俺はお前に
うぃーど君
第1話
夕日が縁側より差し込む。
小さな庭には色々な花が咲き乱れ、見る人の目を楽しませてくれる。
俺は涼しい時はよくこの縁側に寝転がってビールを飲んだりしてるが、
基本庭の手入れは妻の趣味だ。
余り酒に強くない妻は滅多に飲まないが、それでも縁側で俺が飲んで
いる時はよく横に座って楽しそうに微笑んでいた。
何が楽しいのか一回聞いた事があるが、楽しそうに笑うだけで何も教えて
はくれなかったな。
無理に聞いてもあれなのでそのままだが、いつか理由を聞いてみたいものだ。
そう思っていると開け放たれた縁側よりどこかの家から漂う夕餉の匂いがしてくる。
「おっと、そうそう夕飯作ってる途中だったな。」
その匂いに思い出し、俺は台所へと戻る。
この家では飯の仕度は俺の仕事だ。
言っとくがうちの妻は家事はきっちり出来るぞ! ――料理以外はな。
これを言うと元からちんまりした身長を更に縮ませて申し訳ない表情を
妻は浮かべる。
それが可愛くてついからかうのだが、根が真面目だから余りやると真剣に
考え込むので一年に一度ぐらいで我慢している。
妻は結構何度も料理にはチャレンジしたのだが、どうやっても上達しないので
俺はもう諦めた。本人はまだ諦める気はないみたいだが食材が勿体無いので、
やはり一年に数度ぐらいで我慢してるっぽい。
そう言う訳で今日も夕飯作りは夫の仕事なのだが、今日はあいつの好きな
酢豚だ。
仕込みはしてあったので、さっと調理して盛り付ける。
居間に運び配膳しながら縁側に向かって呼びかける。
大体この時間、妻は庭の草花に水をやっている。
「……おーい、出来たぞー」
俺の前が妻のいつもの席だ。
「……ほんと、お前これ好きだよね」
基本、俺も凝り性だから色んなレパートリーはあるのだが、それでも妻の
ご機嫌はこれが一番高くなる。
さて、こちらも頂くかね。
俺もテーブルに座り、夕飯を食べる。今日も悪くない出来だ。
妻は好きなものほど、よく噛む。幸せだから長く味わっていたいとの事だが、
小さな口でそれを繰り返すものだから、どうしても俺の方が先に食事が終わって
しまう。
俺はそう言う時、いつもその幸せそうな妻の顔を見て過ごす。
「……そう言えば、あん時も『酢豚』だったな。」
俺はある事件を思い出して、意地悪く笑ってしまう。
妻は俺に対して察しが良いので、こう言う時すぐに気づく。
気づいて恥ずかしいのと悔しいのが入り交ざって、いつも頬を少しだけ膨らませるのだ。
ぶっちゃけた話、俺達は裕福な出じゃない。はっきり言えば貧乏だ。
ただ、もし順位があるとしたら妻は俺よりもっと酷かった。
聞けば確実に『不幸』だと思う。だが、妻はそれでも一生懸命だった。世の中の
不遇なんて気にせずに一生懸命に生きていた。
不覚と言うべきか、俺はそんな妻の姿に惚れちまった。
普通に考えて貧乏と貧乏がくっついても金持ちにはなれないし、何かしら苦労
するのは分かっていたんだが……何だかなぁ、妻の笑顔みてたら本当にどうでも
よく感じたんだ。
因みに妻は俺に惚れて一緒になった。だから、俺が妻に惚れちまった事は本人には
言わない。惚れさせた特権だ。
若干ばれてる感も否めないが俺の口から言って無いのでぎりセーフだ。
……死ぬ前ぐらいには言ってやろう。
そんな俺達が付き合って二人で生活し始めた時、本当にカツカツできつかった。
今じゃ考えられないが、肉なんて鳥でも豚でも中々口に入らなかったよ。
ある日妻が勤めていたお店で売れ残りの豚肉を貰ってきた。
今じゃ本当になんて事ないが、当時はかなりテンション上がったよ。
じゃ、食べるかってなった時に妻が明日食べようって言い出した。よく分からな
かったが別に今日も明日も大差ないのでそれじゃ明日ってなったんだ。
次の日、家に帰ると妻が大泣きして平謝りしてきた。
見ると、フライパンで元気にコゲてる豚肉達。
当時、妻の料理下手はある程度分かっていたので、正直なんで妻がわざわざリスク
背負ってまで料理したのか全く分からなかった。
怒るよりも理由が気になって、わんわん泣く妻を宥めて事情を聞いてみた。
そしたらなんと今日って俺の誕生日。貧乏暇なし過ぎてすっかり忘れていた。
妻曰く、折角の誕生日、おいしい料理を『妻の手』で夫に食べさせたかったとの事。
泣きながら途切れ途切れに言う情報を何とか統合するとそう言う事だ。
なんで『今日』なのか、なんで『リスクありで料理』したのか、答えが分かった時
俺を思った一心の事に思わず嬉しすぎて泣いちまったよ。
妻は自分の失敗に悲しんだと思って尚更泣いたもんだから、すぐにそのまま大笑い
して見せて、それからコゲた料理を何とかして味や見た目ごまかす為『酢豚』にした。
それ食って今度は妻が驚きとおいしさでまた泣いた。今度は嬉し泣きだった。
俺も違う意味で泣いていたが、飯かっ込んで誤魔化した。
それから妻は酢豚が好きになったんだ。
今日は少し日差しがきつい、そろそろ夏も近いんだろう。
もうすぐ夕方になる時分、俺は買い物に行く事にした。
庭から縁側へ声をかける。
「……買い物、一緒に行くか?」
返事は無い。だが、理由は分かっている。
「……そうだな、お前迷うもんな」
妻はかなりの方向音痴だ。
何故か気づくと道に迷っている。危なくて俺はいつも妻の手を引いて歩いていた。
買い物の時は流石に両手が塞がって、よく妻が道に迷っていた。
「……しょーがない……しょーがないな」
俺は花壇に水をやる『じょうろ』を置き、買い物に出かける。
夕日を浴びながら道を歩いていくと、買い物帰りなのか親子が楽しそうに歩いてくる。
他愛ない会話が聞こえてくる。その幸せそうな感じに思わず頬が緩んだ。
そのまま進むと人でごった返すまではいかないが、程々の活気のある商店街に
到着する。
最近は大手スーパーが立ち並んでこう言う商店街は存亡の危機と聞いたが、
中々ここの商店街は頑張っていると思う。
さて、今日は何にするかな?
献立を決めてなかったので、ちょっと思案しながら歩いていると肉屋の
声をかけてくる。
「お~、旦那、買い物ですかい?」
「ああ、だけど献立を決めずにきたから何にするか迷ってるよ」
「なら今日は麻婆豆腐、これで決まりですよ」
「なんで?」
「うちの今日の特売が豚ひき肉、後向こうのタツの店で豆腐を安くしてる。
なら麻婆豆腐にするしかないでしょ」
八蔵は嬉しそうにそう言うと隣で接客してた息子に豚ひき肉を包むように
指示を出す。
相変わらず強引な奴だなぁ。
「へい、お待ち。タツの所に行ってこの豚ひき肉見せたらあいつならすぐに
分かりますよ」
「ありがとよ。――息子さん跡継いだんだな」
俺が豚ひき肉を受け取りながらそう言うと八蔵は照れたような何とも
畏まった感じで、
「へぇ、本当に旦那のおかげですよ」
「……大した事はしてないだろ」
「いや、旦那には世話になりっぱなしで――」
「父ちゃん!」
八蔵の言葉の途中で、隣にいた息子さんが声をかけてくる。
「立って長話したら先生きついだろ! 話すなら家でゆっくり話しなよ」
「おっと、こりゃいけねぇ。引き止めてすいません旦那、上がっていきますかい?」
俺は微笑んで丁寧に断る。それから八蔵の店を後に
ビールを購入し家路につく。
夕日が落ちかけた道を歩いていると、ふと昔の事を思い出す。
昔一度だけ八蔵と辰吉のせいで妻を背負って帰らなきゃいけない事があったな。
あん時は腹が立ったが、背中の妻のあどけない寝顔を見てゲンコツ1発で許して
やったっけ?
「今は……背負えるかねぇ」
俺は自嘲気味に笑いながら自分の手を見る。
随分とシワだらけになったものだ。
昔に比べてもう体力も無い。少し動くとすぐに息切れしてしまう。
ただ、もし今妻を背負えと言われたら何が何でも背負うがね。
そんな事を考えながら、家に着いた。
「……ただいまー」
俺は妻がたまに怒る『玄関で脱いだ靴バラバラ』をしながら、台所へ行く。
「さて、いっちょやりますかね」
冷蔵庫へビールを入れて、食材を出す。
手際良く調理をし、さっと盛り付ける。今日も良い出来だ。
テーブルに配膳をして冷蔵庫からビールを取り出す。
グラスは――2個用意する。
「……たまには付き合ってくれよ」
そう言って俺はテーブルにグラスを置き、ビールを注ぐ。
「――八蔵の奴、やっと息子と仲直りしたよ」
俺はビールを煽りながら『妻』に言う。
『妻』は嬉しそうに微笑む。
「ま、良かったよ。苦労した甲斐はあったってもんだ」
苦労話はいつもつい『妻』にしていたから、多分大筋は分かってくれるだろう。
『妻』が優しく微笑む。
「しかし、あいつが息子と大喧嘩って……俺も歳を取るはずだよな」
俺は麻婆豆腐を肴にビールを飲みつつ、夕方見た八蔵と息子の顔を思い出す。
あの悪たれ小僧が家族を作り、息子が生まれ大きくなる。
ケンカするのも結局お互いに思いやりがあるからだ、良い家族じゃないか。
『妻』が少しだけ寂しそうに微笑み、消える。
俺は誰も居ない席を見つめながら、不意に何かが頬に当たったのを感じた。
自分でも気づかないぐらい唐突に、俺は泣いていた。
酒のせいかは分からない。
普段は愚痴や話を聞いてもらうだけなのに、もう……歳を取りすぎてて最近は
感情もそう高ぶらなくなったはずなのに、何故か胸が熱くなっていた。
「あれ? ……おっかしいな」
俺は慌ててゴシゴシと手で涙を拭う。
だが、拭ってる傍から止め処なく涙が出てくる。目頭がとても熱いのが理解できた。
俺は何とかティッシュを探り当てて、数枚取って顔に当てる。
しかし涙はまるで堰を切ったかのように後から後から流れ出し、数枚のティッシュ
などまるで意味がなかった。
俺はありったけのティッシュで顔を覆いながら、この突然の事が何なのか考えた。
考えて……意外と簡単に答えが分かった。
(……ああ、そうか……俺は……『寂しい』んだな)
もう大分『慣れた』と思っていた。実際に『妻』とも笑って会話できるように
なっていたはずだ。
だが、今日は何かが胸の奥から溢れ出し、制御出来ない。
俺は暫くの間その場で嗚咽混じりに泣いてから、後片づけをした。
食べかけの自分の皿と飲んだビールグラス、それからいつも通り盛ったまま
変化の無い妻の皿と注いだままのビール。
片づけが終わって、俺は今日はもう寝る事にした。
居間の電気を消して、俺は壁に飾ってある妻の遺影に視線を向ける。
そこには嬉しそうな表情に、少しだけはにかんだ顔で妻が写っている。
……俺のお気に入りの一枚だ。
「……おやすみ、
早く寝たせいだろうか、それとも久しぶりに酒を飲んだせいだろうか、それとも
妻の望がいない『寂しさ』を久しぶりに感じたせいだろうか、俺は真夜中にふと目を
覚ました。
何だろう? そう暑くもないのに寝苦しいような、何だか不思議な感じだ。
周りがシンと静まり返って、風で微かに揺れる草花の音がやけにはっきりと
聞こえる。
暫くそんな不思議な感じでいたら、突然心臓の鼓動が大きく聞こえた。
運動や興奮した時のドクドクと言う感じではない。
ドックン……
大きく力強く、普通の心音なのにはっきりと聞こえる。
ドックン……
ゆっくり、力強く、はっきりとまるで何かを報せるように……。
(ああ……そうか……俺……死ぬのか)
俺は理解した。
理解しても不思議と怖くは無かった。軽く記憶を遡って、人に迷惑をかける事は
ないなと思ったぐらいだ。
ドックン……
体が言う、『もう少し』と。
俺は怖くは無かった。怖くはないが、やはり少し寂しさはあった。
俺は言葉になるか分からないが、妻の名を呼んだ。
『――望』
ああ、やはり妻の名を呼ぶと心が暖かくなる。
俺の人生で大部分を占めた言葉――この言葉を言うと鈴の鳴るような声で
妻が答えたものだ。
『……はい、あなた』
――そう、こんな感じで。
俺はそう思ってから一瞬『耳』を疑い、視線を右に動かす。
妻が亡くなってから、妻との幸せな生活が詰まったこの家、そして『俺の中』では
妻はずっと生きていた。
いつもの笑顔、いつもの拗ねた顔、色んな思い出と表情が『俺の中』にあった。
庭の草花に水をやる妻の後姿、ご飯を食べる妻の嬉しそうな姿、どれも鮮明に
『俺の中』にはあった。
しかし、『声』が聞こえるはずはないのだ。
俺は向けた視線の先、俺の右手の先に――望がいた。
望は申し訳ないような嬉しいような今にも泣きそうな、そんな一杯の感情を顔に
微笑んでいた。
『……おせぇよ』
俺は望を見ながら、自然に言葉が出た。
望は俺の右手に手を添え、俺の顔を愛しそうに見ながら、
『ごめんない、あなた』
俺はその手を掴み、もう体は動かないと知っていたがそれでも妻を抱きしめた
かった。
――意外、俺はすんなりと起きられた。
俺は半分泣きながら破顔する望を思いっきり抱きしめた。
お日様と草花の匂い、望の匂いだ。
『……馬鹿野郎、先に逝くなよ』
『ごめんなさい、あなた』
俺はもう涙でぐちゃぐちゃになっていた。
『大変だったんだぞ、望がいなくなってからずっと……』
『ごめんね、
『……馬鹿、外で一人になるなって言っただろう』
『うん』
『迷うって、方向音痴だからって、知ってただろ』
『うん』
『俺が傍に居たらあんな事故……』
『……ごめんね』
俺は望を抱きしめたまま、わんわんと年甲斐も無く泣いた。
望は俺をぎゅっと抱きしめながら、
『……でもね、公ちゃん。それでも私は幸せだったよ』
望の言葉に俺はまた涙が溢れた。
もし、望に会ったら文句言ってやろう、怒ってやろう、そう思った時もあった。
だが、俺の口から絞り出た言葉は、
『……俺もだよ。俺も……幸せだった。望に会えて幸せだったよ』
『――ありがとう、公ちゃん』
俺は望を抱きしめながら、自分が上に昇るような感覚がした。
周りを見ると真っ白な空間に望と二人だけでいた。
『そっか、俺死んだんだっけ』
『うん』
抱きしめていた手を緩め、望の顔を真正面から見る。
『望、若くない?』
『公ちゃんもだよ』
気づくと俺は老人ではなく、20歳すぎぐらいの姿だった。
『本当だ、便利と言うか助かるな』
『助かるの?』
『ああ、望を抱きかかえる事が出来るからな』
そう言って俺は望を力強く抱きしめる。
望は嬉しそうに俺の胸に体を預けてくれる。
『……ところで俺ってどこに行くんだ?』
望にそう聞くと、望は微笑みながら、
『ずっと安らげる所だよ』
『――望は一緒に来てくれるのか?』
俺の不安そうな問いに望はちょっとだけ頬をぷくーっと膨らせて、
『公ちゃんに惚れてるあたしが離れる訳ないでしょ』
その瞬間、俺は思い出す。
ああ……俺、まだ言いたい事が一つだけあったわ。
もう……もう二度と言えないと思ってた言葉――。
俺は望を抱きしめたまま、耳元で囁く。
『……あのな、望』
『何? 公ちゃん』
『正真正銘、人生で一回きりの事言っていいか?』
『うん』
死んでるのに何だが、俺は多分人生で一番緊張して、人生で一番幸せな
気持ちを込めて望に囁く。
『――俺はお前に……』
俺はお前に うぃーど君 @samurai-busi
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