第114話 天と地と

「どうしよう」


 エレーナは四方を見回し、活路を探した。

 だが、リューシスがふらつきながら馬を並べて来て、途切れがちな細い声で言った。


「もういい……エレーナ……ここまでだ」

「何言ってるの、ここまでって……」

「毒がもう限界だ……それにこの状況じゃもう……見ろ」


 と、リューシスが指す右手の遠方からは騎兵百騎が大地を鳴らして迫り、前方の丘の上からは五百の歩兵が喚声を上げながら殺到して来ている。後方は山であり、左方は今しがた抜けて来た森林地帯である。

 突然、リューシスは馬を降りた。エレーナは驚いて、


「何してるのよ」

「俺が囮になるから……エレーナだけでも何とか逃げろ」

「駄目よ、そんなの」

「あいつらの狙いは俺だ。エレーナが一人だけで動いても追いかけないはずだ……だから、俺が引き付けている間に……」

「駄目よ、あなたを殺させるわけにはいかないわ」

「心配するな……マクシムからはなるべく俺を生かして捕らえろ、と命令されているはずだ。すぐには殺されず、まずアンラードに送られるだろう」

「なら、私も一緒に」

「馬鹿なことを言うな……」

「馬鹿じゃない!」


 エレーナは声を大きくすると、馬から降りてリューシスの目を真っ直ぐに見た。


「やっと本当のあなたに会えたのに……」


 エレーナは大きく開いた蒼い瞳を潤ませていた。

 リューシスは虚ろな眼のままエレーナを見つめると、おもむろに片手で彼女を引いて胸に抱き寄せた。

 エレーナは一瞬驚いたが、すぐに涙と共に溢れ出る感情をこらえられずに、リューシスの胸に額をつけて嗚咽した。


 リューシスは、自分の胸の中で震えるエレーナの金色の髪を見ていたが、やがて顔を上げて前方を見た。

 眼光は相変わらず虚ろだったが、前方から迫る歩兵の集団を睨んでいた。

 

 その時だった。

 迫り来る歩兵集団の後方から悲鳴が上がった。

 続けて砂塵が沸き起こり、高い金属音と低い振動音が響く。

 何が起きたのか、と呆然と見ていると、歩兵隊の動きが止まり、前線の兵士らが狼狽し始めた。

 そして悲鳴が大きくなったかと思うと、歩兵らを後方から蹴散らしながらその中央を突き破って躍り出て来た一人の騎士。その姿を見てエレーナは顔を輝かせ、リューシスは口元をほころばせた。


「殿下、エレーナ様!」


 二人を見つけて駆け寄って来た全身返り血の騎士は、バーレン・ショウであった。


「騎兵三百騎を連れて参りました」


 バーレンは、ダヴィドらの急襲部隊を追い返した後、すぐにリューシスらにも魔の手が迫っているはずだと気付き、バティと相談した。

 そして、バティは傷ついた兵士らを率いてクイーン州へ戻って守りを固め、バーレンはまだ元気な兵士らをかき集めて急ぎリューシスを探しに行くことと決めた。


 バーレンは斥候を次々に放ちつつ東部の旧フェイリンへ急行し、途中で馬を乗り換えながら血眼になってリューシスの居場所を探し回った。その末にリューシスを襲おうとしていた歩兵集団の後影を発見、これを背後から急襲してリューシスの危機を間一髪で救ったのだった。 


「バーレン……」


 親友にして最も頼もしい男の登場に、リューシスはうっすらと笑った。


「馬上のまま失礼します、ご無事ですか? お怪我などは?」

「私は大丈夫だけど、リューシスが毒の矢で射られたの」


 エレーナがリューシスの顔を心配そうに見ると、


「毒?」


 バーレンはリューシスに近寄り、顔をよく見た。


「こんな顔色は初めて見た。まずいな」


 バーレンが眉を曇らせると、その時ちょうど二、三十騎ほどの味方の騎兵がラングイフォン勢の戦列を突破してこちらへ駆けて来た。


「戦況は?」


 バーレンが彼らに訊くと、


「敵はまだ残っておりますが、我々の後方からの突破で動きは完全に麻痺しております」

「よし。お前たち三人、いや、そこの五人は殿下とエレーナ様を守りながら逃げろ。決して敵に触れさせるなよ! 残りは俺について来い。向こうから来る騎兵を迎え撃つ」


 バーレンは口早に命令を出すと馬腹を蹴ったが、


「待て、バーレン!」


 リューシスが呼び止めた。毒に弱った姿からは想像できない大きな声に驚きながらバーレンが振り返ると、リューシスは続けて、


「いくらお前が強いとは言え……その人数じゃ無理だ」

「リューシス、今はこうするしかねえだろ! 俺が食い止めて時間を稼ぐ。その間にお前は逃げろ」


 バーレンは目を血走らせ、昔の無頼口調で答えた。


「ならば、右へ回れ。俺たちが引き付けた上で天法術ティエンファーで奴らを混乱させる。その間に側面から突っ込め」


 リューシスは、震える手で右方向を指した。

 バーレンは一瞬、呆気に取られた顔となったが、すぐに涼しい顔でにやりとし、


「承知した」


 と、右方向へ駆け出して行った。騎兵らも後に続いて行く。

 リューシスは力を奮い起こして再び馬に乗ると、エレーナに、


「あれ、もう一回できるか?」

天地無法ティエンディーウーファー?」


 リューシスが頷くと、


「あと二回は打てるわ」


 エレーナも鞍にまたがりながら答えた。


「すぐに頼む」


 敵の騎兵隊は、すでにもう二百コーリーほど手前にまで迫っていた。

 彼らは、バーレンらがリューシスのところから離脱して行くのを視認していたが、


「たかが十数騎だ、放っておけ。リューシス殿下はもうすぐそこだ!」


 と、目の前の大手柄しか見えずに、構わずに突進して行く。


 そこへ、エレーナが印を結んだ手を解き放った。

 地面が次々と爆発して土砂が天へと噴き上がる。先頭を駆けていた騎兵らが巻き込まれて一斉に吹き飛び、後続の騎兵らも巻き添えを食らって次々に横転した。


「ここだ!」


 その機を逃さず、バーレンら十数騎が猛然と側面から突撃した。爆発の被害を食らわなかった残りの敵騎兵らはこれで混乱に落ちた。


「殺すことにこだわるな! できる限りかき乱せ!」


 バーレンは大声で叫ぶと、自ら先頭を切って敵中深くまで突入し、統制も隊列も失って右往左往するラングイフォン騎兵を斬り回った。


 リューシスは左方に目を向けた。バーレンが率いて来た騎兵とラングイフォン歩兵が激戦を演じていたが、後方から急襲を仕掛けた味方の方が圧倒している。


「殿下、そのうち抜け出て来る敵兵もおりましょう。今のうちに早く安全なところへ」


 バーレンが残して行った騎士の一人が進言したが、リューシスは首を横に振った。


「全ては俺の油断……俺の失敗の為に皆が死を覚悟して戦ってくれている……そういうわけには……」


 と、リューシスは言いかけて、突然気を失った。馬の背に突っ伏すと、そのまま力なく鞍上から滑り落ちた。 


「殿下!」

「リューシス!」


 エレーナは慌てて下馬し、リューシスの身体を抱き起した。

 息はしていたが、完全に意識を失っているようであった。


 真っ赤な西日が落ち、辺りが薄闇に包まれ始めた頃、戦闘は終結した。

 バーレンらの決死の奮戦の末、ラングイフォン勢は撤退した。しかし、勝ったわけではない。


 今回の作戦の全てを指揮し、隣の山の上から戦況を見守っていたアルテム・マハーリンが、


「完璧に伏兵を配して追い詰めたが、ここまでだな。バーレン・ショウはローヤン全軍でも十指に入るであろう豪勇の士。奴が兵を連れて駆けつけて来てしまったらもうこれ以上は無駄だ」


 と、自軍の損害が大きくなる前に兵を退かせたのであった。


「ここでバーレン・ショウが現れるとはな。天運が味方したと言うべきか、殿下の人望が成せる必然と言うべきか、……。まあ、捕らえられなかったのは残念だが、殿下の軍に打撃を与え、ラングイフォンから追い返せただけでも良しとするか」


 アルテムは悔しさを滲ませながらも、笑って椅子から立ち上がった。

 そこへ、部下の一人が進み出た。


「まだ機動天法士ティエンファード隊が残っておりますが」

「あ? ああ、そうだったな」


 アルテムは思い出すと、しばらく考えてから呟くように言った。


「一応、最後の一手として使うか」




 ラングイフォン勢を追い返し、辛くも生き延びたバーレンたちだが、三百騎のうちの約百騎が犠牲となり、生き残った者たちでも無傷で済んだ者はいなかった。


 それでも、またいつ新手が現れて襲われるかわからない。

 バーレンとエレーナは、急ぎクイーン州へ向かうことを決めた。

 簡易な荷車を作らせ、荷台の上にリューシスを乗せると、すぐに出発した。


 約一時間ほど進み、クイーン州までもうあと少し、と言う地点にまで辿り着いた。

 西は樹林、東は平野が広がっていて、少し目を凝らしてみれば人家があるのか、火の灯りがぽつぽつと見えた。


「殿下のご様子は?」


 先頭を進んでいたバーレンが下がって来て、リューシスを乗せた荷車に寄り添っているエレーナに訊いた。


「まだ呼吸はしているけど、どんどん細くなって行ってる。落馬した時に頭も打っているし、このままじゃまずいわ。どこかで早く医者を探さないと」


 エレーナは、泣き出しそうな顔であった。

 バーレンもリューシスの顔を覗き込んで、


「どこかに町や村がないか、兵士に探しに行かせましょう」


 と、前列に戻りに行こうとした時、ちょうどすぐ近くに、跪いて頭を下げ、バーレンらの軍が行き過ぎるのを待っている人間がいた。

 ゆったりとした紺色の衣服を着て紺色の頭巾をかぶり、傍らには驢馬を従えている。バーレンは近寄って声をかけた。


「すまないが、この辺りに医者がいるような村や集落はないか?」


 頭巾の者は顔を上げると、


「医者ですか。ここより二十コーリーほど北のヤンサン村には医者がおります」


 澄んだ響きの良い声で答えた。女性のようであった。


「そうか。しかし遠いな」

「お急ぎですか? 兵士の皆さまだいぶ傷ついておられる様子。薬ならいくつか持っておりますので差し上げましょうか?」

「いや、傷薬なら持って来ているので間に合っている。だが、毒にやられた人間がいてな」

「毒……効くかどうかわかりませぬが、解毒薬も一種持っております」

「おお、分けてくれないか?」

「よろしいですが、まずその方を見せていただけますか? 解毒薬は合わないと逆効果ですので」


 バーレンは躊躇った。優しい話し方で不穏な気も感じられないが、夜闇のせいで紺の頭巾の下の顔がよく見えない。リューシスを狙う刺客ではないとは限らない。

 そんなバーレンの心の内を察したのか、頭巾の者はふふっと笑った。


「ご安心を。私はこの辺りで織物をしている者です。武器などの類は一切持っておりません」

「わかった。疑ってすまなかった」


 バーレンは、一応警戒しながらリューシスのところへ連れて行った。


「こっちだ。見ていただきたい」

「失礼いたします」


 エレーナや他の兵士らも見守る中、頭巾の者はゆっくりと近づくと、荷台の上に寝かされているリューシスの顔を見た。その瞬間、頭巾の者は固まったように動きを止めた。無言でリューシスの顔を凝視している。

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