高い。


「……どこだ、ここは……」


 豪華に絢爛を掛けても足りない調度品が立ち並ぶ部屋を見、エスペロは黒目を回した。


 エスペロの髪は長く、黒い。禍々しく天を向いた二本の巻角も黒く、加えて肌の色も薄めて黒い。


 全身を包む黒彩の影響か、エスペロの性格も少し暗い。人前では常に気を張っている彼の自室は、その性格を反映して暗く狭い。


 大貴族が贅を尽くして腰を落ち着ける――そんな絵が浮かぶ部屋を、エスペロは微塵も知らなかった。


「……え? ……夢?」


 現実を受け入れられず、エスペロが逃げ腰で二度寝を決め込んだ――その時、ドラゴンでも楽に通れそうな扉が開いた。


「……あ」


 一礼の後、部屋の敷居を跨いだ少女と目が合う。細い声を漏らした彼女は、暫く茫然と立ち尽くした。


 少女は小さく、ヒトの身で考えれば――親の家事を手伝う年頃。しかし、彼女は魔族。背の大きな四枚の黒翼が不是人を主張する。


 見た目は可憐そのもの。いじらしい蕾。花開く前から大輪を匂わせる可憐な蕾。


 褐色の肌に、濡羽色の長髪。スカイブルーの瞳の中には空が見えた。白いワンピースは飾り気がなく、だからこそ無垢な美貌が光る。


「……ネコナータ……?」


 エスペロの脳裏に、一人の朋が浮かんだ。その言葉が引き金と成ったのか否か、少女は弾かれた様子で部屋を出ていってしまった。


「……違ったか。まぁ、小さ過ぎるしなぁ」


 ネコナータはエスペロが最も信頼する朋の一人で、その外見は〝妖艶な魔女〟そのもの。


 しかし、見た目に反して性格は幼い。直ぐ泣くし、直ぐ怒る。直情的で直線的。オマケに空気が読めない。


 だからこそ、エスペロとは馬が合った。


「……んー……。ヤバい、記憶が……」


 何も思い出せない……という事ではないが、自身の現状に思い当たる節がない。


「健忘症、だったっけ」


 もう一人の朋が脳裏を過る。


 ラコンティスト。知識人で慧眼を持つ彼が、エスペロを〝魔王〟に仕立て上げた張本人。


 ラコンは実に面倒見の良い性格だった――が、同時に身内には厳しかった。見た目が鬼なら性格も鬼。特に、規範規律には煩かった。


 ネコナータと二人で、ラコンには何度も泣かされた。


「早くラコンに話を聞きたい……」


 序に、自分の部屋へ戻りたい。広い部屋は、小心者が顔を出して落ち着かない。


 とりあえず、部屋を出よう。実は、部屋の扉が多過ぎて――外へ繋がる道が分からず、今まで動けなかった。


 しかし、少女が開け放った扉の先には廊下が見える。磨き抜かれて光を反射する大理石の床は、やはり記憶に存在しない。


 ラコンの主導で築かれた魔王城の主な石材は、スカリブタブーロ――暗い色の粘板石。白い光沢は見た事がなかった。


「……本当、どこだろう……ここ。魔族の子がいたから、どこかの里って事は……まぁ、多分間違いなさそうだけど」


 次々に浮かぶ疑問が、不安を運ぶ。立てば大人二人分の身長を持つエスペロも、繊細な心はヒトの子と変わらない。


 分からないは、怖い。


「あー……でも、ラコンに見つかったら……うん、怒られそうだ」


『背筋を伸ばして前を見ろ! 威厳を持て! お前は〝魔王〟なんだ!』が彼の口癖だった。


「――と、言われても」


 地位を望まない雇われ魔王には辛い要求。エスペロは、三人の中ではラコンが最も魔王らしい――と常日頃から思っていた。


 勿論、思っていただけ。口に出せば、一晩丸々説得される。


 アレは辛かった。


 如何に気心の知れた朋とは言え、他人の口から聞かされる自身の過大評価は心臓に悪い。――というか、痛い。刺さる。


 そして、その翌日には――朝から気分が沈むエスペロを慰める為に、ネコナータが嬉々として姉を演じた。


「……」


 昨日まで過ごしていた筈の日常が、今は懐かしく感じる。


「……ああ、泣いてたら怒られる」


 早く二人を探そう。


 エスペロが廊下に出る――と、先ほど部屋で目が合った少女が戻ってきた。何度見ても、その姿はネコナータの幼少期を思い起こした。


 しかし、今回は一人ではない。


 少女の隣には、髭を蓄えた初老の鬼。年老いて尚、精気に溢れた顔立ち。エスペロを越える巨躯で、燕尾服を見事に着熟している。


「……エスペロ様、ですね?」


 少女が、見た目とは不相応に事務的な声を奏でる。美しい音色が、機械的な印象を更に強めていた。


「……ああ」


 問われて一瞬、エスペロは返答を迷った。素直に言えば〝うん〟と返すところだった。後でラコンに知られれば大目玉では済まない。


『相手の態度は、自分の態度で決まる。尊厳を持って接すれば、相手は自分に威厳を見て接する。相手は鏡だ。常に意識しろ』


 ラコンの教育は心に根付いている。魔王の矜持。彼が継ぐ日まで捨てられない魂の鎧。


 重い。けれど、辛くはない。


 ――対してエスペロの返答を聞いた〝相手〟は、音も置き去る速度で跪いた。


「長らく、お待ちしておりました」


「母なる大地よ、感謝致します」


 少女に続き、低く優しい声音で鬼も頭を垂れる。


「……」


 その一連の動作から――エスペロは悟った。見慣れた動き。聞き慣れた芯の声。そして、何より懐かしい匂い。


 今、気付いた……。


「……そうか。ネコナータとラコンの子、か」


『――はい』


 重ねられた同意を聞いても、エスペロは泣かなかった。


『いいか、魔王は部下の前で泣かない。何度も言わせるな』


『泣きたくなったらお姉ちゃんの胸で泣いて良いよ? ね? ほらほらっ』


 思い出が、エスペロの涙を拭った。

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