6/13 鶏の唐揚げ
『命が惜しければ、この街で迂闊に鶏の唐揚げについて語るんじゃない』
私がこの街にやってきて最初に出合った老人は、憂いのある表情を帯びながら私にそう言った。
彼はまだ元気でいるのだろうか。
それとも、奴らによって消されてしまったのだろうか。
そんな降りしきる雨のような憂鬱な感情を抱きながら、鶏肉を揚げる。
揚げるといっても油を多く使うのは勿体無いので、フライパンに1cmほど垂らして行う揚げ焼きだ。
味付けは生姜と大蒜と酒と塩胡椒と醤油と味醂。
まずは一口大に切った鶏肉を摩り下ろした生姜と薄くスライスした大蒜と酒と塩胡椒でよく揉み、30分ほど置いて馴染ませてから醤油と味醂を足してさらに揉むのだ。
ここから一晩冷蔵庫で寝かし、途中で上下が入れ替わるように混ぜてある。
これが私の考える一番美味い唐揚げの作り方だ。調味料の分量は適当だが自分が美味しいと思う量を入れれば良い。
しかし、これは『唐揚げ』ではない。
この国に住んでいる人間の9割がこれを見て『唐揚げ』と言うだろうが、そうではない。違うのだ。
これは『竜田揚げ』なのだ。
『いいか、お前さん。この街はな、いくつもの唐揚げの店があるが、実の所、ほぼ全てが竜田揚げなんだ』
『下味に醤油を用いて衣を付けて揚げると、醤油の色が鮮やかに色づく紅葉に見えるんだ』
『その事から、下味に醤油を使った揚げ物を、百人一首にも詠われる紅葉の名所の龍田川にちなんで竜田揚げと呼ぶようになった』
『衣に片栗粉を使う事で白が混ざってより一層と雅に見えるが、基本は揚げた後に色づく事が理由で竜田揚げと呼ばれている』
『この街の人間の大半はその事実を知らない。何故なら、奴らがそれを知られないようにしているからだ』
『酔っ払いの戯れ言だと思ってくれていい。だが、これだけは覚えておくんだ』
『命が惜しければ、この街で迂闊に鶏の唐揚げについて語るんじゃない』
この雨が上がったら、唐揚げを持って彼を探しにいこう。
見つからなくともいい。ただ探したい。そんな気分だ。
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