第5話 エンタングルマーカー

 あれだけの爆風にも関わらず大きな出火はない。家の中は奇妙な静けさを取り戻していた。何人か残っていた黒服の男たちも、先ほどの爆風で既に戦闘不能となっている。ミライは、家具の残骸やガラスの破片を軽やかによけると、部屋の真ん中に寝そべるクルーガーの横に立った。クルーガーがミライのほうに首を向け尋ねる。


「ひょっとして量子絡印エンタングルマーカーを使ったのですか」

「あんな小悪党に使うのは勿体なかったけど、逃がすわけにもいかないでしょ。それより……」


 ミライは部屋の奥に視線をやる。そこには、傷ついた父親の前で泣きじゃくる少女がいた。


「お父さん!」


 クララをかばうようにして覆いかぶさったアントニオの体は、爆風と破片でずたずたに切り裂かれ、流れ出す血が床を真っ赤に染めていた。


「クララ……悪かったな。ふがいない父親でよ。せめておめぇには学校ぐらい通わせてやりてぇと思ってくだらない悪事に手を染めちまった……。やっぱり、慣れねぇことはするもんじゃねぇな」

「お父さんの馬鹿! 学校なんて、どうでもよかったのに……」


 ミライはゆっくりとアントニオに近寄り右腕を取ると、ポーチから細胞賦活剤セルインジェクションを取り出して注射した。この怪我では焼け石に水だが、痛みぐらいは和らぐはずだ。

 意識を半分ぐらい失いかけていたアントニオだったが、ミライに気づくとポケットから小さなケースを取り出し、震える手で差し出す。


「探偵さん……すまんな。反物質結晶アンチクリスタルなんて、うちの鉱山で取れるはずはねぇ。あれは死んだ女房から預かったんだ。クララが嫁に行く時でも持参金代わりに持たせてくれってな」


 ミライは差し出されたケースを受け取ると、そっと開く。そこには大粒の反物質結晶アンチクリスタルがまばゆい輝きを放っていた。掘り出されたままの状態で宝石のような輝きを放つ、天上等級ヘブンクラスならではの造形美だ。


「ま、そんなことだろうと思ってたわ。でも、約束は約束。これはもらうわよ」

「好きにしてくれ……こんなことに巻き込んじまって悪かった」

「でも安心して。なにしろアタシは名探偵。アフターサポートも万全ですからね。クララちゃんだってちゃーんと面倒見てあげる。安心してお眠りなさい」

「そりゃ……ありがてぇ……クララ……達者でな……」

「お父さん! お父さん!」


 クララはアントニオの胸にすがって大声で泣き始めた。

 動かなくなったアントニオのまぶたをミライはそっと閉じてやり、クララに笑顔を向ける。


「クララちゃん。あれを見て」


 ミライは窓の外を指さした。そこには放浪医師団ラウンドアルケミスト転送構造体テレポッドが音もなく浮遊している。


「こういうこともあろうかとコネ使って呼んでおいたの。治療には何年も必要だろうけど……死んじゃうよりいいでしょ。さあ、泣かないで手伝ってちょうだい」


 二人と一匹は、瀕死のアントニオを戸外へと運び出し、そっと転送構造体テレポッドに入れた。ドアがカチリとロックされると、チェレンコフ光にも似た青い光を周囲の空間に放出しながら徐々に存在感を失くし、最後は溶けるように消え去った。放浪医師団ラウンドアルケミストの本拠地、アンドロメダ星雲の彼方へと転送されたのだ。

 転送構造体テレポッドの消失と時を合わせるように、何台もの警察車両ポリスコミューターが到着し、ぞろぞろと制服姿の男たちが姿を現す。ミライはリーダーらしき男に声をかけると、先ほどまでのリカルドたちのやりとりが全て記録された録画媒体ビデオキューブと、対になる量子絡印エンタングルマーカーの封じられた円盤ディスクをわたした。リカルドが捕まるのは時間の問題である。その後は司法の裁きにゆだねられるだろう。


「さあ、無事解決ね」


 ミライが大きく伸びをする。


「お嬢様。ところで、待ち合わせの時間がそろそろ近づいているようですが。先ほどから通信回線に信号が送られてきています」


 クルーガーが、慌てることなく冷静に事実を告げた。

 ミライはその言葉を聞くや否や、慌ててポーチから端末を取り出しメッセージをチェックする。そこにはミライの女友達二人が悪戯っぽい表情でピースサイン。そしてその下にはメッセージ。

 先に着いちゃいました。今日は……当たり!

 先ほどまでの勇ましい戦いぶりがまるで幻だったかのように、カウボーイハットの少女はそわそわと落ち着きを失くし始める。

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